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【HSS型HSP】受け入れたら楽になるって本当?


私には、激しい二面性があります。でも自分の周囲にいる人々は、おそらく私を二面性のある人間だとは思っていないでしょう。私の一面は人前で明るく、そしてもう一面は、たやすく人に見せることがない繊細な部分だからです。

行動力があり大胆なのに、繊細で傷つきやすい。

みんなが簡単にできないことは躊躇なくできるのに、みんなが当たり前のようにやっていることができない。(例えば一人で海外に飛び込むことはできるのに、足並みをそろえて集団生活を送ることは苦しくてたまらない)

明るく社交的なのに、大勢でいると疲れる。

飲み会とか遊びに行くのとか、行く前は大好きって思うのに、いざ行くとなると心が重くなる。終わった後はどっと疲れ、自分の中身が空っぽになったように感じる。

友達が多そうって言われるけれど、自分ではそう思わない。人とかかわるときは基本的に、無意識のサービス精神が働いている。内面を見せることができない。

基本的に初対面であっても人と気さくに話せるが、踏み込んだ関係になることは避けてしまう。無意識に会話モードのスイッチをオンしていて、オフの姿は基本的に人前では見せない(これも無意識にやっている)

そして、そんな自分の二面性が気持ち悪くなることがある。どれが本当の自分かわからなくなる。「裏表のある人間」みたいで、そんな普通じゃない自分に苦しむ。

私は、こんな自分の二面性が嫌いでした。いや、この世界に自分のような人ばかりが溢れているのであれば、きっと嫌いにはならなかった、と思う。私が自分の二面性に嫌気がさすのは、世界には自分ほど激しく矛盾する人間など存在していないと、日々生きる中で感じてしまっているからでしょう。

カテゴライズなんてされてたまるか、とは思いつつも、いつだってどこにも属すことができない、そんなどこか俯瞰的で、一つの環境に心から身をひたすことができない自分に引け目を感じていました。なんだか社会不適合者みたいだ、と思っていた。みんなが自然に、違和感もなくできることが、私にはできなかったから。


◆「気持ち悪い二面性」は「生まれ持った性質」なのだと気づいた


HSP(Highly Sensitive Personの略。ここでは説明を割愛します)のことはずっと前から知っていて、その気質はあるかな?と思いつつも、でも心のどこかで「HSP」という属性に対しても完全に身を寄せることができずにいた。

YouTubeやウェブ記事で情報を集めていても、共感できる部分もあれば、まったく共感できない部分(自分にはそういった兆候や習慣がないな、と思う瞬間)もあったから。

でも最近どうしても精神的につらくて、そのつらさを緩和させたくてHSPについての情報を集めていた。その中で出会ったのが、ロンドンブーツ淳さんのこの動画。

淳さんは自身のことを『HSS型HSP』とおっしゃっていた。

HSSとはHigh Sensation Seeking(刺激探求型)のことで、内向的で静かな生活を好む本来のHSPとは違い、どちらかというと外向的で好奇心が強いタイプを指します。つまり「HSS型HSP」とは、「非常に敏感なのに刺激を求めてしまう人」のことです。
(引用元:矛盾だらけの「HSS型HSP」。刺激を求めるのに疲れやすくて傷つきやすい人が “ラク” になるコツ

HSS型HSP、この性質を知ったとき、あ、これはまさに自分だ、と、初めて腑に落ちる感覚がありました。自分の二面性は生まれ持ったもので、簡単に変えられるものではないし、むしろ変えなくてもいいし、そういう人間なんだ、と思うことができました。

又、HSPは人口の約15~20%の割合で存在しているといわれていますが、その中でもHSS型HSPは人口比率6%と言われています。つまり、完全なマイノリティです。

この事実を知ったとき、ああ、どうりで身近には理解者がいないだとか、自分だけがこのおかしな二面性で苦しんでいるんだとか、妙に納得できた気がします。


◆だからって、別に楽になったわけじゃない。

ところがこうして調べていくうちに、「HSS型HSPはマイノリティで武器になりうるが、その相反する性質のため周囲から理解されづらい」だとか、「結局は自分の性質に合う環境に移行するしか、生きやすくなる術はない」だとか、そういう絶望極端な解決策のみが残っていく感じがして、私は今、なんだか心苦しいです。

現状を嘆くことは何の改善にもつながらない、ということは、痛いほどにわかっています。それでも私はこの性質に、今はきちんと立ち向かうことができない。受け止めきることができない。

自覚しないほうがよかったのかも、とさえ思いました。

自覚することで、いいなあと思えたこともあれば、結局はこの状況ではどうにもならないんじゃないか、と絶望する感覚も芽生えた。

理解してくれる人を大切にする、でも、理解してくれる人なんていない気がする。

HSS型HSPの良さが生かせる仕事に就く、それもごもっともだと思う。けれど私は、High Sensation Seekingの感性に身を任せて、4月からまったく新しい仕事に就いたばかり。これからやりたいと思っていた分野の業務に従事できる予定だけれど、そこはチームで働くことが求められ、常に人とかかわっていかなければならないはず。というかそもそも、これから本格的に始まる仕事内容なんて、今からは未知数すぎる。HSS型HSPの良さが生かせる環境かどうかなんて、現時点では何もわからない。

自分に合う環境や仕事を見つけるのがいい、っていうけれど、そういうのって結局蓋を開けてみないとわからないことが多い。それが今、私はすごくしんどいです。

HSS型HSPの性質を持つ人は、変わり者で天才肌と形容されることが多いそうです。そういう良さやプラスの面を愛しつつも、私は今、誰にも理解されずにいる現状がもどかしい。

わかりやすくはきはきした人、わかりやすく内向的な人であれば、どれだけ楽に生きられたんだろう。どれだけ周囲からのギャップと苦しまずに、生きていけたのだろう。

HSS型HSPという性質を思い知るたびに、私はそんなことを考えてしまう。ダメですね、仕方がないことか。いつかこの性質を知ってよかったと、この性質を持つ自分が自分でよかったと、そう思える日まで気持ちを綴れたらと思います。


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