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パンの試食を配っていた時代の話。

妻と娘が寝た後、デスクの明かりだけをつけてパソコンに向かう。
今日は、週1で更新しているnoteを書く日だ。

いつものごとく前々から考えてあったテーマに沿って執筆しようとしていた時、ふと僕は手を止めて自分に問いかけた。

『世界最高峰のサーカス・シルクドソレイユの舞台に立ちながら、なぜこんなにも地味にnoteを書き続ける?』
『スポーツ選手のキャリアとして「成功」と言ってもいいであろう今を手にしながら、なぜ男子新体操の発信を続けたがる?』

『なぜそうまでして男子新体操を広めたい?』

好きだから?
いや、男子新体操が好きなだけなら発信なんてとっくにやめている。

じゃあなぜ?

そんなことを考えるうちに、一つの思い出が僕の中に蘇ってきた。
苦しくて、辛くて、思い出したくもない思い出だ。

そう、それが僕を動かしている力の根源だった。

谷底へ落ちた1年目

時を遡ること3年。
2019年は僕にとって非常に苦しい1年だった。

春。
大学を卒業した僕は、地元・名古屋に帰って一般企業に就職した。
学校の先生になりたかったので大学では教職課程を専攻していたが、男子新体操の指導と並行して働ける環境がその年にはなかったため、夢をあきらめて一般就職の道を選んだ。

就職したのは名古屋を中心に野球と陸上の教室を展開する会社だった。
新体操には関われていなかったし、専門ではないスポーツを教えるのは非常に難しかったけれど、活気のある職場の雰囲気と教室の子どもたちが大好きで、毎日非常に楽しく過ごしていた。

男子新体操の現役を引退し、社会人という次のステージへ。
「ドキドキワクワクの人生第2章が始まった」
そんな気持ちだった。

しかし、そんな新生活は突然終わった。

5月。
直属の上司が会社の経営陣と揉め、辞職。
兼ねてから計画していた独立へと動き出すと、先輩社員は皆その上司についていくために会社を辞めた。
「このままでは誰もいなくなる」
そう思った僕も辞職して上司についていった。

もちろん、会社は黙ってはいない。
辞めた社員全員に対して、警告書を弁護士を通して送ってきたのだ。
『これ以上勝手に動けば訴える』という内容だった。

「こんなところに巻き込まれたくない」
そう思った僕は、父の助言もあり、会社からも上司の独立からも身を引く決断をした。

そう、僕は大学卒業から2ヶ月経たない間に無職になったのだ。

地元ではあったが、アパートを借りて一人暮らしをしていた。
就職先で必要だからと、車を買ってローンも組んでいた。
大学時代に一度もアルバイトをしたことがなかった僕は、もちろん一銭の貯金も持っていなかった。

生活を維持するためには、とにかく働くしかなかった。
必死に求人を探し、必死に派遣会社に問い合わせをかけ、何通もアルバイトの応募を送った。

ボンタンを履き、ヘルメットをつけて、不良のような若いお兄ちゃんに怒鳴られながら汗だくで建築資材を運んだ。
就労支援を受けている大人たちと一緒に、夜な夜な美術展の撤収作業もした。
定年退職したクセの強いご老人たちとともに新車の輸送業務もした。
パートのおばちゃんたちに囲まれながら、夕方のスーパーで菓子パンの試食を配ったこともあった。(もちろん、エプロンと三角巾をつけて)

どれも社会を支えている立派な仕事だ。
仕事に優劣などないし、どんなことにも誇りを持って働くべきだ。
そう自分に言い聞かせていた。

でも心の奥底は騙せなかった。

家に帰り布団に寝転ぶと、天井を眺める自分の頬に涙がつたう。

「何が日本一だ」
「何が男子新体操だ」
「何してんだ俺は」

全日本選手権を4連覇し、主将として50人の部員をまとめていた自信たっぷりの井藤 亘は、そこにはもういなかった。
大学卒業から半年もしないうちにそれまでの自信を全て失い、未来など全く考えられなくなっていた。
毎日が本当に苦しかった。
どん底だった。

誰のせい?

そこから数ヶ月後、きっかけを得てシルクドソレイユのオーディションを受け、合格。
無事にアメリカへ渡り今に至る。

さて、僕がどん底に落ちたのは誰のせいだったのだろう。
もしくは何のせいだったのだろう。

当時の僕は全ての責任を新体操に押し付けていた。
新体操がマイナーだから。
新体操の認知度が低いから。
そう思うことでしか自分の心を慰められなかった。

しかし、海外に渡ってから冷静に振り返った時、その責任は新体操にではなく自分にあることに気づいた。
現役のうちに社会に出る準備をしなかった自分が悪い。
自分の価値を高める努力をしなかった自分が悪い。
そうやって自責にできるようになった。

自責にできるようになって以降、僕は自分の価値を自分で高める努力をしてきた。
シルクドソレイユという看板をフルに使って貪欲に自分を売り出してきた。

新体操を頑張る後輩たちに自分と同じ思いをしてほしくなかったからだ。

新体操は君を助けてくれない。
新体操は君の人生の責任を取ってくれない。
自分で動いて自分で価値を作っていくしかないんだ。

そういうメッセージを自分の行動を通して伝えたかった。
その思いは今も変わらない。

もう一度新体操のせいにする

つい最近、ある人に夢を聞かれた。
「君の目指すゴールは何?」
僕は答えた。
「男子新体操を世に広めることです」

どうやら僕の答えが腑に落ちなかったようだ。
質問が続く。
「君自身のゴールは?君自身はどうなりたいの?」
僕は迷わず答える。
「自分がこうなりたいとかは特にないです」

質問をしたその人は驚いていた。

思い返せば、大学で4連覇を達成して以来、手にしたいと思えるものに出会えていない。
ただ、それを悪いとは思っていない。
なぜなら、いつだって僕は目的に向かって歩いているからだ。

男子新体操を世に広めるためなら、どんな姿であっても構わない。
やりたい職業などない。
手段は選ばない。
「男子新体操を世に広める」という目的地に向かうためなら、飛行機だろうが新幹線だろうが船だろうが、その手段はなんだっていい。

では、その目的地に向かうために、今僕がしなければいけないことはなんだろう。

それは、「もう一度新体操のせいにすること」だと思う。

ここ数年、僕は「新体操のせいにしたって自分の人生は変わらない」と思いながら活動してきた。
もちろん、それは正解だ。
今もその考えは変わらない。

ただ、そろそろ自分自身のキャリア以外のところにも目を向ける時期ではないかと感じている。

自身のキャリアデザインと並行して、新体操そのものに変化を求める動きをしてもいいのではないか。
あの辛くて苦しい経験の全ての責任をもう一度新体操に押し付けることよって、根本の原因をさがしてもいいのではないか。

そう考えている。

その方がきっと「後輩に同じ思いをさせたくない」という僕の根本の思いも達成されやすくなるだろう。

経験せずに済むならそれでいい

海外に渡る前、僕は生活を維持するために食費をかなり削っていたので、体重が60キロを切るほど痩せ細っており、とてもではないがパフォーマンスができる体ではなかった。

そんな経験があるので、今の生活が本当に贅沢に思える。
毎日満足いくまでご飯が食べられて、体を守るためにプロテインなどにもお金をかけられる。
そして何より、妻と娘にもちゃんとご飯を食べさせられている。

なんと幸せなことか。

今日語った僕の経験は、決して美談にしてはならない。
もちろんその経験が今の自分に生きているとは思っているが、経験しなくて済むならそっちの方がいいに決まっている。

誰にも僕と同じ目には合わせない。
誰にも新体操を頑張ったことを後悔させない。

この想いと共に、僕はこれからも男子新体操を広めていく。


井藤 亘(いとう わたる)
Cirque du Soleil 「Drawn to Life」
男子新体操アーティスト🤸‍♀️

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KYOMEIプロジェクト

名古屋市立原中学校ー埼玉栄高校ー青森大学ーシルクドゥソレイユ

3歳から男子新体操を始め、中学校3年生時の全日本ジュニア出場をきっかけに、埼玉栄高校へ進学する。
骨折などの大きな怪我を克服しながら3年時にインターハイで団体優勝し、名門・青森大学へ進学。
大学では、全日本選手権・全日本学生選手権ともに4連覇を果たし、4年時には主将も務めた。
卒業後は、幼児・小学生を対象にスポーツ指導をしていたが、パフォーマーとしてイベント出演したことをきっかけにシルクドゥソレイユのオーディションを受け合格し、渡米。
現在はパフォーマー業を行いつつ、男子新体操の普及を目標に様々な活動に取り組んでいる。

【実績】
・インターハイ団体優勝 
・全日本学生新体操選手権大会団体4連覇 
・全日本新体操選手権大会団体4連覇
【出演】
・東京テレビ「年忘れにっぽんの歌」鳥羽一郎コラボ 
・TBS「音楽の日」三浦大知コラボ 
・BS11 ドキュメンタリー「ザ・チーム 勝利への方程式」
・Avex主催「STAR ISLAND」サウジアラビア公演 
・大阪ガス主催「10歳若がえりセミナー」講師
【資格】 
・中学、高等学校第一種教員免許状 
・ビジネスアスリート2級
・日本スポーツ協会公認スポーツリーダー

20年以上続けてきた「男子新体操」というスポーツをより多くの人に知ってもらうため、日々活動をしています!! 頂いたサポートは、今後の活動費、またはその勉強のために使わせていただきます!🙇‍♂️✨ また、サポートとともに記事のリクエストも募集しております。