負の感情の必要性についてもう一度考え直す
1年と数ヶ月前に僕はこんなnoteを書いていた。
詳しくは中身を読んでもらえればわかるのだが、この気づきによって僕の心の中の許容量がすごく増えた。
とても神経質で、自分が真っ直ぐだと思っている道以外は許せない性格だった僕が他人に対してイライラすることが少なくなった。
海外に行き、たくさんの人や文化と触れ、「この世にはたくさんの道があるんだ」と気づいた。
今振り返ると、とてもいい経験だったと思う。
海外に行って本当に良かったなと思う。
そして、今。
子供の教育に携わるようになり、毎日たくさんの学びを子どもや保護者からいただく中で、もう一度このテーマについて考えたいなとふと思った。
成長にとって負の感情は不可欠なのだろうか。
自分が育ってきた道
新体操を通してたっくさん失敗をしてきたし、
新体操を通してたっくさん怒られてきたし、
新体操を通してたくさん寂しい思いをしてきたし。
自分自身が山盛りの負の感情の中で育ってきたので、僕の中からはどうしても負の感情への信仰心が消えない。
そういった思い出は何年経っても消えずに頭の中に残っていて、その1つ1つが自分自身を形成していると信じて疑わない。
もちろん、負の感情を感じずに楽しい空気の中で育っていく人もいる。
そのほうが成長の仕方として合う人もいる。
理解している。
ただ、それだと何かが足りない気がして。
選択
結局のところ、自分が選んだか否かが鍵なのだと思う。
・自分がときめき、自分で道を選び、主体性を持って取り組んでいること。
・何も魅力を感じておらず、「人に与えられたもの」と捉えながら取り組んでいること。
この2つの間には大きな大きな違いがある。
僕は、新体操を始めたきっかけこそ「人に与えられたもの」であったが、その後は全て自分で選択をしてきた。
一般コースから選手コースへ移ると決めたこと。
高校は県外の強豪校へ行くと決めたこと。
大学は死ぬほど厳しい青森大学で新体操をすると決めたこと。
海外で生活すると決めたこと。
家族を連れて日本に帰ると決めたこと。
全て自分で選択したこと。
だから、どんな負の経験もその後の糧にできたのだろう。
どんなに苦しくても「自分で選んだ道だから」と歯を食いしばれたし、そこを乗り越えるからこそまた一つ難しいレベルの壁に迷わずぶつかりにいくことが出来た。
何か1つだけでも人に与えられた道の上を歩いていたとしたら、今の僕はいないと思う。
結論は…
と、いうことで。
僕の結論はやっぱり「成長には負の感情が不可欠」です。
じゃあ子供達が負の感情を糧に変えられるように教育者がしてあげられることって何なのっていったら、「選択肢を与えてあげること」なんだと思います。
いろんな道を視野に入れてあげて、いろんなアプローチを試してあげて、どうにかこうにか動機づけをしてあげて。
子供達が自分で取捨選択をできるようにしてあげるのが教育者の役目なのかなと思います。
僕の父はこれまで幾度となく僕にこんな声をかけてきました。
「辛かったらいつだって辞めて帰ってくればいいんだからね」と。
その言葉を聞くたびに、「いや、辞めれるはずないじゃん」と思いながら不思議に思っていた僕ですが、その言葉のおかげで諦めずに来れたのだと今になって思います。
この言葉は、僕に選択をさせていたのです。
父や母が選んだ道ではなく、僕が選んだ道だと。
いつだって帰ってきていいけど、頑張りたいなら頑張りなさいと。
全く気づいていませんでしたが、選択肢を与えられていたんですね。
人の性格に正解がないように、教育にも正解はない。
教育者の数だけ教育方法があるし、そこに集う生徒の性格も十人十色。
「選択肢を与えること」が教育者の役割だと今の自分は思っていながらも、1年後の自分は全然違うことを考えているかもしれない。
何を受け取って何を与えるか。
生徒と真っ直ぐに向き合いながら、教育者自身も取捨選択をしっかりとしていきたいものです。
井藤 亘(いとう わたる)
名古屋アクロバットスクール
20年以上続けてきた「男子新体操」というスポーツをより多くの人に知ってもらうため、日々活動をしています!! 頂いたサポートは、今後の活動費、またはその勉強のために使わせていただきます!🙇♂️✨ また、サポートとともに記事のリクエストも募集しております。