引きこもりと発達障害
今日は曇り。だるくて動きたくない気分だったのですが、「また何もない一日になってしまう」と、昼頃なんとか起き上がりました。えらい。布団の中にいる時間は全身の力が抜けていて一番安心だけど、起き上がるだけでも不安が減りました。寝ているのと起きているのでは、例え仕事ができていなくても、ちゃんとしている感覚が全然違います。鬱の方、体に力が入らないと思いますが、頑張って起き上がってみると、少しだけ、自己肯定感が上がりますよ。
今日は散歩もせず、特に何もなかったので、日記は終わり。ここからは、「引きこもりと発達障害」について考えてみたいと思います。
※あくまで自分の困りごとと今後のことを考えるための整理なので、どれだけの人の役に立つかはわかりません。
なぜこんなことを思ったのかというと、無職3か月目に入り、人と話すことが少ない毎日で、元々人の中にいること・会話することに緊張感があったのが、更にコミュニケーションの免疫が落ちたことで、対人恐怖が出てきているからです。私は自分の感情や思考の言語化が非常に苦手(瞬発的には全然浮かばなくて、当てはまる言葉を探すのに数時間・数日かかることが多い。もしかすると、これも正確性を求める特性なのかもしれません。文章を書く時にも、主語の「が」「は」で迷って、何度も書き直したりします。ひらがな・カタカナ・漢字の視覚的ニュアンスの違いに拘ることなどもあり、細かいことが気になってなかなか先に進めません)なのですが、家にいて、両親は用事以外で話しかけてくることが少なく、言語化の必要に迫られることがなくなりストレスフリーで、「自分は何を考えているのか」必死に問いかけることがなくなりました。それはすごく楽で、初めて安心できたような心地がしました。しかし、そうしているうちに、頑張りたい気持ちよりメンタルの弱さが上回ってきて、精神的に堕落の一途を辿っていることに気づき、危機感を覚えはじめました。
これは引きこもりのメンタルなのではないかと思って調べていくうちに、こんな記事に当たりました。内閣府ホームページで公開されている『引きこもり支援者読本』の第1部第2章です。執筆者は星野仁彦・福島学院大学教授。発達障害に関する著書を幾冊も上梓されている、児童精神医学がご専門の精神科医でもあります。
https://www8.cao.go.jp/youth/kenkyu/hikikomori/handbook/pdf/1-2.pdf
この記事は平成23年(2011)に公開された古いものですが、児童期から大人に至るまでの発達障害者が陥る困難や引きこもりに繋がる要因、家族や会社、社会に求められる支援について包括的に述べられていて、参考になります。
この記事では私が悩んできたことが簡潔に言語化されており、悩みの形が明確になりました。朧気で輪郭が掴めずに気持ち悪かったことが言語化されるだけでもこの記事を読んだ意味があったのですが、私の悩みが特別珍しいものではなく、典型例であることに安堵する効果もありました。特性上蓋然性の高い過程を辿っていたということは、自分の気持ち次第で解決できる問題を甘えで避けているのではなく、過去の自分に対する自責の念を覚える必要がないからです。数日前の日記で、「鬱病になった原因には、年齢に見合った対人経験やストレス耐性、精神的発達をしていなかったことがあるように思う」と書いたのですが、本記事にはそれを裏付けるようなことが書かれていました。
① ひきこもりの人は社会性(対人スキル)や人との言語コミュニケーション(会話)が小児期から未熟であり、特に同世代の多人数場面で不安・緊張感が強く自分をうまく表現できず、不適応に陥りやすい。また、自分の気持ちや考えをうまく言葉で表現すること(言語化)ができない。 ② 感情や情動のセルフコントロールが未熟であり、些細なことで気分が不安定になって落ち込んだり無気力・不機嫌になりやすい ⑧ 自己認知(自分を客観的に認知すること)が未熟であり、そのため将来の自分についての現実検討力が弱く、空想的(ファンタジック)・自己愛的に達成不能の夢を抱く。 (p18~19)
<知的能力に大きな問題のない発達障害者の困り事についての段より> ② ストレス耐性が弱く、不利な環境に対して反応を起こしやすい
軽度の発達障害者は、ストレスに対する抵抗力が弱く、学校でいじめられたり、家庭崩壊にあるような機能不全家族に育つと、不登校、非行、小児うつ病、心身症など、様々な二次障害や合併症を高頻度で示すことが分かってきた。
③ 就労と社会適応が難しい
軽度の発達障害者は、何とか高校・大学まで卒業したとしても、その後の就職と社会適応が困難になることが少なくない。場合によっては長期間のひきこもりやニートになることもある。また成人になると、様々な心の合併症――特にうつ病、依存症、パーソナリティ障害、不安障害(神経症)――を伴うこともある。 (p22~23)
<ストレス耐性と脳の脆弱性> 「世の中にはひどいいじめにあおうが、父親が暴力を振るうようなゆがんだ家庭環境に育とうが、それを乗り越え、心に傷も残さず、たくましく社会に適応できる人もいる。こういう人は脳が健常でストレスに強いのである。」しかし、発達障害者はストレス耐性が弱く、周囲から否定される環境で二次障害をおこすことがある。(一部抜粋) (p24)
太字部分は、自分に特によく当てはまるものです。ドンピシャと言っていいレベルに。自己認知の問題やストレス耐性については、今まで読んだものには書かれていなかったので、やっと自分の悩みについて考え方が見えてきました。
私はASDの特性の中でも自閉傾向が強く、幼児期から一人遊びを好んできました。発語はスムーズだったし、私が子供の頃は発達障害が今ほど身近なものではなかったので、発達障害とは可能性すら考えられていなかったのはやむを得ないですが。お絵かきや読書をよくし、大きくなってからは植物や古典文学と、一人で完結する世界、人よりも文字や植物といったモノを好みました。愛着行動を特別に拒むことはなかったように思いますが、私にとって人との交流はあってもなくても構わないものでした。小さな頃、森で野外イベントがあり、家族で出かけた時に私が逸れ、騒ぎになって皆で探したそうなのですが、一人で森の中にいた私は泣いてもいなかったそうです。また、幼稚園生の頃だった気がしますが、叱られて家から出された時に「鍵がかかっていて家に入れないなら仕方ない」と近所まで歩いていき、暫くして母が様子を見に玄関を開けた時にいなかったので、夜だったこともあって、また騒ぎになりました。
自閉(性格でいうなら内向的)傾向が強く、聴覚過敏があるので、雑踏や教室、オフィスなどの人が集まる場や口頭でのやり取りに不安や緊張、ストレスを感じます(私の困りごとその1)。これは、対人恐怖や引きこもりに直結する特性だと思います。実際、私は小5と中2でそれぞれ1年くらい不登校でした。その頃は父が働かずに家にいて、昼夜関係なしに怒鳴っていた(後に統合失調症だったと発覚します)ので、普通だったら外にいる時間を長くしたいと感じると思うのですが、私は色々な音が混ざった賑やかな教室、特に休み時間のざわめきが非常にストレスでした。元々小さな音も気になる方なので複数の声が混ざり合って聞こえるのがストレスで、ざわざわと落ち着かない感じがしていました。この頃はなぜ学校に行きたくないのか言語化できていませんでしたが、今思うと教室の音や学校行事(内向的でいられない)が原因でした。
また、相手の気持ちを想像して状況に合わせて言動を調整することや感情的なコミュニケーションが不得意で、自力で自分の立場を確保したり人間関係を継続することが難しいこと(私の困りごとその2)は二次障害である鬱病を引き起こした大きな要因でした。
大学生になってから、接客のアルバイトやグループワークなど明確な答えがなく変化の多い場に身を置くことが増えました。お客さんとの会話や「居心地の良い雰囲気を出して」という抽象的な指示に対応できなかったり、複数人で物事を決めるときに意見を出すタイミングを掴めなくて自分抜きで話が進んでいったり、自分の考えを話しても決定権はいつも別な人だったりして、生のコミュニケーションのスピードの速さや背景にある日頃の人間関係の影響、自分の立場の確保の仕方など、難しくてよくわからないことが増えていきました。その中で、自分自身の核となる性格や思考、感情がわからないまま社会に出て、自己表現や会話をしなければならないことに不安や心細さを感じていました。アルバイトは接客と医療事務を一年ずつ、大学三年生の頃は時々単発のバイトを挟みながら期間限定の派遣でスーツ店の店員、と接客系ばかりしていました。初めのパン屋さんからあまりうまくいかなかったのですが、「コミュニケーション能力はどの仕事でも必要になるから諦めてはだめだ、鍛えなければ」という思いで、少し休んではまた接客のアルバイトを始めるということを大学三年生まで繰り返していました。しかし、どこにいっても私は仕事の能力がないと(言い方は直接的・間接的いろいろですが)言われてきたのです。本筋から逸れますが、接客のない皿洗いの仕事でもそうでした。そうしていくうちに、私はあらゆる仕事ができないのではないかと思い込み、アルバイトをしていない時間も不安感を消せず、追求したかった専攻の勉強も頭に入らなくなります。バイトを辞めて勉強だけに時間を全振りしても何も入ってこなくて、取り柄だった記憶力や文学の読解・鑑賞的才能(世間でも突出して高いわけではないけれど、自分の中で1番自信があり、心の支えでもあったものです)までもが無くなっていくのを感じ、恐怖に近い焦りと不安を感じていました。これ以降は、闇雲にもがくような日々が続き、就職活動で過去を振り返ったり面接で自己表現を求められるストレス、結果を出せずに先が見えない不安から、鬱病を発症しました。鬱病の原因は複数の問題が絡み合っているので一言では言えないのですが、大本には自分の感情や思考の言語化ができないこと(自己の未確立)があった上で、接客のアルバイトでの雑談や臨機応変な対応・抽象的な指示がこなせなかったことや複数人での会話・議論に入れないこと、人の多い場での不安感から仕事の能力や社会活動に自信を無くしていったことがきっかけでした。そこから興味のある勉強に集中できなくなり身につけられなかった失意や、就職活動に当たってぶつかった自分の感情や価値観、過去の言語化、面接での自己表現と臨機応変な対応(再び)という壁を越えられなかったこと、結果を出せずに自己肯定感を取り戻せなかったこと、将来の見えなさが合わさり、ストレス耐性の低い自分の閾値を超えてしまいました。
過去を振り返るのはこのくらいにして、今後に目を向けよう。
私の発達障害の特性は大きく4つあります。
①聴覚過敏→人の多い空間、賑やかな場所に不安や緊張を感じる。そういう場所に長時間いると、回復するのに長時間の睡眠が必要になることがある。経験知による改善は難しい。職場や家は静かな環境であることが外せない条件になる。
➁感覚的・曖昧な指示にこたえること、臨機応変な対応、感情的コミュニケーションの苦手さ→暮らしの中心になると無理が大きく、これらがメインになる仕事はできないが、経験知で改善が見込める。1つ1つのケースとその時の周りの人の様子をメモしておき、時間を置いて見ると、客観視できて、共通点や自然な対応が思いつくのではないか。その場では臨機応変に対応できないことが多いけれど、文字情報になると理解しやすい。感情的なコミュニケーションはできるようになった方が人生も豊かになるが、無理なく適応していくには、「今のままでも大丈夫だけど、少しずつでも対応できることを増やしていくともっと良くなる」というマインドで自分を肯定する姿勢を崩さないこと、人と比べたり結果を急がないことが大切になる。
③自分の感情や思考の言語化が苦手なこと、将来や自己像といった漠然としたものをイメージすることの困難さ→今抱えている一番大きな問題。①➁は避けられるけど、③は物事の選択や「自分」の実感といった人生の根本に関わる。進む道を決めたり、自己表現、困ったことやストレスが生じた時にそれを整理して、どういう行動をとるか考えるのにも不可欠。図書館で働いていた時に、感情を言語化(口に出さなくても、頭の中で言語化できるだけで感情は落ち着く)できなくて涙という形で出てしまったことがあり、自分の感情や思考が言語化できないことは日常生活にも大きく影響します。また、感情を把握できないと、いつ勝手に涙が出たりするのかわからないので不安です。どうしたら言語化できるようになるか確実な方法はわからないけれど、まずは固く構えないスタンスが必要になる気がします。一度自分から意識を離して他の人の感情や価値観を聞いてみることで、自分像が見えてくるかもしれません。
④1つの考えに囚われがちで、気持ちの切り替えやストレスの発散が下手なこと→鬱病が長引いた原因。最近、主治医の先生に言われて気が付いた。ある種のこだわり行動なのかもしれないけれど、何とか柔軟になりたいな。繰り返し同じことを書いている日記やnoteを見返して先生の言うとおりだと気づいたので、毎日日記を書くことで自分の思考を自覚できると思う。
他にも、一度集中すると話しかけられた時にものすごく驚いたり、手先が不器用だったり、動きが遅めだったり、正直に何でも話してしまったり、服の素材に拘りがあったりするのですが、それはあまり困っていないので、深刻に考えていません。また、マルチタスクはできるし、表情を作ることもできるし、(多分)冗談は通じます。ASDといっても全ての特性を持っているわけではなくて、特性に含まれるものの中には普通にできることもあるけど、いくつか強く出る要素があると生きられる場所が限られるということだと思います。聴覚過敏があると街中や人が多く集まる場には長くいられなかったりするように。やってみたけど、私には接客や販売はできなかった。臨機応変なコミュニケーションが苦手なので、営業もできないでしょう。私は文系脳なので、技術職も難しい。発達障害とわかる前から目指していた司書は、特性的にも自分に合っていた。しかし、筆記試験は受かるのに、面接の壁が越えられない。次に考えた校閲も、未経験者が応募できてまとまった収入になる求人はほぼない。多くの人の中で働くのに不安があって、自己表現や臨機応変なやり取りが必要な面接をクリアできないとなれば、仕事探しは難しいのが現実だ。仕事が決まらなければ、引きこもりになるしかない。ボランティアとか友達と会うとか、仕事をしていなくても外でできることもあるかもしれないけど、自己肯定感が下がっていたらそんな気分にもなれない。引きこもると、ますます社会が怖くなる。その繰り返し。発達障害と引きこもりは背中合わせの関係のように思えました。マジョリティ、普通を正しいものとして意識することが生きづらさになっているのでしょう。自分に何度も言い聞かせていますが、働く場所は会社や組織だけではない。自分に合った働き方をすればよくて、主流でいられなくてもいい。社会的評価や安定度の高い仕事であることより、心の健康が大切。本心からそう思えて、枠に囚われた考えを本当に捨てられたら、自分を許すことができるのでしょう。なかなか振り切れないけど、自分の感情や思考を言語化できるようになって、人前に出ること、自分について聞かれることに対するハードルを下げていきたいと思う。
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