エンジェルフォールを想像した理由

昨日、GarageBandのループ素材を使って、ベネズエラにある落差979mの滝、エンジェルフォールをイメージしながら短い曲を作りました。なぜエンジェルフォールにしたのか。それは、遠い遠い場所で、今この時間も絶え間なく変わらず動き続けている自然を想像することで、安心を得ようとしたからです。できるだけ壮大で、人も簡単には立ち入ることができず、動き続けている自然。それを探していたら、この滝にたどり着きました。人間の尺度では測れない、壮大な自然です。想像をすれば、今この瞬間も、979mの高さから大量の水が流れ落ち続け、空中に散る水は空気と混ざって雨のようになり、地上に降り注ぎ続けています。

 昨日、近所の土手で散歩をしました。安心したのは、世界が今大変な状況でも、水は相変わらず流れ続けているということでした。一羽のサギが川の真ん中に、川の流れとは反対方向を向いてじっと佇んでいたので、わたしはそのサギを観察しようと川岸に腰掛け、ずっと眺めていました。やがてサギが一匹小魚を捕まえ、数歩移動して丸呑みしました。そしてまた、同じ方向を向いて、佇んでいました。
 あのサギは、いつまであそこに立ち続けるのだろうか。お腹がいっぱいになったらやめるのか。それとも日が暮れたら休むのか。明日も同じ場所で同じように水面に目を凝らし佇んでいるのだろうか。目の前にあるのは、水が流れ続けていることと、サギが魚を待ち続けているという、シンプルな営み。そしてよほどの災害などない限り、明日も、その次の日も、続いていくであろうこと。安心したのは、不変だからです。

 自然は私たちとは別世界だ、相変わらず〜している、と感じるのは、きっと私たちが自然の中に生きなくなったからだろうと思います。だから、こういう時こそ自然に目を向けたらいいと思う。自分たちもその一部であること、そして自分たちが生きているのは、両手を広げた範囲とか、時計の針が刻む秒の単位ではなくて、もっと想像でも測れないほどの、エンジェルフォールでさえも一部であるような壮大な自然だということを、知っていたらいいと思います。壮大すぎて、不変と感じる世界。何千年、何万年と経ったらサギも別の鳥のように進化しているかもしれないし、川の形も変わっているかもしれない。ただその一部だと思えば、安心できる気がする。もともと私たち人間なんか、サバンナで群れをなす動物たちと同じでちっぽけなんだし。ね。

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