生きる

生きるのがこわい。
実感をもって生きるのが。
心が生き生きと「いま」に呼応し、生身の「わたし」にダイレクトに伝わる生き方をしてしまったら、何か怖いことが起こるんじゃないかと、こわい。

「わたし」を幾重にもぼやかして、なにが自分の気持ちかも分からないような酩酊状態で生きていると、楽しくはないけれど、何かあった時に強く傷つけられることもない。
まるで、世界との間に分厚いガラスの隔たりがあるように、わたしを守る。

でもたまに、自分を呼び起こすようなものに遭遇して、心が動く。
それまでの時間ばかり積み重ねた数年の、下手したらこの数十年の感覚を煮詰めても足りないくらいの濃密な「一瞬」を感じる。

分厚いガラスにできた風穴、すこしの隙間風。
さわやかな風が、わたしの中を隅々まで駆け抜けていく。
ああ、たのしい。
わくわくする。

そして、焦がれる。
常に「わたし」がむき出しで、生の感覚で、生きれたら、こんなにもたのしいのだろう。

生きてみたい。

けれど、こわい。

だけれども、凡庸で重苦しく、永遠に続くかのようなこの偽りを生きることのほうが、そしてそのまま一生を閉じることのほうが、こわくはないだろうか。
わたしが何処に在るのかすら、分からなくなってしまうことのほうが、こわくはないか。

もうすぐ大好きな夏がくる。
目に眩しい光の世界で、風は強くさわやかに吹きすさび、新芽を揺らすだろう。

ガラス戸を開け、あの光のもとへ行ってみようか。
今度こそわたしは、あの風を真正面から感じられるだろうか。

#創作大賞2023 #エッセイ部門

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