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人工物は物質製の言語である、惑星ソラリスは異言語製の存在である。

(プロローグ)

機能も目的もない、あるいは、不明な人工物というものがこの世界には存在している。それらは言葉を失ってしまったものなのか、それとも、言葉の意味が消失してしまったものなのか(例えば、古代遺跡から発掘される用途不明の謎の人工物)、それとも相応しい未来の言葉を待っているものなのか。(例えば、未来の世界で意味を生じる未来の人工物)、それとも未知の言葉から引き出されたものなのか。(誰もそれを口にしたことのない、誰もそれを書いたことのない言葉から生み出された人工物。)

私は何故だか、そうした言葉と遊離した人工物に奇妙に心魅かれてしまう。現代アートはそんな人工物と出会える場所でもあり、私が現代アートに魅了される大きな理由でもある。そこでは、言葉と物質が互いに対等に振る舞い、ある種の言葉と物質のダンスが繰り広げられている。私はそのダンスを楽しむために現代アートに出会うべくいそいそと出かけてゆくことになる。

(1)人工物論のための前口上

いきなり大風呂敷を広げてしまうんだけど、いずれは宇宙論をきちんと書きたいと思っている。宇宙論、あるいは、世界論、この宇宙が(世界)が何によって如何にして構成され成り立ち、それはどのような仕組みで動いているのか?、なんてことを包括的にきちんと書きたいと思っている。(うん、すんごく誇大妄想的な思いなんだけど、・・・天動説でも地動説でも神話でも歴史学でもなく、「21世紀の来るべき機械仕掛けの宇宙論の素描」なんちゃってて、・・・)

それで、これは、そのメモ書きのひとつ。

さて、空を見上げてその成層圏の遥か彼方には無数の星雲が存在し、その中には文明を持ったエイリアンも存在しているかもしれない。あるいは、もしかしたら地球人がこの宇宙の最初の文明を築いた最初の知性かもしれない。まあ、でも、スタニスワム・レムの「ソラリス」(アンドレイ・タルコフスキーの映画の中で私の最も好きな映画のひとつ。あの映画の幾つかのシーンを思い浮かべるだけで胸が痛くなる。例えば、水草が透明な水の中を流れる場面、宇宙ステーションの通風孔に設けた紙のすだれが音を立てる場面等々、あと、ソダーバーグ監督版も別の味わいがあって好き。)みたいに地球人とは全く異なった知性(もようなもの)も存在しているのかもしれない。

私が今回のこの記事のメモ書きで示したい事柄は、そうした存在(「ソラリス」のような存在)も含めて、第一に、この宇宙が何によって構成されているのか? 大雑把なカテゴリを示して、その後に、 第二として、その構成要素のひとつとして「人工物」とは何か? を考察したいと思う。メインは第二の人工物論です。

(2)宇宙の構成物のカテゴリ

では、第一に、この宇宙が何によって構成されているのか?

結論から言うと、「自然と人工物と言語と知性」ということになる。

少し、説明すると、知性を持った存在(地球の場合は今現在、ホモサピエンス)がその周囲の環境として、自然と人工物の二種類の物質と、精神的な存在としての言語(これは観念とか、概念とか、意識とか、思想とか、意味とかの呼び名で呼んだ方がしっくりするかもしれないけれど、ここでは、仮に言葉とする)に囲まれて生活し生きている。自然の中には、生物も非生物も入っている。(一応、生物も物質のひとつの形態とする。)人工物は知性を持った存在が物質を基に作り出したものとなる。正確には自然と人工物が入り乱れていて境界が不明なんだけどね。だいたいこれで、現在の地球上に存在するものは、このカテゴリで全部収まるんじゃないかな。ちなみに、芸術作品は、人工物であったり、それらが掛け合わされた複合体といったものかな。

えっ! 「お前、何言ってんだよん、神様がいないじゃん!」ああ、、、、ごめん。なんの他意もないんだけど、、、う~~ん、精神的な存在として、「言語」のカテゴリに入れちゃだめかな・・・物質でも人工物でもないよね。(「ふん!超越者がカテゴリの中に入るわけないじゃん」て怒る人もいるかもしれないけどね、まあまあ、そこはなんとかね・・・)

んで、あとは、惑星ソラリスなんだけど、これも、はしょって、結論から言うと「自然と人工物の言語と知性」の混融体であるとする。まあ、地球と同じだね、ただ、物質の在り様とか、言語の在り様とか、知性の在り様が全然、地球とは異なっているってことかな。つまり、地球言語とは異言語ということ。(多分、物質を基本的に構成している原子とか素粒子は同じだと思うよ、地球の現代物理学は強力なのだ。ずばっと何億光年先まで見通しているのだ。)

ということで、宇宙論はこの「自然と人工物と言語と知性」どもの激闘の物語となるのであった。神話の登場人物が出揃ったね。この四人組が宇宙を舞台に大暴れ❣

(3)人工物論、「人工物とは物質化された言語である」

んで、第二に、この「人工物」とは何か? やっと、本題に辿り着いた!

これも結論から言って、「人工物とは物質化された言語である。つまり、物質製の言語」となる。もう話終わった。

そうなんですよ、人工物は言葉なんすよ。「んな、わけないだろ」と思う方もいるかもしれないけど、じっくり身の回りにある人工物を観察してみればそれが納得することになります。衣服、パソコン、スマートフォン、マウス、キーボード、ディスプレイ、腕時計、テーブル、椅子、コップ、ソファ、クッション、テレビ、部屋、床、壁、窓、カーテン、車、、、、順番に人工物を列挙してみて欲しい。衣服は人の体にまとうという言葉が物質化したものだし、パソコンは情報を処理するという言葉が物質化したものだし、腕時計は時間を表示するという言葉が物質化したものだし、椅子は人が座るという言葉が物質化したものだし、テレビはテレビ放送を受信し表示するという言葉が物質化したものだし、車は移動するという言葉が物質化したものだし。「人工物は何かしらの機能を有して、そのためにに作製されたんだから、そりゃそうでしょ、機能(目的)を言葉と言っているだけじゃん。」

うん、そうだね。でもね、言葉で言い表せない機能(あるいは、目的)は存在しないんだよ。だから、順番として、言葉が始めに存在して、その後に、その言葉によって導かれた物質として「人工物」が出現するということを、私は言いたいんだ。つまり、「人工物は物質製の言葉なんだ」

とここで箸休め。人工物が言葉だというひとつの体験談について。

私はある国(日本じゃない国)で、洗面所で手を洗おうとして鏡の前に立ったんだよね。そんで、水道の蛇口をひねって水を出そうとしたんだけど、あれん??? 蛇口についている回すやつがない! もちろん、それらしきレバーもない、自動でもない、ははん、フット・ペタルですか、、と思って床を覗くんだけどそれもない。はあ? 一体、どこに蛇口を回すやつはあるんだ? もうきょろきょろきょろ、そんで、結局、照明のスイッチみたいなん押したら水が出た。言葉が通じないってしみじみ思いましたよ。(これ別バージョンもあって、ホテルのバスルームで暗闇の中、必死になって照明をつけようとして照明のスイッチを探したこともありましたね、お湯はすぐ出たんすけど、やれやれ。)



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