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毒親系の話。

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毒親育ちの体験記や、そこから考えた話など。
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#エッセイ

毒親体験記:「いい人」だった私の母は、なぜ毒親になったか、という話。

私の母は毒親で、でも私以外の人に対しては、非の打ちどころのない「いい人」だ。 アル中も浪…

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【毒親】スープの文句が言える距離、の話。

先日、「母に、鍋物の残りのスープが入った鍋を勝手に片付けられてしまった、文句言わなきゃ!…

新原わたり
8か月前
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自分の体を「借り物」だと感じていた、という話。

私は、あまり鏡を見ない。 一日に何度か、洗面所に行ったタイミングで目にすることはある。が…

新原わたり
9か月前
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「謝らないけど論破もしない」訓練が要る、という話。

先日、「ごめん」をやめる訓練をしている、という話を書いた。 これをやること自体は、私の自…

新原わたり
9か月前
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【毒親育ち】「愛」という言葉が嫌いだった、という話。【#家族について語ろう】

ある所に、一人の少女がいる。 彼女は生まれてこの方、プリンを食べたことがない。 その代わ…

新原わたり
9か月前
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【毒親話】「子供が言う事を聞かないストレス」があること自体が尊い、という話。【#…

はあちゅうさんのこちらの記事で、育児中のママさん達がどのぐらい、「子供が思い通りにならな…

新原わたり
10か月前
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絵を描くのは苦手だと思っていたけれど、という話。

息子と、近くの自治体のイベントに行って来た。 老朽化で取り壊す予定の体育館を解放して、床や壁に好きなようにお絵かきし放題!という感じのやつだ。 そもそもの発端は、夏休み直前に学校から息子が持ち帰ってきたチラシだった。 「これ行きたいぽよ!!」 「え~……エアコンないって書いてあるよ、嫌だなぁ」 「行くぽよ!!絶対行きたいぽよ!!」 という攻防の末、渋々重い腰を上げる羽目に陥ったのだが、「まぁいっかタダだし」と思っていたら、絵を描くためのペンなどを持参しろ、という記載がひ

【毒親育ちの育児】息子に「幸せって、どんな時だと思う?」と聞いてみた話。

私は30代の半ばまで、「幸福とは、そういう状況を指す言葉であって、自分の感情とは関係ない…

新原わたり
10か月前
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【毒親育ち】幸福とは「感情」だと知った、という話。

幸福とは「そういう感情」のことなのだ、と私が理解したのはアラサーを過ぎた頃で、かなり最近…

新原わたり
10か月前
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【毒家系】お盆の終わりに、先祖にちょっと喧嘩を売ってみたい、という話。

お盆ネタ3連続となるが、ちょっと私の先祖に喧嘩を売りたくなったので書く。 私が今住んでい…

新原わたり
10か月前
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お盆というか「親戚」が苦手、という話。

昨日は散々義母への愚痴を書いたが、私は元々お盆が苦手である。昔からこの時期になると気が滅…

新原わたり
10か月前
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【毒親育ち】『誰かと一緒にいる幸福』を感じてはいけない、という掟の話。

noteで色んな方の記事を読ませて頂いている中で、時々「とても素敵な記事を読んで幸せな気分に…

新原わたり
10か月前
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【毒親育ち/失感情症】母に対しての感情、についての話。

伴走者ノゾム@NAMIDAサポート協会カウンセラーさんの、この記事を拝見して、自分が無意識にこ…

新原わたり
11か月前
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毒親だった私の母は、なぜ「いい人」になったか、という話。

私の母は過干渉・過保護・モラハラ系の毒親で、でも私以外の人に対しては、非の打ちどころのない「いい人」だった。 そして現在の母は、「毒親らしい」言動を殆どせずに、私から見てもただの「いい人」として振舞っている。そうしようと、本人が努力している。 私に毒親だったと指摘されて、母自身が反省して心を入れ替えた――という訳ではない。母の人柄そのものは全く変わっていないのに、である。 幼少期から母の「最高傑作」として育てられてきた私は、アラフォーになるまで、自分と母の関係性に問題がある