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クラスに必ず不登校児が出る先生,私には可愛げが無かった

可愛げって何だろうか。とにかくあの時の私は可愛げを求めて苦悩していた。

中高六年間、私の学年団にいた斉藤先生は女の子っぽい先生だった。女性だから女の子っぽいのは当たり前かもしれないが、そういう女性らしさではない。授業道具を持ち歩くカバンにアンパンマンのキーホルダーを5,6個ちゃらちゃらつけたり、教室にぬいぐるみを飾ったり、体育祭の写真をデコって教室の後ろの壁に貼ったり、生徒の集合写真を手帳の表紙に見えるようにはさんだり、といった若干生徒への媚びを含んだ「女の子っぽい可愛らしさ」である。当時の私はそれがとても苦手だった。可愛らしいもの・可愛らしい性質を愛でる女の子っぽさは性別にかかわらず人間誰しも多かれ少なかれ持っていると思う。が、若い女の先生がクラスの運営に関してそれを前面に押し出しているのが気にくわなかった。生徒である自分にも可愛らしさ、学生らしさ、素直さ、生徒っぽいという確立したキャラ、そういったものを求められている気がして苦しかったのだ____

当時の私はこの苦しさの正体が分からず、ずっとうまく表現できなかったのだが最近になって言語化できるようになってきたので、それについて詳しく書いていこうと思う。

斉藤先生という数学の先生は生徒のことを、ほかの生徒にもそう呼ばれているあだ名や、ちゃんづけで呼んだ。「さとしゅん」「うめちゃん」「けんたろう」「あいちゃん」「さやっち」など。あだ名が無かったり、ちゃん付けが相応しくないような子のことは「石原さん」といった感じで呼んだ。そんな子はほとんどいなかったけれど。
学年団の先生だったので、その先生に6年間、数学の授業やそれ以外のことなどでお世話になったのだが最初の一年弱、私は斉藤先生に「苗字さんづけ」で呼ばれていた。
中一の時の私は、定期テストはいつも学年10番以内、宿題をきっちりやり無遅刻無欠席、授業中にクラスのみんながつまらない冗談で笑っていても周囲に迎合せずに愛想笑い一つ浮かべず、剣道部の活動もサボらず毎日素振りをするような、そういう子だった。つまり、真面目と言えば聞こえはいいが、堅物みたいな子だったのだ。だが多くの堅物と思われる子の大半がそうであるように、実際は友達も少ないながらにいて、休み時間にふざけあったり学校帰りに寄り道してアイスを食べたり、文武両道で端正な横顔の男の子に片思いをしたりするような普通の子でもあった。
そして普通の子のように他者や先生からの評価を気にした。だから、私以外の八割ほどの生徒が斉藤先生に親しみ深くちゃん付けされるなかで私だけが苗字さんづけで呼ばれるのは淋しかったし辛かった。別に斉藤先生のことは特別好きというわけではないけれど、私もちゃん付けで呼ばれたい。好かれたい。「勉強できないのに斉藤先生に可愛がられて構ってもらえる子、羨ましいな~」と漠然と思っていた。

中一の冬になって、上記とは別の理由で学校へ行くのが面倒になり頻繁に遅刻をするようになった。宿題はほとんど出さないし、授業中は当たり前のように寝る。まれに宿題を出したとしてもノートの余白は下手な落書きだらけ。
ある時、数学の授業で斉藤先生に落書きだらけの宿題ノートを出すことがあった。先生に直接手渡して中身をみられた瞬間、
「みなこちゃん!」
と呼ばれた。
驚いて見上げたら斉藤先生が私を見てにこにこしている。
「落書きだらけじゃない~!なにこれっスヌーピー?ちゃんと作図を書いて出して!もう、みなこちゃんったら笑笑」
私は怒られている状況にもかかわらず思わず相好を崩して先生のお説教を聞いてしまった。

そのときから私はほぼ無意識に斉藤先生の前で可愛げを見せるための努力を始めた。その授業で提出するノートはcampusの可愛い柄の表紙のものを使ったり、先生が冗談を言ったりトチったりしたときにクラスのみんなと一緒に笑ったり、点呼されたときにボーっとしたふりをしてワンテンポ遅れて「アッはい!!(すっとぼけているが可愛らしい表情)」と返事したり。「ちょっと抜けていて隙のある可愛らしい子」を演出していた。しかし先生の私の呼び方はごくたまに「フジさん」に戻って、そのたびに私は「あれ、今私かわいくないのかな。」とドキドキした。そして、苦心して作り上げた「ヌけている」キャラが板について「本物の鈍感」になったと感じた時には私は「可愛げが無い単なる馬鹿な子」になっていた。
この変化が斉藤先生のせいだとは言っていない。私が普通に成長しそこなっただけである。しかし。

先生ってこういう人で良いのだろうか。大人になって社会に出れば可愛げの重要性を理解するし、可愛げを発揮する力は対人経験の量によって蓄えられるものであると思うが、少なくともその練習相手が学校の先生である必要はなかった、と私は考える。相手はクラスメイト、部活の先輩、学外の大人、これだけで十分なのである。

学校の先生は生徒と同じ立場に立ってはいけない。先生‐生徒という決して対等ではない関係の中で、生徒と同じような視点・価値観で生徒を測っていたら、先生である理由がなくなってしまう。先生というのはクラス内の友達関係といったものから超越した存在でなければならないのだ。
斉藤先生の態度は、「可愛げのあるものが好き」という単なる依怙贔屓よりも、もっと根が深くタチの悪いものであった。この気持ち悪さをうまく言えなかった私は周りの友達に「なんとなく斉藤先生はいけ好かない。」と表現していた。先生は嫌味を言ったり誰かをいじめたり変な態度を取ったりするようなことはしないし、優しそうだったからハッキリと悪口を言えなかった。唯一、5年生になった時にできた友達が「サイトウ嫌い。だってあいつ頭悪いやつが好きじゃん。」と言っていたが、彼女は斉藤先生にケンカを売りつつも東工大に現役合格していた。そういえば彼女も「遠藤」って、苗字呼び捨てにされていたな。

在学してるときから気づいていたのだが、斉藤先生のクラスはクラス替えがあったのにもかかわらず6年間を通して必ず不登校児がいた。拒食症になった子もいた。たまたまかもしれない。必然かもしれない。

表面上は人当たりがいい斉藤先生だけど、生徒は上手く言語化できないながらも感じるものは感じるのだろうな。
中高六年間という、自分の理想やあり方を確立し蛹から蝶になっていく時期に、強い者によってじんわりと揺さぶられる自己。
あの時弱かった私は、斉藤先生が担任になっていたら確実に不登校になっていただろうな。そして自分が不登校になったり理由もうまく言えずに終わっていただろうな、と今になって思う。



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