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僕の前に道はない。僕の後に道はできる。

     ここ最近、暑さのせいか頭空っぽで、同じような毎日を消費して過ごしている。母が一生懸命働いて、私の気持ちも尊重して一人の時間をくれているのに、私は貴重な時間を懸命に生きていない。人として美しい生き方をしていない。何をやっているんだろう…。いい加減にしろ。そんな焦り、物が考えられない不安を抱えつつの、刺激も喜びもない平穏。それがここ最近の私の生活だった。


    意思で動かせず、脳が自分のものじゃなくなったような感覚。言うなれば頭に脳の代わりに木彫りのハリボテでも入れられたような、何も詰まっていない感覚。鬱になる前から続いていたそれこそ、鬱の原因だった。自分の道を進みながら、大学生の自由な時間を使い切りたいのに、意思や感情が見えてこない。いつも自分の関われないところで人間関係が動いていて、状況を把握して自分にとって良い方向に変えていくような頭の良さがない。また、人前で見せるような自分がない。

  自分の感情・感性で現実を切り取り、掬いあげ、考えが形作られていく。そんな普通のことがなぜだか私にはできなくて、生の実感が得られなくなったこと。“感情の欠如”とか“思考力のないから”とか、問題点を考え続けて、すこしづつ、すこしづつ、不安は膨れあがっていった。

 自分の苦しみを受け止めきれずに、10年間無職で昼夜怒鳴っていた父と離婚してくれなかった母を責めた。その10年を取り戻すかのように、母が過剰に愛情を与えて私を甘やかすのもいやで仕方なかった。振り上げた拳を沈痛な眼差しで受け止めて、心を隠して笑って、パンを差し出す。聖書では「左の頬を打たれたら右の頬を差し出しなさい」と言うけれど、アレは殴った者の心を一番えぐる。自分の悪、未熟さを自覚させ、恥じ入らせるのに最適だ。                                           母は本当に受け止めるつもりでそうしていたんだろうけど、反論もなくあまりにあっさりしているものだから、私は自分の言葉が流されているように感じた。が、「それは人のせいにしている」と言われれば言われたらで「責任逃れだ」とまた反発しただろう。自分の至らなさもそれまで生きてきた環境も、何もかもが気に入らなかった。ぶち壊したかった。理由をつきとめなければ無思考状態から抜け出せないという思いもあった。

10代の頃になかった反抗期を遅く迎えただけなのだろうか。この頃の私は、自分を責め、人を責め、苦しい生活を送っていた。

 自分の意思や感情、思考が自覚できないまま、大学2年、3年と続いていく。空白の時間。思うままに生きて自分を作りたかったのに、無駄に過ぎていくことがかなしかった。その頃には“研究者になりたい”なんて夢はとうに消え、日々自分の能力を思い悩んでいた。例えば、バイト先で私だけ仕事ができないと思われること。仕事を覚えてもその状況を変えられないこと。自分は、人の中で立ち位置を確保する能力がない。純粋に結果だけが認められるかの判断材料だった学生の世界を出ると、こうも生きづらいのか。3つ経験したアルバイトだがどこでも中心人物に嫌われて、こんな難解な世界で生きていくのが怖くなっていった。同じ頃、人の輪に入るのも苦痛だった。話すことが何もないから。どうしてみんな「自分」があるんだろう。それを屈託なく人に見せられるんだろう。意志を主張できるんだろう。自分だけが空っぽなんだ。劣等感に苛まれた。

   今言えるのは、非常に視野が狭かったということ。

   俯瞰で見ていれば、例えばバイト先のことは、仕事をこなせているんだから、「上司と相性が悪かっただけだ」と割り切れたはず。全て自分の方に理由があると考えていた。

    無思考状態が続いて迎えた大学四年生。論文を書きあげて卒業できるか不安だった私は、今年就活は一切せず卒論と来年受ける国会図書館職員採用試験の勉強に専念することにした。そのはずだったが、卒論に苦戦し、また自分の能力の低さを責め続けた。同級生の数倍の時間をかけて2万字を無理やり埋めたような拙い卒論を書きあげ、納得いかないまま卒業した。今度こそ、と国会図書館職員になるため勉強に励むが、不合格。大学図書館や民間の古美術商は2次までいったが、大学図書館は事務がメインだったためやりたいことと違うと辞退し、古美術商は最後で落ちた。そこから迷走が始まった。母が「先を考えて正社員」というので正社員になればいいのねと半ば投げやりに思った。また自分の意思がない。でも「自分は仕事を安定した生活を送るためのものと思っていない。自己実現のために働きたいんだ」と反発もあり、「図書館職員をもっと広く目指せるように、公共図書館の派遣職員(その頃出ていた求人)として働きながら司書資格を取りたい」と母に繰り返し話した。けれど母は「不安定」の一点張りで、自分は生活のために・保守的に生きなければならないのかと思うと虚しくなったし、姉や妹のように反対を押し切って自分の意思を貫くことができない不自由さに疲れていた。この頃から本格的に鬱になり、ハローワークの職員さんとの面談で感極まって?泣き出したり、ハローワークや説明会、面接に行くたびに自殺ストップセンターに電話をかけ、励ましてもらっていた。

 今思うと、しっかり自分の気持ちを確認できないまま、また、自分の意志で動く自由を持てないまま行動していったことが原因だったと思う。立ち止まって、心を取り戻すべきだった。

    これが去年の夏。1年前だ。

    その後は伯母に連れ出されて山の中で2週間生活してから実家にもどり、鬱の治療を受けながら4、5ヶ月過ごした。その間主治医の先生が私の話を粘り強く聞いてくださって、自分の考えや気持ちを主張することへの抵抗・不安が薄らいでいった。幼少期に母によく言われていた「我が強い」という言葉、家事や勉強といった義務だけで居場所を感じていた10代で培われた「自分を主張すると必ず否定が待っている」図式の束縛が解けていった。

   医師が間に入ったことで、母も「正社員は前提条件」という考えを押し付けることがなくなった。

   これからは全て私の意思で動けるような環境になったのだ。それはすごくありがたいこと。そして、自分の意志で動けるようになったことで自分の未来に責任感も湧いてきた。今までの人生はどこか自分のものではなかった。責任だけ、義務だけで生きることに意味が感じられないのは当然だった。


    新卒正社員という選択を捨てて王道からは既に外れたわけで、未来の見えない不安は依然としてある。けれど、自分の意志で選んでいったこれから、どんな道が後ろに見えるのか。それを見るために生きてみようと思う。

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