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仕事を辞める言い訳のようなもの

読んでいただいてありがとうございます。
本日は散文。

社会人を一年ちょっと経験して、自分の中の仕事への考え方が大きく変わった話。

自分は今の仕事を辞めようと思っている。

それは、単純に自分には「合わない」からである。

確かに今の仕事は社会的意義も大きく、社会のためになっていると思う。

この仕事に誇りを持っている人もいるし、それを否定するつもりは毛頭無い。
実際に自分もそう言う思いで今の仕事に就いた。

人の役に立ちたい。
世の中の役に立ちたい。
社会のために働きたい。

でも、そんな思いは一年ちょっとで粉々になってしまった。

以下は、仕事を辞めることに対しての言い訳のようなものである。

仕事を始めた頃は、確かに
「社会のため=自分のため」
となっている実感が持てていた。

だけど、そんな状況はすぐに変わった。

終わらない仕事、
深夜までの残業、
上司からの心無い言葉…。

そんな数々の出来事に、自分の心はボロボロになっていた。

いくら社会のため、人のためといってもそれが行き過ぎると自分を犠牲にして働くことになってしまう。

それはつまり、
「社会のため>自分のため」
になっているということである。

そうなったとき、自分にとってこの仕事は辛いものでしかなくなってしまった。

そして、鬱になった。
鬱が快方に向かっても、この仕事に対する思いは変わらなかった。

もっと自分のための人生を生きてみたいと思った。
自分のやりたいことができた。

そこで辞める決断をした。

これは、実際に一度仕事から離れた上での選択なので間違いは無いだろう。

さらに、自分のやりたいことが出てきてしまった。

自分の人生を生きたくなってしまった。

そんな思いが出てきた。

ここで我慢してしまえば、おそらく我慢する一生になってしまうんじゃないか。
他人のために人生を費やし、自分を消費していく人間になってしまうんじゃないか。

仕事を辞める不安より、ここで一生を過ごす不安の方が大きく勝っていた。

自分の直感がそう訴えかけていた。

やりたいことをやった先、自分がどうなるかなんてわからない。

わからないからこそ、頑張れるような気がする。
わからないからこそ、何者にでもなれる気がする。
わからないなら、分かるまで探せばいいだけだ。

今は、「気がする」だけ。
そこに確証はない。

だからこそこういう事を書いて気を紛らわせているし、とにかく色々学んでいる。

そして、いろんな人に会って話を聞いている。

こうやって考え込んでしまうからこそ、今の仕事は「合わない」のだろう。

何も考えず与えられた仕事をするなら、今の仕事以上のものはないだろう。

でも、果たしてそれで生きていると言えるのだろうか。

自分のやっていることが本当に正しくて、自分のためになっていることと胸を張って言えるのか。

 そこに「自分」はいるのか。

 何度も何度も自分に問い詰めた結果、答えは「NO」だった、

もっと自分のために生きる。

 今はそれだけを考える。

みなさんもどうか「自分」という存在を大切にしてください。

「自分」の代わりはいませんので。

よんで頂いてありがとうございました。
また書きます。

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