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競うことがもたらすもの

先週公開したnoteで、「学校体育に競うことは必要ない」と僕は述べた。
競うか競わないか、どこで(何で)競うかは選べるようにするべきだからだ。
ただ…

このnoteの終盤でも述べたが、僕は学生時代の大半を競争環境に身を置きながら過ごしてきた。
トップオブザトップを目指して毎日必死に走り続けてきた。

競うことの大切さなんて誰よりも知っている。
競うことの厳しさなんて誰よりも知っている。

だからこそ今日はそれを書きたい。

前回のnoteで僕が「競う必要はない」と述べたのは、"全員が" "強制されて" 競う必要がないと思っているからだ。
競うことの大切さを知っているからこそ、"競わされること" に何の意味もないと思っているからだ。

「競うことから何かを得たいのであれば、120%本気で取り組め。逃げるな。どんな形になっても最後までやり遂げろ。」

そう思っているからだ。

もしかしたら、いつもよりも厳しい言葉や意見が連なるかもしれない。
しかし今日は語弊や他の意見を恐れず、「競うこと」に対する僕の意見を本気で述べていきたい。

競うことで得られるもの

競うことで得られるものってなんだろう。

誇れるタイトル?
煌びやかなメダル?

笑わせないでほしい。
語弊を恐れず言いたいが、そんなもの何の役にも立たない。

成功/失敗体験?
辛抱強さ?
諦めない心?

間違ってはいないだろう。
ただ、僕の答えはそこにはない。

僕の答えは、以下の2つだ。

1.自分はもっと成長できるという自信
2.成長するために何が必要かを考え実行する能力

簡単にひとまとめにするのならば、「成長する力」と言えるだろう。

※一応確認しておきたいのだが、1は自己肯定感とは似て異なる。
自己肯定感とは、ありのままの自分を認める能力であり、ここには成長しないという選択肢を認めることも含まれる。
そのため、自分はもっと成長できるという自信は自己肯定感のことではない。

成長する力

競うことがもたらすものは、成長する力だと僕は思う。

なぜなら、
競うこと=常に成長し続けること
だからだ。

もう少し詳しくいうと、
競うこと=勝利を目指すこと=常に成長し続けること
となる。

誰かと競う、何かと競うということは、結果としてそこに勝敗が生まれる。
勝敗が生まれるから皆が勝利を目指す。
勝利を目指すから相手より秀でようとする。
秀でようとするから成長する。

そして、一度勝利を手に入れたとしても戦いは終わらない。
相手が同じだろうと異なろうと、勝利を目指している相手は今この瞬間も成長し続ける。
その相手より秀でるためには、またさらに成長しなければいけない。

このループの中で自分を成長させることによって成功や失敗を何度も繰り返し、自分にピッタリな成長方法(努力の仕方)がわかってくる。
方法がわかってくると、成功の確率が上がる、もしくはより大きな成功を得ることができる。
その成功が「自分はもっと成長できる」という自信に繋がる。

競うことは、こうして成長する力をもたらすのだ。

勝利至上主義

勝利を目指すから成長する力が身につく。
僕はそう述べた。

競うのであれば必ず勝利を目指すべきだ。
僕はそう思っている。

もしかしたら、勝利至上主義だと思う人もいるだろう。

しかし、冒頭の自己肯定感の話と同様、僕の意見は勝利至上主義とは似て異なる。
なぜなら、勝つことに意味を求めていないからだ。

僕が意味を求めているのは、勝とうとするまでの過程に対してである。

つまり、勝負に勝とうと負けようとどちらでもいい。
勝つことが絶対だとは思っていないのだ。

ただ、間違えないでほしい。
勝つことは絶対ではないが、勝とうとすることは絶対だ。

「勝ちたい、勝ちたい、勝ちたい。」
そう強く強く思いながら自分と向き合うことによってしか成長する力は手に入れられない。
だから本気で取り組む必要があるし、本気の覚悟を決める必要がある。

僕が大尊敬するイチローの言葉にこんなものがある。

結果が出ないとき、どういう自分でいられるか。
決してあきらめない姿勢が、何かを生み出すきっかけをつくる。

〜省略〜

「できなくてもしょうがない」は終わってから思うことであって、途中にそれを思ったら絶対に達成できません。

〜省略〜

今自分にできること。
頑張ればできそうなこと。
そういうことを積み重ねていかないと遠くの目標は近づいてこない。
小さいことを積み重ねるのが、とんでもないところへ行くただひとつの道だと思っています。

"「できなくてもしょうがない」は終わってから思うこと。"
今日の話に置き換えるのであれば、「負けてもしょうがない」は終わってから思うこと。となるだろう。
絶対に勝ってやる。絶対に負けない。
どんなに苦しくてもそこを乗り越えて毎日自分と向き合う。

その過程の中で得られるものこそが競うことがもたらす最大価値だと僕は考えている。

もう一度言うが、勝たなくてもいい。
ただ、勝とうとしなければいけない。
勝とうとすることでしか競うことの効果は得られない。

まとめ

「勝つ」という簡単な単語で話を進めてしまったが、それは「目標の達成」と置き換えてもいいと思う。

始めたばかりなのにトップオブザトップを目指すのは間違っているし、それは逆効果を生む確率の方が高い。
そのため、自分のレベルに適切な目標を設定し、そこを乗り越える、すなわち「その目標に勝つ」ことを考える、という言い方が1番適切だと思う。
自分が直接的に戦うのは自分の目標とであり、そこに付随する競争相手とは間接的に戦うという感覚だ。

そうした中で自分と向き合い、足りないものを見つけ、努力の方法を考え、努力を重ね、結果と照らし合わせ、また考える。
その過程の中で成長する力を得る。

競うことに意味はある。
ただ、競わされることに意味はない。

本人は何事も常に能動的に取り組み、それを管理する大人は本人が能動的に取り組めるように上手な動機づけをしなければならない。



井藤 亘(いとう わたる)
Cirque du Soleil 「Drawn to Life」
男子新体操アーティスト🤸‍♀️

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KYOMEIプロジェクト

名古屋市立原中学校ー埼玉栄高校ー青森大学ーシルクドゥソレイユ

3歳から男子新体操を始め、中学校3年生時の全日本ジュニア出場をきっかけに、埼玉栄高校へ進学する。
骨折などの大きな怪我を克服しながら3年時にインターハイで団体優勝し、名門・青森大学へ進学。
大学では、全日本選手権・全日本学生選手権ともに4連覇を果たし、4年時には主将も務めた。
卒業後は、幼児・小学生を対象にスポーツ指導をしていたが、パフォーマーとしてイベント出演したことをきっかけにシルクドゥソレイユのオーディションを受け合格し、渡米。
現在はパフォーマー業を行いつつ、男子新体操の普及を目標に様々な活動に取り組んでいる。

【実績】
・インターハイ団体優勝
・全日本学生新体操選手権大会団体4連覇
・全日本新体操選手権大会団体4連覇
【出演】
・東京テレビ「年忘れにっぽんの歌」鳥羽一郎コラボ
・TBS「音楽の日」三浦大知コラボ
・BS11 ドキュメンタリー「ザ・チーム 勝利への方程式」
・Avex主催「STAR ISLAND」サウジアラビア公演
・大阪ガス主催「10歳若がえりセミナー」講師
【資格】
・中学、高等学校第一種教員免許状
・ビジネスアスリート2級
・日本スポーツ協会公認スポーツリーダー

20年以上続けてきた「男子新体操」というスポーツをより多くの人に知ってもらうため、日々活動をしています!! 頂いたサポートは、今後の活動費、またはその勉強のために使わせていただきます!🙇‍♂️✨ また、サポートとともに記事のリクエストも募集しております。