【1分大学講義】まっさらな自然 (パロディ人類学入門:4)
教授「まっさらな自然って本当にあるのかな?」
こう言った教授はいくつかの例を出してきました。
①自然公園
②ナチュラルメイク
「これらはいわゆる「自然」なものと言われてるよね、でも本当にそうなの?」
教授はこう問いかけてきたわけです。
①自然公園
ハイこちら、この写真の素敵な風景はアカーディア国立公園というアメリカの観光地で撮影されたものです。この国立公園は日本で言う屋久島のように一つの孤島になっていて、とても美しい自然が保存されているのだそうです。
いや~綺麗ですよね。死ぬまでに一回は行ってみたい!
まさに、「THE 自然」といった感じ!
でも、、、と教授は言います。
「私はこの公園に行ったことがあるんですけどね、ここに行くまでにはとても汚い場所を通らなくてはいけないんです。」
教授いわく、アカーディア国立公園は低所得な労働者を大量に雇用することで、この美しい風景を保っているそうです。なので公園の外縁にはものすごい数の低所得者が住んでいて、ゴミや異物が散乱しているらしいのです。
、、、オイオイ、それは本当に自然を維持していると言えるのかと。
確かに美しい景観をみて癒されるのはとっても素敵なことだと思います。
ただね、そうやって低賃金で労働者を雇って必死に美しい景色を保っている状態を見て、私たちは「自然だな~」と感動している。それには疑問が生まれますね、、
②ナチュラルメイク
これには教授の毒舌?が光ります笑
「あのね、今よく言われているナチュラルメイクはさ、今までの洗顔とか日焼け止めとか保湿とか、それらもろもろの長年の努力の上でのナチュラルでしょ? 私は研究でスーダンに行っていたんだけど、そこに住んでいる人たちはね、当然洗顔液も保湿クリームもないわけだから、肌なんかボロボロなわけ。もうね、ボロッボロ。でもね、こっちの方がよっぽど『自然』だよね。」
そう、ナチュラルメイクは全然ナチュラルなんかではないのです。人間本来のいわゆる「自然」な状態ではなく、作りに作って盛りに持った状態を「ナチュラルメイク」と称しているんですね。
言わばぼくたちの頭の中での「自然」なわけです。
この二つをまとめると、ぼくたちの認識している「自然」というのは本来の「自然」では全くないのがお分かりでしょう。
こうやってありのままではなく、自分の主観的に意味付けされた世界のことを「環世界」と言います。
環世界(かんせかい、Umwelt)はヤーコプ・フォン・ユクスキュルが提唱した生物学の概念。環境世界とも訳される。
すべての動物はそれぞれに種特有の知覚世界をもって生きており、その主体として行動しているという考え。ユクスキュルによれば、普遍的な時間や空間(Umgebung、「環境」)も、動物主体にとってはそれぞれ独自の時間・空間として知覚されている。動物の行動は各動物で異なる知覚と作用の結果であり、それぞれに動物に特有の意味をもってなされる。 (by wiki)
ぼくたち人間は(他の生物もですが)このような環世界を生きているのです。
そしてね、実は人間は「環世界をさらに分節化してこの世界をとらえている」らしいのですが、それはまたの機会に。
ありがとうございました!
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