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会社を立ち上げて10年が経ちました「経営者も幸せに生きよう」という話

こんにちは。

「『好き』で自信を創り、『好き』で社会とつながる」をビジョンに、発達障害児や不登校のお子さん向けにオンラインコミュニティとメンターマッチングサービスと教室運営をしている「Branch」の中里です。

23/11/11で会社を立ち上げて10年が経過しました。

10年経ったこと自体には何も思うところがないのですが、前々から思ってたことをこの際に書いてみたいと思います。

内容は11/11時点で書けていたのですが、この内容は発表するのに勇気がいることで、だいぶ時間が経ってしまいました。


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先日、自分と同じようなキャリアを生きてきた友人とご飯を食べてたくさんのことを話しました。

主に仕事と人生の話です。

その友人はすべてを経営にかけて、フルコミットしていました。

僕の周りには、こういう経営にフルコミットしている方が多いのですが、今回の話は「自分はある時にそれをやめた」という話です。

経営者って、一般的に「プライベートを捨ててでもすべてを事業にかけることが正しい」という感覚が非常に根強いと思います。

ではなぜ、自分はすべてを経営にフルコミットをすることをやめたか、順を追って説明します。


まず、自分は最初に書いたように、お子さん向けのサービスを運営しています。

やり始めてすぐに気づいたのですが、
「教育は時間がかかる」
のです。

なぜかというと「信頼が大切」だから。

信頼できる人というのを自分なりに考えた時、言っていることよりも佇まいが大事だな、と。もしくは「この人ずっと同じこと言っているな」というような存在。

言葉は頭が良い人であればどうとでも言えるので、言っている言葉自体は信頼には直結しない。

それよりも「大切にしていることをシンプルに語り、その場にずっしりと座り続けている」ような人が信頼できる。

自分はある時そうありたいと思いました。

なので「Branchは最低でも20年はやらないとな」「もしかしたら死ぬまでかも」と思い、心の中で決めました。

それまでの自分は週6で働き、旅行など長期休暇は一切取っていませんでした。

でも「仮に60歳まで今の仕事を続けるとして、60歳までこのままの働き方で行くの?」と考えた時に「違うな」と思ったんです。

「自分の好きなことを同時並行で行い、死ぬまで今の仕事を続ける」
自分の生き方はこれで行こうと決めました。

「仕事にすべてをかける」「365日働く」というような人物像に自分は憧れられなかったんです。

短期集中してFire、というのが今の時代の潮流なのかもしれないのですが、
自分はこの仕事でとても救われています。Fireしたくない。

天上天下唯我独尊のような性格だった自分が、人の話を聞く姿勢を学び、他者視点に立てるようになりました。

人の幸せが、本当に自分の幸せとして感じられるようになりました。

メンタルがやられそうな時でも、毎日大量に感謝の言葉を頂くことで、常に明るい気持ちで生きられるようになりました。

自己責任論で生きてきた自分に、それでは生きられない人たちがいることを教えてくれ、北の逆に南があるように、自分の見えている世界の逆には必ず別の世界があることを教えてくれました。

だからこの仕事はやめたくない。

一生やっていきたい仕事を見つけた時点で、自分は本当に幸運の星の元に生まれたと思っています。

僕はBranchの子たちや家族が、幸せになることを目的にして仕事をしています。僕の目的は、人の幸せなんです。
自分自身も一緒に働いている社員も幸せじゃないと、きっとそれは達成できません。滅私の精神は自分にはありません。

40代にもなると「仕事」「家族」だけではなく、「死」と「人生」を強く意識するようになるようです。

死という、生命のゴールに向けてあと何年あるのだろう。

敬愛していた坂本龍一さんは71歳でなくなりました。
そうなると、自分はあと30年の人生。

あと30年を仕事だけにかけるのか。
自分にはそれはできない。

仕事と自分の好きなことを同時に行なっていきたい。
また、そういう姿勢こそ今の子供たちに見せたい姿勢だと思います。

仕事だけではなく「自分が楽しく生きること」を意識して背中を見せていきたいと思っています。

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中里祐次 @wato
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