見出し画像

短編小説 「コインランドリー」

なぜこの人は、涙を流しているのだろう。
いったい何があったのだろう。

その人は涙を拭うと、
そっと私の方に近づいてきた。


冬は、嫌いではない。

耳がちぎれそうな寒さも、
自分にとっては、なぜか心地よいと感じる。

凍りついた歩道を歩いていると、
コンビニへ到着した。
タバコを切らしていたため、買うことにした。
高校生ぐらいだろうか、若い女の子がレジで会計をしてくれた。

コンビニを出て、道をはさんだ向かいにあるコインランドリーへと向かう。
家に洗濯機が無いため、毎週土曜日のバイト終わりに、1週間分の洗濯物をコインランドリーで洗っている。

冷え切った引き戸の取っ手に手をかけ、中に入る。
ほんの少しだけ暖房が効いている。

立ち止まることなく、いつも使っている洗濯機へと足を進め、持って来た洗濯物をおもむろに放り込んでいく。

このコインランドリーは、
いつも自分以外人がいない。

でも、今日は珍しく誰かが来ていたようだ。
自分が使おうとしている隣の洗濯機には、すでに誰かの洗濯物が入っていた。乾燥を終えたであろう服が、寂しそうに洗濯機の中に放置されている。持ち主は、洗濯の合間にどこかへ出かけているのだろう。

いつも通りの手順を終えると、
洗濯機が動き出した。
ガッコンガッコンと大きな音を立てて動き出した。

洗濯が終わるまで、店内にある椅子に座って待つことにした。椅子の座面は少し冷たい。

夢を諦める、決意をした。

来月、実家へ帰ることに決めた。
高校卒業と同時に上京し、もう10年近くの年月が経とうとしている。
思えば、無謀な挑戦だったかもしれない。
ギター1本を片手に上京するという、ドラマみたいなシチュエーションを現実にしてしまったあの頃の自分が、一番ロックだったのかもしれない。
「いつかは諦めなければならない」
そう思いながら音楽を続けていたが、20代もあと数年で終わりを迎えてしまう。

3年前、赤い髪のあいつとの出会いが、
諦めかけていた夢をもう一度蘇らせてくれた気がした。マイクを持った小さな赤髪のあいつの姿と歌声は、俺の心を一瞬で奪っていった。
「自分とバンドを組んでほしい、一緒に音楽をやりたい。」
そう伝えた。

あいつとバンドを組んでからは、わりと順調だった。今までにないほど、数多くのステージにも立つことができた。自分たちの音楽が徐々に世の中に広がっていく感覚だった。

あいつは、もう遠くに行ってしまったのだろうか。
まだ音楽を続けているのだろうか。

俺たちがバンドの解散を決めたのが、ちょうど2週間前。あいつは俺の前から姿を消した。



引き戸を開けて、外に出た。
上着を中に置いてきたせいで寒い。

ポケットから買ったばかりのタバコを取り出して火をつける。洗濯の待ち時間に、外へ出た所にある喫煙スペースで一本タバコを吸う。これもいつものルーティーンだ。

あいつは、タバコを吸わなかった。
他のメンバーがみんな吸うからと、喫煙所について来て、ひとりだけそこでカフェラテを飲む。それがあいつのルーティーンだった。


店内に戻ると、洗濯機がさっきよりも大きな音を立てていた。残り時間があと8分と表示されている。

まさに今、この洗濯機は大サビを迎えている。

動いている洗濯機は、自分の使っているこの一台のみ。それを見ている自分も、隣の洗濯機も、いま座っている椅子も。この空間はコインランドリーではなく、ライブハウスへ姿を変えていた。彼の奏でる大きな音楽にのせて、みんな体を揺らしている。

急に音が止まり、
それと同時に終了を知らせる合図が鳴った。

ライブは終了だ。

あいつに一言謝りたい。
あんなくだらない喧嘩がきっかけで、解散にまで発展してしまった。

あいつに送ったメッセージは、ずっと既読がつかない。

洗濯物をまとめて、再び引き戸を開けた。

寒いな。でも、嫌いではない。

凍りつくアスファルトを踏みしめながら、自宅へと向かった。




あいつと、別れた。

この前、バイト先に新しく入って来た子が17歳だと知り、「若いね〜」と言いながら自分が歳を取ったのを実感した。

つい最近まで、
自分も高校の制服を着ていた気がするのに。
といっても、まだ私も21歳。
といっても、もう大学卒業だ。

床が少し揺れたのを感じた。

地震だろうか。
いや、違う。
この揺れの正体は、下の階にある。

引っ越してからもう2年ほど経つ。
私の住むマンションの一階は、古いコインランドリーになっている。
自分の理想通りの部屋を見つけた代償が、たまに起こるこの揺れだ。上の階まで振動が伝わる洗濯機とは、いったいどれほどおんぼろなのだろうか。
古くて汚いコインランドリーのため、人はあまり来ないのだが、たまに起こる振動には度々驚かされるハメになっている。

あいつと、別れた。

私が165センチもあるせいか、
あいつはいつも私の隣を歩く時に人目を気にしていた。髪の毛を赤く染めているあいつの方が、絶対に目立つのに。
ヒールを履いてデートに行こうとした時には、
玄関で本当に嫌そうな顔をしていたのを覚えている。

あいつはチビだけど、気遣いのできるやつだったから、私は好きだった。
絶対に私に道路側を歩かせなかったし、重い荷物は必ず持ってくれた。

でも、私たちはありえないぐらいの大喧嘩をした。

私があんなに怒ったのは人生で初めてだった。
それから別れを切り出し、もう2週間が経とうとしている。

あいつが置いていった、カフェラテの入っていた空のペットボトルは、まだキッチンに置きっ放しだ。

今日の朝、私の家に置いている服を取りに行くと、
あいつから連絡があった。

今はあいつと会いたくなかった。
顔を見るだけでも腹が立つ。

だから、下の階のおんぼろコインランドリーの洗濯機の中に、あいつの服を全部入れて置くことにした。どうせ誰も来ないコインランドリーだ、盗まれる心配もない。
あいつのところまで持っていくのもめんどくさいし、かなり名案だと思っている。

「下の洗濯機にさっき入れておいたから」と、メッセージを送っている。
たぶん、もうすぐあいつは、下のコインランドリーに自分の服を取りに来る。




しかし、まだ来ていないのだろうか。

少し気になって窓を開けると、
冷たい空気と一緒にほのかにタバコの匂いがした。

最悪だ。

勢いよく窓を閉める。
朝からテンションが下がる。

コインランドリー前の喫煙所で誰かがタバコを吸っているのだろう。昔から、タバコの匂いを嗅ぐと、頭が痛くなる。

あいつも好きだったタバコ。
そう言えば、私がやめてと言ってからはきっぱり吸わなくなった。

朝ごはんでも作ろうと思い、キッチンへ向かおうとすると、あいつがUFOキャッチャーで取ってくれたぬいぐるみが目に入った。

楽しかったあいつとの思い出のひとつだ。

些細な思い出から大事な思い出まで、たくさんあいつと作って来たけれど、いずれ忘れてしまうのかと考えると、少し悲しい気もする。

いま、あいつは何をしているんだろうか。
ひとりでうまくやれているのだろうか。
ちゃんとご飯を食べているのだろうか。


あれ、会いたいのかな。私。




数週間前に始めたコンビニのバイトも、少し慣れてきた気がする。

学校帰りにバイト募集中の張り紙を見つけ、ノリで受けたところ、あっさりと受かってしまったのだ。

私の高校は、バイト禁止ということになっているが、たくさん遊ぶお金を稼ぐため、こっそり働いている。まだ仲の良い友達にしか、ここでバイトをしていることはバレていない。

誤算だったのは、このコンビニは思いのほか忙しいことだった。駅の周辺には、このコンビニと向かいにあるコインランドリーしかないためか、通勤や通学の時間帯はレジに長蛇の列ができる。

コンビニは、本当にいろんな人がやって来る。

子供からお年寄りまで、
親切な人から無愛想な人まで、
いろんな人がやって来る。

1時間ほど前に来た客はひどく無愛想だった。
私が「いらっしゃいませ」と言いながら渾身の作り笑いをしてみせたのに、こっちを見向きもせず、小さな声でタバコの銘柄を伝えてきた。

コンビニバイト歴数週間の私が銘柄なんて覚えているわけがない。
「番号で言ってもらえますか。」とお願いすると、
かるく舌打ちをして、また小さな声で番号を伝えてきた。

店員をなんだと思っているのか。
バチでも当たればいいのに。
腹が立ったから、そいつが店を出て行く後ろ姿を睨みつけてやった。

ずっと睨みつけていると、そいつは向かいのコインランドリーに姿を消した。



世の中には、そいつみたいなひどいやつもいれば、親切な人もたくさんいる。

ここでバイトを始めてから初めて喋った先輩はそんな人だ。

何回かシフトが被ったことがあるが、何から何まで優しく教えてくれるし、いつも会うたびに笑顔を向けて喋ってくれる。
先輩は、今年で大学を卒業するので、私と4つ歳が離れているが、友達感覚で話すことができる。先輩は私のことを一つ年下ぐらいだと思っていたらしく、年齢を伝えると「若いね〜」と驚いていた。

そういえば先輩は、この前恋人と大喧嘩したと言っていた。あれからどうなったのか、わりと気になっている。
今度シフトが一緒の時に聞いてみよう。


自動ドアが開いた。

入店の音楽が流れる。


「いらっしゃいませ〜」と言いながら、いつもの作り笑いをする。



え。



入ってきた人を見て、思わず声が出そうになった。


なぜこの人は、涙を流しているのだろう。
いったい何があったのだろう。

その人は服で涙を拭うと、
そっと私の方に近づいてきた。


「カフェラテ、一つ。」


私はお金を受け取ると、専用のカップをそっとその人に手渡した。
コンビニバイト歴数週間、泣きながらカフェラテを買うお客さんは、もちろん初めてだ。


向かいにあるコインランドリーへ行った帰りなのだろうか。その人はなぜか、何着かの服をそのまま抱えている。


「ありがとうございます」


その人は私の目を見てそう言うと、
コーヒーマシーンのところまで歩いて行った。


赤い髪の毛をした女性だ。


背の低い小さな背中が、
泣いていたせいか、さらに小さく見えた気がした。

彼女は、カフェラテを入れ終えると、自動ドアを出て、店の前に設置された灰皿のあたりで立ち止まり、ゆっくりとカフェラテを口にした。


綺麗な赤くて長い髪の毛が、冬の冷たい風になびいている。

彼女は、コンビニの向かいにあるコインランドリーを見つめていた。


なぜ彼女は、涙を流しているのだろう。
いったい何があったのだろう。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?