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大人になるということ

実家で暮らし始めて4ヶ月目になる。
父、母、兄、妹、祖父、私の6人暮らしだ。
閉鎖的で抑圧的で停滞した空気感の中で暮らしていくことは容易ではない。
その暮らしの中で一つ気づいたことについて残そうと思う。


大人になるということは安直に言えば歳を取るということ。
歳を取るということは、いろんな物事が何らかの制限により達成出来ないことが増えていくということ。

大人になるということは歳を取ることで、何らかの制限により遂行・達成出来なくなったことを、何らかの形で目の前に突きつけられた時、向き合ったり逃げたりしながらも、いつかは許したり諦めたりすることで、受容し、認め、そんな自分と共に生きていくということなんじゃないかと思った。


同居する祖父から感じたエピソードを一つ。

祖父はあと3ヶ月弱で91歳になる。
年相応に記憶力や体力は衰退し、寝ていることが多くなった。
だけど、杖を使いながらも自分の足で歩けるし好き嫌いなく食事も行える。
なかなか丈夫な人なんだなあと日々観察している。

ただ最近は持病の薬の影響で、利尿作用が強いものを服用し始めた途端、トイレに間に合わずトイレ前で失禁することが増えた。
本人は「こんなことも出来なくなるだなんて」と酷く落ち込んでいる。
父の思い通りに動かない祖父に対していつもなら怒鳴り散らす父も、何も言えずにいる。

介護施設で働く母の提案で部屋にポータブルトイレを設置した。
介護認定を受けていない祖父は介護施設の利用やヘルパーさんの介入はすぐには出来ない状態のため、応急措置として設置に至った。
全員が働いていて、今家に一人にするのは誰もが心配であった。

けれども祖父はそのポータブルトイレが設置された途端、失禁しなくなった。

自分の人間としての尊厳を必死に死守するかのように。
自分はまだそこまで落ちぶれてなんかいないぞと示すかのように。

いずれはその強い意志すら打ち砕かれて、諦念し、受容するしかなくなるのだろうけど、祖父はその瀬戸際で戦っている。

その過程を繰り返すことで人間としての深みが増していくのかなと。
いわゆる大人の階段を登るとでも言うのかな。


改めて大人になるということを言葉にするならば、新しい人や経験とより多く出会うことで、自分の苦手なところ弱いところ嫌いなところと直面する機会を増やし、何らかの形で向き合い、受容していく。

大人になるってことは自分に優しくなるってこと。
自分に優しくなるってことは他人に優しくなるってこと。

なんか大人になるって良いこと尽くしっぽいね。

今は祖父を含めて、両親や兄妹の暮らしを間近に見ることでいろいろな発見がある。
実家で暮らすことは私にとってあまり好ましくないけど、いろんな年代で暮らす毎日は多くの気づきがある。それは良かったと思える。


もう少しだけ、学ばせてもらおう。


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