【1分大学講義】スーパー言語と辞書 (パロディ人類学入門:2)
教授「人類学は辞書を作る営みと似ているんだよ。」
突然ですけど、辞書があるって物凄いことだと思いませんか?
今この世界では、ほとんどの言語が互いに翻訳されて、意味がほとんど対応していますよね。フランス語を勉強したければ、フランス語の辞書を買ったり、日本語とフランス語を話せる人に教わったりすることが出来ます。
それは英語やドイツ語、スペイン語でもそうですし、モナコ語やマラヤーム語、何とかスタン語でも当てはまるでしょう。
でもね、ぼくたちは何となくこの恩恵を享受していますが、少し考えてみると初めて辞書作った人って半端なくないですか?
全く分からない言語を自分の話せる言語に翻訳するのは、絶望的なほど難しいはずです。だって文法どころか一つの単語すらわからないんだから。
例えば、日本語人とポルトガル人が一番最初に出会ったとしましょう。そこで互いの言葉を理解しようとしたときに、そこからどうやって二つの言語を翻訳するのでしょう。
日本人(犬を指さして)「これは犬です!!」
ポルトガル人「 dedo indicador?」(人差し指がどうしたのですか?)」
日本人「デド、インディケーター? なるほど!犬はポルトガル語でデド・インディケーターというのか!」
こうなって、全然伝わらないことは間違いありません。
もし、全ての人間が共有して話すことが出来るスーパー言語があったのなら、そのスーパー言語を介することですぐに言語間の翻訳は出来るようになるでしょう。
でもそれが無かった以上、相手を理解するために少しずつ互いに歩み寄っていくしかなかったのです。
この作業は人類学でも一緒だと教授は言いました。
ある二つの異なる文化があったときに、互いに分かり合うことはとてつもなく難しいです。だって、それぞれの文化に属している人はどちらも自分の文化が絶対に正しいと思っているんだから。
そこにスーパー言語のような「これだけは絶対に正しいよね!!これが分からんお前らは劣ってるんだ!おらぁ!!」という考え方を持ち出さずに、互いの文化を少しづつ分かり合おうとする作業が人類学なんだそうです。
なんか、、、
素敵ですね。
これからもしっかり勉強していきます。
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