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『僕の違和感』 オルハン パムク (著), 宮下 遼 (訳) 日本とは違うのだけれど、どこか似ているイスタンブルの1960年代高度成長期から21世紀初頭までの時代。東北みたいな田舎から都会に出た平凡なボザ呼び売り(石焼き芋売りみたいな感じで伝統飲料を天秤棒で担いで売り歩く)主人公の生涯を淡々と描く、心に沁みる小説でした。

『僕の違和感』 オルハン パムク (著), Orhan Pamuk (著), 宮下 遼 (翻訳)

Amazon内容紹介

「我らが主人公メヴルト・カラタシュは、12歳のときに故郷の村からイスタンブルに移り住む。昼間は学校に通い、夜は父とともにトルコの伝統的飲料ボザを売り歩く日々を重ねて、彼は次第に大都会になじんでいく。そしてある日、彼はいとこの結婚披露宴で運命の恋をした――
ノーベル文学賞作家が描く、ある男の半生と恋と夢、そして変わりゆく時代。新たな代表作となる傑作長篇。」

ここから僕の感想


 主人公は1957年生まれ。僕より5歳年上だが、ほぼ同世代。トルコと日本は、アジア西と東の端で、欧米との境界に位置しているという共通点がある。もちろんそれぞれ全然違う歴史を経てきたし、宗教的背景など全然違うのだが、それでも、どこか似たところがある。日本が高度成長からオイルショックを経てバブル経済からその破綻そして現代へと至る時代に、やはり経済成長、都市化、西欧化が進む。


 そうした大きな変化をするイスタンブールを舞台にしたオルハン・パムクの小説と言うのは、(前に感想を書いた『赤い髪の女』もそうだったけれど)なんというか「半分くらい、同じ時代の東京とその近郊の変化シンクロしている」感覚があって、不思議な懐かしさと共感をもって読むことができるのである。

 首都アンカラのあるアジア側の半島側はほぼ農村が多く気候も寒く厳しい。そこから、欧州との境目にある大都市イスタンブールに、ちょうど高度成長期、東北から上野駅に集団就職だったり出稼ぎだったりで大量に人が移動したのと似た感じで、人口が移動、集中していく。そして、都市周辺のまだ荒地である国有地に「一夜建て」(ゲジェコンドゥ)という住居を勝手に建てる。国も、なんとなく黙認し、一夜建てを建てちゃった人は、土地所有権を認められて、都市住民となっていく。主人公の父親もそうやってイスタンブールに出てきて、ヨーグルトとボザという伝統的発酵飲料を、天秤棒に担いで売り歩く「呼び売り」として生計を立てていく。経済成長の中で、呼び売りから様々職業を変えて、チャンスをつかみ成功するものもいれば、いつまでもその境涯から抜け出せない者もいる。
 
 この小説、駆け落ち結婚をした主人公の、夫婦愛の物語でもあり、その親族や友人たち含め、一夜建てから、小さなアパート暮らしから、最後高層アパート(タワマンみたいな)住人になる、イスタンブールが変貌していく、都市自体が主人公のような小説でもある。

 この前読んだ、インド近現代史と主人公の一族の歴史がシンクロするサルマン・ラシュディ『真夜中の子供たち』は、荒唐無稽な主人公話の話(超能力者なのだ)と歴史的大事件が入り混じるマジック・リアリズム小説だったが、こちらの小説は、ごく平凡な主人公の、 リアルな小さな日常の出来事の積み重ねで淡々と物語は進んでいく。大げさなところは一つもないのに、身につまされ、胸に響く、そういう小説でした。

 無名で駆け出しのラシュディが「一発あててやろう」という野心に満ちて書いた『真夜中の子供たち』との比較で言えば、すでにノーベル賞作家として功成り名を遂げたパムクにとっては、奇をてらったり大向こうをうならそうというような気持ちは全くなく、自分の生きてきた時代の、イスタンブールの変化を、ごく平凡な主人公の人生を通して、ありのままに書き残そうという、そういう静かな思いでこの小説を書いたのだろうなあ。そういう境地で書いたからこその、味わい深さがある小説なのでありました。

 最後にもう一言。イスラム教における女性の地位とか立場というものが、この小説、というかパムク小説の特徴の一つなのだよなあ。『雪』の感想でも細かく書いたけれど。トルコの農村や、農村から出てきた都市住民たちの間ではそういう男女差別が色濃く残っていて。一方でそういうことからかなり自由なっている女性もそれなりに存在するというイスタンブールの「男女問題」の特異性というのがある。たとえば日本でも九州の田舎なんかで色濃く残る男尊女卑の感じとか、あるいは恋愛結婚とお見合い結婚が半々くらいであった高度成長前期くらいの感じとか、そういう社会や宗教やいろいろが入り混じったトルコの「男女問題」というのが、パムクの小説に独特の個性を与えている。日本の小説とも欧米の小説とも違う、女性の置かれた立場と、その中での恋愛とか結婚生活の機微。

 と言っても、差別されて悲惨、というだけの話では全然なくて、恋愛や結婚の駆け引きや家庭生活や親戚づきあいや、そういう中で、女性はちゃんと強く自己主張もするし主導権も握るのだよなあ。でも、欧米の基準で言えば、制度風習としてはひどく女性が差別されている。このあたりの機微というのは、小説という形で読まないと、理解できないことだと思うのである。パムク小説の夫婦関係の感じ、そう、夏目漱石の後期小説における夫婦関係とか、あの感じに似ているのだよな。「漱石小説における男女・夫婦問題と、オルハン・パムク小説における男女・夫婦問題の類似点について」とかいうテーマで論文が書けそうな気がする。比較すると、パムクの小説の方が、つきつめると、純朴な、純愛を信じているところがあるのだよな。男性側に。そこが、いちばん切なくていいところだと思います。

関連note

『真夜中の子供たち』(岩波文庫 ) サルマン・ラシュディ (著),  寺門 泰彦 (翻訳) インド現代史と主人公の個人史が深く連動するという企みの傑作、というと大真面目な小説と思うかもだが、奇想天外なファンタジーと、下世話な愛と性の一代記でもある。深刻な問題で悪ふざけをする人なのだなあ

『赤い髪の女 』と言ったら、日活の?と言われましたが違います。トルコのノーベル賞作家の最新小説です。なんだけれど、ものすごく読みやすくて面白い。海外文学苦手タイプの人にもおすすめです。

オルハン パムク『雪』を、政治・宗教小説としてではなく、『グレート・ギャツビー』とよく似た、究極の男子妄想恋愛小説として読む。


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