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惨めな子ども時代を経て親になった私は、我が子が羨ましい

今年になってからは、笑って過ごす日々が多い。

家庭も仕事も穏やかに回っている。娘もめちゃくちゃ元気!

そんな時、ふと、我が子の娘が羨ましく思う。

私は子ども時代、あんまり恵まれてなかったと思う。常に惨め、劣等感を感じていた。両親揃って暮らしている家庭の友人が、羨ましかった。父親という単語を躊躇わず会話で使用している友人が、羨ましかった。

もちろん両親揃っているから幸せとは限らないけれど、表面上は欠けているものがないので、私には幸せに見えた。

いま私の娘は、私がかつて羨ましいと思っていた家庭環境にいる。

夫が娘を抱き寄せている姿は、とても嬉しい。

そして、嬉しさと同じくらい娘が羨ましい。私も父親にこんな風に、世話してもらいたかったのかしら。私には、父と過ごした記憶が断片的にしかない。

私は家庭を持つことに憧れていた。しかし、家庭を持つことが怖かった。壊したり壊れてしまうものを持つのが、怖かった。

夫は、私とは正反対で、絵に描いたような家庭で育った人。同棲を機に、お互いの親へ挨拶した。物で溢れた私の実家の団地へは招待出来ず、近くのファミレスで夫と母は会った。

一方、3年前に建て替えた夫の実家は、とても綺麗で、犬までいた。料理人の夫の父が、たくさんの手料理でもてなしてくれた。ランチョンマットに小鉢に色鮮やかな料理に圧巻された。夫は、これが普通だったようで…驚いた。介護福祉士の夫の母は、夫の子どもの頃の家族のアルバムを見せてくれた。私には人に見せたいアルバムはない。

夫は幸せな家庭の人だと知り、安堵とともに落胆に似た感情を抱いた。私は夫に不相応だと感じた。

夫の両親に、私は母と2人で暮らしていたことを話すと、惨めな自分に涙が出そうになった。次は何を質問されるのか怖かった。けれども、私が惨めになる質問はされず、私の父親についても聞かないでくれた。とても有り難かった。

そして夫の母と実母に急かされるように、私たちは結婚をした。1年半後には娘が生まれた。

父と母と子と暮らすこと。きっと大抵の日本人は当たり前なんだろう。私の夫や娘にとっても自然のこと。

私の惨めは、私が羨んでいた家庭を持てば昇華するのではと期待していた。だから必死で家庭を守ってきた。けれども、いま私は娘を羨んでいる。娘が夫が経験している普通の家庭側にいるから。根っからの僻み屋。

今年5歳になる娘。いつか私の父母について聞いてきて知ったら、なんて言うのかな。

私は、可哀想な子ども時代だったかもしれないけれど…

私は私が羨んでいた家庭を持てて、幸せなことを伝えたい。

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