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それは「花の水やり」のようにそっと「やってくる」

福島県いわき市でやってきた音楽プロジェクトが映画化された。県営の復興公営住宅である下神白(しもかじろ)団地の住民たちと、かつて住んでいたまち(富岡町や大熊町、浪江町や双葉町など)の記憶を当時の馴染み深い音楽を手かがりに語り合う「ラジオ番組」を創作してきた。「ラジオ 下神白 ーあのとき あのまちの音楽から いまここへ」というプロジェクトだ。一緒にプロジェクトメンバーとして活動してきた映像作家の小森はるかさんが、同名のタイトルで映画化した。いま各地を上映中だ。

自主上映会や映画祭などで上映されたのちに、先月12/23に「現地」で上映された。下神白団地のクリスマス会で、映画に登場する住民たちの前で、映画にも度々登場する団地集会場を会場に上映したのだ。たくさんの人が集まってくれた。コロナ禍を経て、また東京から大阪に移住したこともあって、以前のペースで定期的に通うことができなくなったが、みんなとても快く迎えてくれて、現地に着いた途端にいろんな住民さんに声をかけてもらい、お互いの健康や最近の暮らしについて話に花を咲かせた。

上映会はとても面白かった。「面白い上映会」とは何か。みんな映画を観ながら、スクリーンを指さしながら、終始ぺちゃくちゃお喋りしてるのだ。「あの人、いまどうしてんだったっけ?」「〇〇の方に引越ししたんじゃなかったっぺか?」「(ある映画の中の住民さんの発言に対して)そうだねー」「こりゃ誰々さんのとこの、確か‥‥‥」。話は止まらない。隣同士で映画を囲んで情報交換し、既に亡くなってしまった方が出てきては声があがり、一つ一つのシーンに「あったなぁ、こんなこと」とツッコミをいれる。

自分たちが写っている映画を、自分たちでまなざすということは、もちろん他の会場での上映会とはまったく質が異なるのは予想がつく。このように、語りが生まれることも(予想以上の語りの多さだったけど)。でも、他にも興味深いことがあった。それは、極めて日常的すぎることに対するツッコミの多さだ。ある住民さんが団地のプランターに水を上げるシーン(これ、むっちゃいいシーン)に、なぜか笑いが起きる。ある住民さんが饅頭を食べながら僕と喋っているシーンに爆笑する。コロナ禍で現地に行けなくなって、僕が東京の当時の自宅から住民さんとオンラインで話し合ってるときに、お茶を飲むシーンがあって「ああ、喉が乾いてたんだねぇ」とまた細かいツッコミが入る。これは、他の上映会ではまったく観られない視点というか、「一体、どこを観てるんだろう?」と思わされることが多々あった。きわめてきわめて「日常的すぎる事柄」にしっかり反応されている。考えようによってはただの「あるあるネタ」なのかもしれないが、ちょっとそれだけでない気がする。

小森さんの映画は、ドラマチックなつくりをしていなくて、そもそもとっても些細な状況を丁寧に撮しとる。でも、(僕ら作り手がそう思う)重要なシーン ー住民さんとラジオを録っている、住民さんの好きな音楽のバック演奏をバンドで演奏する、住民さんが震災のことをじわじわ語りだすー などとは別次元の、そのシーンの狭間に存在する、団地での日常に対して、つまりいまこの瞬間と地続きの、いますぐにでも、上映会が終わったあとにでも、起こりそうな「花の水やり」的な状況に対してぐっとまなざしのピントが合う。

そもそも住民さんと毎月、何時間も語り合い、音楽を聴きながら彼女彼らの「想起」を受け止めるとき、あるエピソードの物語的意味に留まらない、本人のこだわりの情景が登場する。それは物語的意味を象徴する情景のように思って聞き手は受け取めようとするが、本人のなかでは、逆に「つながってない」のかもしれない、と思うこともある。つまり、あるAという物語的意味を伝えようと思っていたとしても、浮かぶ情景はそれを端的に表象するA’ではなく、なぜか一見わかりにくいB’が浮かんでその情景を僕らに語ってくれている可能性だってあるのではないか。でも、本人とってB’はおそらく深く刻まれたもので、物語的意味を超えて、理屈に回収されない、なんというか記憶の総体として人が生きるということの多様性を浮かび上がらせる。想起という行為は、そもそもリニアではないし、思い出す対象の意味は、結局当人にも「解説」はできない、なぜかどこからか「やってくる」ものなのではないか。その「やってくる」感は、実は遠くからやってきそうな気配を漂わせつつ、「花の水やり」のような思わぬ至近距離から、気づけば「私」の手をそっと握ってくれているのかもしれない。

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