誰も呼ばない、私だけの「住み開き」

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先日3月11日に『住み開き増補版 もう一つのコミュニティづくり』(ちくま文庫)という本を上梓した。「住み開き」とは、「自宅の一部を自分の好きなこと・表現をきっかけに、他者に無理なく開放する活動」という、僕が2008年に勝手に提唱したコンセプトだ。当時、大阪市内でアート活動をしていた中で、自宅を自分なりのユニークな方法で開いている方々との出会いに恵まれた。そんな方々を一ヶ月半かけて訪ね歩いた「住み開きアートプロジェクト」(2009年)の開催を通じて、僕のなかでこのコンセプトを世に広めたら面白いんじゃないかって思い、2012年に処女作となる『住み開き 家から始めるコミュニティ』(筑摩書房)を出版。当時はまさかこの言葉が土地も世代を超えて、アート文脈もはるかに超えて、多方向に広まっていくとは思ってもなかった。そして出版から8年経ったいま、この言葉は僕自身の手から離れ、広くコミュニティデザインに関わる、アートやまちづくり、福祉の実践者などによって、魂をこめられた。そんな素晴らしい活動が各地で息づいたプロセスも含めて、冒頭に書いた「増補版」を出すことになったのだ。

さて、3月に出版をしてからこの間は、ご存知の通り新型コロナウィルス蔓延によって世の中が一変した。「STAY HOME」がもてはやされても、「INVITE TO HOME」はかなりやりにくくなってしまった。よほど家が広いか、かなりの工夫をしないと「三密」になるし、仮に環境を整えられたとしても他者を招き入れること自体、自粛モードの「空気」がそれを許さない感じだ。自宅にいながらzoomなどを活用してオンライン飲み会が開かれたり、「#うちで踊ろう」的なブームもあるので、知人からは「なんか、ある意味でみんなが住み開きみたいになったね」と言われたりもするが、どうなんだろうね。僕もそれらネットテクノロジーの恩恵をバリバリうけているけど、いろいろ思うところはあるなぁ。

住み開きのいいところって、「何をするって感じでもない」ってことなんだよな。もちろんテーマを組んでイベントをするみたいなのもあるし、それはそれでいいけど、「とりあえず今日開いてるから、まぁなんか一品持って遊びに来て」的な感じで十数人とかが集まって、なんとなく誰かと誰かがじわじわと話し始めながら、そのコミュニケーションが多発的になって、気がつけば勝手に「場」が成立しているっていう無目的な感じがすごく楽しくて。そういうことをちょくちょくやってきたし、そういう場のあり方を取材してきたんだけど、オンラインで「なんとなく」ってのはなかなか難しいね。これも前回書いたように僕らの感受性が根っこから変わっていけば、「なんかこれはこれなりにこの感じでやれるね」って落ち着きどころが生まれるかもしれないけど、やっぱり人と人との「集い方」に関しては、そう簡単にテクノロジーで代替えできない要素は強いだろうなと、最近思ったわけです。

そのきっかけとして、僕が前述した増補版で取り上げさせてもらった、石川県能美市寺井地区にある「私(わたくし)カフェ」の最近の動向を知ったことが大きい。私カフェは、旧北国街道の宿場町として栄え九谷焼をはじめとした文化を継承する寺井の町家に住む、庄川良平さん・美穂さんご夫妻のご自宅だ。70代前半の庄川さんは、仕事をリタイアされた2012年より、寺井中心街活性化「てらかつ」協議会のメンバーとして、また、向こう三軒両隣の自助グループ「横町組」の代表として、様々なまちづくり活動に取り組んでいる。なかでも、ご自身が祖父の代から継承した築100年を超える町家を住みながら開放するこの私カフェでは、九谷焼の若手作家の展覧会を行ったり、趣味で陶芸を行う美穂さんとそのお仲間たちの作品即売会を開いたり、地元ゆかりの役者と協力して演劇公演を行ったり。文化を通じて人がゆるやかに交わり語らいあう、そんな素敵な場が生まれているのだ。そんな庄川さんは、4月25日の私カフェFacebookページに以下のように投稿されていた(太字化はアサダによる)。


『あえのこと・住み開き』
平成25年(2013)より続けてきた5月ゴールデンウイークの「住み開き」。
ご案内せねばならない期限が迫ってまいりました。
人と人とがつながる場を意識的に生み出そうとしてきた「私カフェ」ですが、密閉、密集、密接を避けて下さいという政府のお達しには従わないわけにはいきません。
今年はすでに出張カフェの方や九谷焼技術研修所の生徒さんに声をかけ、興味のある方には、九谷庄三とジャパンクタニをめぐる「てら散歩」を楽しんでいただこうと想を練っておりましたがすべてを白紙に戻さねばならなくなりました。
結論を申し上げます。
本来の「住み開き」はやれませんが、
5月3日、4日、5日 11:00~17:00
何もしない、思いやるだけ、
誰も呼ばない、私だけの「住み開き」をします。
「私カフェ」は典型的な町家なので、縁側からお座敷へ風が通り抜けていきます。
奥から古いジャズの演奏が聴こえてきます。
コーヒーは気が向いたらいつでも飲めるようにスタンバイしています。
くどいようですが、お誘いしているわけではありません。
私が勝手に架空のお客様のおもてなしを計画しているだけです。

「あえのこと」とは?
主人が姿の見えない田の神様をお迎えし、一人芝居でおもてなしする奥能登の伝統的な風習です。

僕は庄川さんのこの投稿にかなり興奮した。「誰も呼ばない、私だけの“住み開き”」。しかも、それが広い意味で地元(奥能登)に伝わる祭礼としての意識で行うなんて。何か住み開きという「表現」の根っこにあるものを勝手に感じてしまった。そう、ただ開いている、別に力んで誘わない(この場合は「くどいようですが、お誘いしているわけではありません」とまで書かれているし、書かざるを得ない「空気」ではあるのだが)、それでも俺はここに居て好きな音楽聴いて、好きな珈琲(茶でも酒でも)飲んで居るのだと。この投稿を僕がシェアしたら、庄川さんは「どなたも来ない“私カフェ”で勝手にお客様をおもてなししたいと思いつき、コロナ下の“住み開き”をする決心がつきました」とコメントをくださった。さて、その後、実際にどうなったのか。とても興味深い投稿があった。少し長いが5月5日の投稿をそのまま転載(太字化はアサダによる)する。

マスク着用、ソーシャルディスタンスを保ち、換気に配慮した上で・・・
といっても、この時期に人と人とが交流を図る「住み開き」を行うなんて、国賊に値する暴挙だと言わざるを得ません。
ですから奥能登のバーチャルなおもてなし神事にあやかって、誰も呼ばない、私だけで架空のお客様をお招きする「あえのこと・住み開き」と銘打ったのですが、新聞にはいかにもおいで下さいといったニュアンスで報じられたため、この三日間、私は針の筵に座らされたような心境でした。
記者さんには何の罪もございません。シャレが通じなかったのは私の説明不足のなせる業です。
しかし、日頃から「私カフェ」を支援下さっている皆様には結果を報告する義務があろうかと思います。
三日間で26名の方がお見えになりました。
その内、ご近所、お友達が20名、
初めてお目に掛かった方は6名でした。
うまい具合に、それぞれおいでになる時間がずれ、重なるような場面はほとんどありませんでした。不幸中の幸いだったと胸をなでおろしています。
今は自粛、自制せねばならないのは百も承知です。しかし、人との接触を絶たねばならない精神的ストレスも大変なものです。特に私たち高齢者はIT機器を駆使したオンラインによる人つながりなど望むべくもなく、こうした人と人とが触れ合う生身のお付き合いに頼りながら生きる幸せを噛みしめるしかありません。
もし、この状況がこれ以上続くようであれば、心を平静にコントロールするためのコミュニケーションはどんな方法がよいのか、自衛策を講じる必要があります。

皆さんとおしゃべりしながら、ここは知恵の絞りどころだと感じました。

ここには、今の世の中にとても大切なメッセージがシンプルに表されている。「心を平静にコントロールするためのコミュニケーションはどんな方法がよいのか」。政府が公表する「新しい生活様式」には、この問題意識がないのだ。「生活」や「働き方」のルールはわかった。しかし、それを受け容れるうえでのベースとなる「精神的な支えとなる他者とのつながりかた」はどうすればいいのか? まぁそんなこと、別にお国にそもそも聞くことじゃないけど、そこをおざなりにしての「自粛要請」は「底が抜けている」と僕は思う。だったら「自衛策」を取ろうとなるのは当然の権利であり、ここに様々なバリエーションの態度表明が生まれ、それが広義の「表現」として他者と共有されることに、僕は希望を感じているしまさにそれこそが「知恵の絞りどころ」なのだ。

各地で緊急事態宣言が解除されてゆくいま、世間が「元に戻ってほしい」と思う気持ちとともに、この知恵絞りだけは後退させず、永遠に愚直に継続したい。


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