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『予告された殺人の記録』G. ガルシア=マルケス (著), 野谷 文昭(訳)、昔読んだような気がするし薄い文庫本だし、ちょいと中継ぎ的に読んでみたら、超ヘビーだった。

『予告された殺人の記録』1997/11/28 G. ガルシア=マルケス (著), Gabriel Garc´ia M´arquez (原名), 野谷 文昭 (翻訳)

『コレラの時代の愛』を読んだついでに読み直し。

 というか、『七つの殺人に関する簡潔な記録』マーロン・ジェイムズという、ちょいと前のブッカー賞の小説を読書師匠しむちょんに教えてもらって、次はそれを読もう、と思ったのだが、これがなんと二段組で700ページもある(6000円もする)超ヘビー級なので、すぐにそれにいくのを躊躇して、

 そうだ、「殺人の記録ってタイトルが似ているし、ガルシア・マルケスの薄い文庫本で間をつなごう」と思ったわけである。

 たしか大昔、封切り直後に映画を観た記憶はあるんだけど、小説も確かそのとき読んだはずだなあ。

 で、読んだら思い出した。読んでいた。怖い記憶が一緒に甦ってきた。

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 共同体の崩壊、古い時代の終焉、怨嗟、愛憎……、事項が重なり合って悲劇は起こる――。
 大ベストセラー『百年の孤独』の著者の、もうひとつの代表作。
 町をあげての婚礼騒ぎの翌朝、充分すぎる犯行予告にもかかわらず、なぜ彼は滅多切りにされねばならなかったのか?閉鎖的な田舎町でほぼ三十年前に起きた、幻想とも見紛う殺人事件。
 凝縮されたその時空間に、差別や妬み、憎悪といった民衆感情、崩壊寸前の共同体のメカニズムを複眼的に捉えつつ、モザイクの如く入り組んだ過去の重層を、哀しみと滑稽、郷愁をこめて録す、熟成の中篇。

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ここから僕の感想

 こわい記憶というのは、小説についてではなくて、これを読んで、自分でしたこと、実験してみたことの記憶なのだよね。うん。まあいいや。怖いから。

 中編というかやや長めの短編小説のよう。文庫で本編130ページくらいなんだけど。しかも、実際に起きた事件を綿密に取材して書いたものだから、これにはガルシアマルケス的な幻想も「お笑いユーモア」要素もないので、長編たちとはちょいと印象が異なるのだな。そのかわりに、ものすごく緻密に構成されているのだ。『コレラの時代の愛』のあとがきで、翻訳者・木村榮一氏はガルシア・マルケスの評伝、主要作品の親切な解説を書いてくれているのだが、この『予告された殺人の記録』について「ギリシア悲劇の形式が隠されている」と書いている。その通り、避けられない運命と言うかそれはあんまりという偶然のめぐりあわせで、最後の悲劇に全てがなだれ込んでいく、これは短い中編小説ならではの「かっちりと組み上げられた構成」に魅力の源泉がある小説なのだな。
 そのかわり、長編にあるような「いつまでも終わらない語りの快感」という、谷崎潤一郎的魅力はないのである。僕はいつまでも終わらないように語り続けられる小説が好きなので、そういう小説ではないわけだ。

 その終結に向かうひとつ前の章で、後日譚を挿入しているのだが、それが『コロナの時代の愛』につながる、長い年月の手紙と愛についてのエピソードで、このあたりも興味深い。そうか、手紙と愛っていうのはガルシア・マルケスには「文章を書く」ことの根源と、「愛」についてとを結ぶとても重要なことなんだな。

 それから、様々な資料にあたりながら過去の事実を掘り起こしながらドラマを組み立てる、という点では、「ガルシア・マルケスの再来」と呼ばれるフアン・ガブリエル・バスケスの作品にいちばん直接影響を与えている感はある。

 でもね、やっぱり幻想&ユーモア不足だと、暴力の陰惨さがどどーんと前面に出てくるから、短いのに重たくなるんだよな。軽く中継ぎに読もうと思ったら、薄っぺらいのに超ヘビーでした。


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