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noteの使い方について考える

前置き

前回も含めて、また多くの方の目に留まったようで嬉しかったです。読んでくれた皆様、ありがとうございます。

実は先日の記事を投稿してから風邪をひいてしまい、今日まで寝込んでいました…。その中で、少しずつ「スキ」やフォロワーの数が増えていくさまを見て、元気をもらっていました。一方通行ですが、皆様の反応が励みになりました、ありがとうございます。

私は幸いただの風邪でしたが、インフルエンザやコロナが流行っているようですので、皆様もご自愛ください。

noteの使い方について考える

病床に伏している中で、今回の自分は「皆様のリアクション数」に励まされましたが、一方でこれは「数字の奴隷になる」、果ては「依存症」になるという危険性もはらんでいるなあ、と感じました。

(もちろん、読んで「スキ」等リアクションしてくれた方々が悪いとはまったく思っていません。)

「数字の奴隷になる」危険性

TwitterやInstagram、Tiktokでは、情報の受け手がどれくらい"反応"したのかが、いいね数・フォロワー数といった「数字」で簡単に分かります。

どんな投稿が「いいね」を集めやすいのか、どんなトレンドが生まれているのか、こういった広範囲の人々のデータが誰でも分かるようになったのは、インターネットが本当にみんなに普及したことのメリットなのだと思います。

一方で、デメリットは情報の伝達が「速すぎる」ことです。
「価値」の本質は「差異」ですが、情報が広がるスピードが速ければ速いほど、差異はすぐ無くなり、それまでの価値は陳腐化します。

つまりSNS社会の中で「価値ある投稿者」で在り続けようと思ったら、
より「数字」を持つ人やコンテンツから、価値の本質である「違い」を見つけて参考にして、トライ&エラーの中で自分の「数字」を高めていく、
まとめると
高速の変化の波に乗り続けて、自分も変化し続けていくことが重要である
ということだと考えています。

ただ、これが結果的に「数字の奴隷」状態を招くと私は思っています。

「依存症」になる危険性

個人なら「自分の価値を高めたい」という入り口で数字の奴隷になりますし、
企業(法人格)なら「利益を追求したい」という入り口で、やっぱり数字の奴隷になります。
おそらく現代の中では自然に入っていく道なんだと思います。
ただし、自然な成り行きならOK、なのかというと私は否だと思っています。

その理由は、個人においては
「数字の奴隷」になることが「報酬系を刺激されること」すなわち「依存症」の入り口にもなると考えているからです。

「数字の奴隷」状態の人にとっては、数字が増えることが1つの「成功体験」となり、アドレナリンが分泌されて快楽を感じ、報酬系が刺激されます。あとは誰もがよく知る通り、より強い快楽を求めてより強い刺激(より大きい「数字」)を欲してしまう、
つまりSNS依存症に陥ってしまうのだと思います。

私のnoteの目的:僕自身の整理と訓練のため

特に私は前述のとおり「繊細さん」で、そういった刺激を強く感じやすく、何かに依存しやすい傾向があります。実際、4年前に別のモノで軽い依存症を発症して以来、今も二人三脚でやってます。

そんな自分にとって、改めてこのnoteの目的を定義するなら、
僕自身の整理と訓練のためのnote
になります。
(サカナクションが好きなので、山口一郎さんがこの間出版された詩集のタイトルを参考にしました。まるパクリです。笑)


実は私は、記憶力がすこぶる悪くて「いつ、何を話したか」「いつ、どこへ行ったか」など全然覚えられず、よく友達や恋人に怒られたり悲しまれたりしています。
なので、まずは日々の出来事を、なるべく自分自身の感情や印象も込めて日記として覚えていきたいです。

次に、「自己紹介」の記事でも話した通り、私は自分を表に出すことがとても苦手で、評価に怯えてしまう / あるいは依存症のように過度に振り回されてしまう、という弱さがあります。
弱さを否定する気持ちは全くありませんが、それでも自分は自己表現できる自分でありたい、という強い想いがあるので、やっぱり皆が読むnoteという環境で日記を公開していきたいです。

まとめると、すんごいワガママですが、
なるべく多くの人に見てもらいたい、反応してもらえるとすごく嬉しい
でも反応してくれる他人のことは、なるべく一切考えずに自分の思うままに書きたい
という結論です。笑

(ゆくゆくはそれが自分の価値になれば良いな、更にはそれが人が幸せになる手助けになったり、依存症回復のきっかけになったりすれば良いな、という望みもありますが、それはまたゆくゆく…!!)

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