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歌 | ビートたけし『浅草キッド』カバー&感想

めちゃくちゃいい曲があるので紹介させて下さい。ビートたけし(敬称略)の『浅草キッド』という曲です。世代が上の方はご存知の曲かもしれないけど、若輩者の私は先日テレビの演芸番組を通して初めて聴きました。


この曲には、浅草の売れない漫才師が、いつか売れる日を夢見てもがく姿が描かれています。歌詞に登場するのは売れない芸人のリアルな暮らし。仲見世通りで煮込みとチューハイを飲み、こたつ一つしかないアパートに暮らし、揃いの背広と蝶ネクタイを買い揃え、貧乏暮らしをネタにして、それでも演芸場には客が二人だけ。歌詞の一行一行から、なぜかまるで走馬灯のように、好きな芸人さん達の姿が浮かんでは消え浮かんでは消え、最後には彼らの浮かばれぬ努力や人生の哀愁に何故かはらはらと泣いてしまう……そんな曲です。

ビートたけしさんは映画監督として有名ですが、まさか音楽の才能もあっただなんて。嫉妬するのはおかしいんでしょうけど、正直めちゃくちゃ嫉妬してしまいます。まず曲が凄く良いし、声も良い。歌もめちゃくちゃ上手いと思います。さほど抑揚のない単調な構成とアレンジのこの曲を、飽きさせず、情感豊かに歌えるのは才能としか言いようがないです。本当に凄い。羨ましいー。

上述の演芸番組でこの曲が披露された時の演出が、また心にくかった。浅草の演芸場(東洋館)の舞台で歌うビートたけしをスポットライトが照らし、客席にカメラが移ると観客は本当にたったの二人。赤いベロア地の座席が浅草的な情緒を掻き立てます。最後には東洋館の屋上に若手から中堅の芸人さんが集合し(その日の番組出演者)、肩を組んでの大合唱。オープニングなのにすでに泣きそうになりました。人生の酢いも甘いも命運さえも分かち合った男たちの歌声に、思わず胸が熱くなりました。

私はフォーマットとしての「お笑い」に出会ってまだ日が浅いのですが、それとは別に、小さい頃から「笑い」について独自に探求して生きてきました。これは私が関西人だからとかではなく、周りにもこんな人間は全然いなくて、ずっと孤独な想いをしてきました。なぜみんな笑いを追求しないのか、なんでおもろいこと言おうとしないのか。私にはそれが分からなくて、本当に悩んだ時期もありました。同じ世代の若い女の子とは正直話が合わなかったし、ノリも合わなかった。パッションの違いを感じて苦しんだこともありました。自分がなぜこうも笑いに惹かれるのか、笑いを求めるのかも分からなかった。学生の頃は特にそれが顕著で、あの頃の自分には暗い思い出ばかりです。笑いを求めていたのに、誰よりも笑ってなかったなんて今思えば滑稽です。もっとも、社会人になった頃から随分考え方を変えたので、今は生きやすくなりましたが。

そんな葛藤を経たためか、二十代後半にして「お笑い」という文化に出会った時は、胸のわだかまりがすっとおさまったような感じがしました。やっと運命の人に巡り会えたような気がする…とはドラマ「やまとなでしこ」の名台詞ですが、本当にそういう気分になったものです。思えば小学生の頃は吉本新喜劇が大好きで、土曜日の半ドン授業の後は毎週テレビの前で新喜劇に齧り付いていた。だけどそのうち、日々の習い事やら部活やらで新喜劇のこともすっかり忘れて、私は大人へと向かっていった。学生時代は空白の期間だったのか、なんだったのか。本当にあの頃の私はなんだったんだ。頭がおかしかったとしか言いようがない。人に同等の笑いへのパッションを求めるなんて気が狂っている。でも本当に何もかも面白くなかったんだよなぁ。だから新喜劇に再会した時は、昔仲の良かった幼なじみが好きだったと結局大人になって気付いたような、そんな不思議な感覚を抱いたのでした。

東と西で土地は違えど、笑いに対する情熱は同じ。私は芸人ではないけど、心は芸人なのかもしれません。お笑いと文筆、土俵は違えどやりたいことは同じです。売れない悔しさ、もがき、焦りも同じ。客が二人なんて、思うように読者の増えない私のブログそのものじゃないか。名曲『浅草キッド』に胸を打たれてしまうのは、そんな私を、そしてこんな私のちょっとおかしな人生を、全部ひっくるめてそれでいいんだよと、認めてくれたような気がするからなのかもしれません。

あまりに感銘を受けたので、浅草キッドを自分でも歌ってみました。よろしければ聴いてみてください。どうしても最後に感極まって泣いてしまうのは仕様です(五回録り直しました)。なんで泣いているのか? 我に返るとだいぶおかしいなと思うのでありました。 


浅草キッド/ビートたけし

(※アレンジの関係上、村上ショージさんバージョンでの音源を使いました)


HAPPY LUCKY LOVE SMILE PEACE DREAM !! (アンミカさんが寝る前に唱えている言葉)💞