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無条件の愛

永遠の愛ではなく、無条件の愛の話

AppleMusicと契約したところ、サジェストしてくるいろいろな曲やソングブックを芋づる式に聞くようになってしまった。音楽で飽和してしまわないかが心配になるぐらい、無限に曲が提供される。ただ、どうやら私は音楽ととても相性がよいらしく、INFPらしい想像と妄想の波に浸りながら音楽をずっと聴き続けることができる。INFPとして生まれて良かったと思える瞬間でもある(INFPの人はお酒とか薬物に頼らなくてもすごく楽しいんですよと書いているnoteの記事をこの前読んだのですが、本当にそのとおりと思いました)。

ある日サジェストされた曲では、"unconditional love"とその強い意志が歌われていた。"unconditional love"とは、無条件の愛という意味らしい。


あまり聞きなれない言葉である無条件の愛からはどういう愛が思い浮かぶのか?
おそらくは、個々人が生まれ育った環境によって全く違うものになるのではないかと思う。

一般的(世間様的というか)には、親子の愛、特に親から子への愛が、最も思い浮かぶものなのかもしれない。仮に思い浮かばなくても、そう聞けば何の疑問を持たないものなのかもしれない。

でも、必ずしもそうではないことを知っている。私は。

どうやっても取れない染みのように体と心の底から、必ずしもそうではないということを理解している。

条件付きの愛のみ、例えば、わたしを満足させる特定の条件を満たさないとあなたのことは愛しませんというメッセージが示される場合も多々あるのだ。そして、そのことを理解できないらしき人たちから、親から子への愛が無条件であることを前提とした、もっと言えば、無条件を疑うことは許されないという強固な思い込みからの話を聞かされて、うんざりしたことが何度もある。

愛はunconditionalであるべきだという話と、現実にunconditionalの愛である(に違いない)という話は、全く別のものなのに。


少し考えてみて欲しい。

仮に無条件の愛を持っていたとしても、"I will love you"という強い意志を伝えたり、そのような意志に基づく言動を伴わずに無条件の愛を育むことができるかを。

愛は、自分がそう思っているだけで好き勝手にしたり何もしないでも自ずから生まれたり、相手を幸せにするとは限らないのである。むしろ、静かに部屋に忍び込む冷気のように長年にわたって相手の心を蝕むことにもなる(注1)。

無条件の愛を疑うことが許されないのなら、そこにあるべきだと硬く信ずるのなら、少なくとも、無条件の愛に近づけるだけの愛を己の心に育むように言葉を発し、行動するべきである。

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ところで、サジェストされたKaty Perry (おそらくHalseyに紐づいている)の曲の動画ですが、人種や性別に無関係の愛が表現されているんだろうなと思えるところがあって、しかもそれがごく自然に表現されててとても優しく穏やかな感じを受けました。Katy Perry本人もそんな感じなのかな?衝突してきた車を弾き飛ばしていましたが、これは、無条件の愛には(外部から相手を守るだけの)力を備えていることが必要であることを意味しているのでしょうか(注2)。


注1)自分の場合、長年にわたり自己肯定感の低さに苦しむことになりました。自己肯定感が低かったこと自体に最近になるまで気づかなかったぐらいです。自己肯定感が低いことは、(性別違和と同じく)欠落感として心と体を次第に蝕んでいくように思います。

注2)私の親は、子どもが言うことよりも第三者の他人が無責任に言うことを盲目的に信じることが多く、今考えると、それが最も嫌なことだったように思います。