見出し画像

いつの間にか幸せを願っている存在

「親友とは」

僕が大学生活を過ごす中で、自分の捉え方が変わった言葉がいくつもあります。その中でも、割と大きく意味合いが変わったし、そのおかげで気持ちが楽になったなと思う言葉が「親友」です。

皆さんはどんな関係性のことを親友って呼びますか?

大学に入る前までの僕の中では「一番仲の良い友達=親友」でした。

もちろん、親友とはそういうものだって信じていたのですが、気づかぬうちに、親友という言葉に苦しめられていました。

そもそも、一番仲の良い友達が親友となると、今ある関係に自然と順位をつけることになります。
しかも順位をつけるからには、自分も相手にとっての一番じゃないと「あれ、親友じゃないのかも」という疑いが芽生えてくるんですよね。

苦しめられていた時には気づかないけれど、今振り返ってみるとそんな想いがあったからこそ友達は沢山いるのに孤独を感じるみたいなことがあったんだと思います。

少なくとも3年半前の僕はそうだったみたいです↓

でも今の僕はというと、有難いことに親友と呼べる関係がいくつかできました。そして、そういう人のおかげで1人でも大丈夫だって思える瞬間があります。

じゃあ、その違いはなんなんだろう?
そう振り返ってみた時に出てきた結論が、僕にとっての親友の定義が変わったことだなって思います。


今の僕にとっては「ふとした瞬間に幸せになってほしいと願ってしまう友達=親友」だと感じています。

例えば、悩みを相談されて一緒に解決しようとする時だったり、自暴自棄になっているときに優しい言葉を掛けてくれる時だったり、ただただ一緒に「美味しい美味しい」連呼しながらご飯食べてる時だったり。

一緒にいて、幸せだなって思うと同時に今目の前にいる人も幸せでいてほしい、幸せな未来になってほしいって自然と思える相手がいるんですよね。
そんな友達が、今の僕にとって親友と呼べる相手なんじゃないかなって思います。


と、「親友」の定義とは!みたいな話を偉そうにしてみたのですが、このことは自分が見つけたというより、今自分の周りにいる親友が感じさせてくれたことを言語化してみたって方が近い気がしています。


どういうことかというと…
孤独を感じていた時期って、今の僕には親友がいないって思っていて、だからこそ探しては苦しむみたいな感じでした。

でも、実際は探すことにがむしゃらになって気づいていなかっただけのような気がします。

いざ見渡してみれば、僕が嬉しそうな様子を見て「なんで君がそんなに?」って思うくらい喜んでくれる友達がいて、僕のことを本当に好いてくれてるんだなって思うようなメッセージを送ってくれる友達がいて。

相手が本当にそう思っているかはわからなくても、幸せな状態であることが誰かの幸せにも繋がったりするのかもなと思えるようになりました。

そんな親友がいたからこそ、自分の中に「ふとした瞬間に幸せになってほしいと願ってしまう友達=親友」という考え方ができていったんだろうなと思います。

何か意見を言いたくて書いた文章ではないので終着点もなければ、なんだか抽象度の高い記事になりましたが、今の自分の感じていることを書き残せた気がします。

親友が想いだけじゃなく行動で伝えてくれた分、僕自身も大切だと思える相手に行動で返せる人間になりたいです。


今日もここまで読んでいただきありがとうございました!


では、また。

この記事が参加している募集

#とは

57,748件

いつか僕の記事を読んでここのボタンを押してもらえた時には、夢叶えて誰かを笑顔にするために使います。もしも僕にその価値を見出してくださった時には精一杯の感謝を!