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小さな事が幸せなサマータイムのオランダ

こんにちわ。私は仕事の関係で5年ほどオランダで駐在員として暮らしていたことがあり、今日はその時の話です。

 オランダ暮らしの特に始めのうち、感じていたのは思ったよりも不便な所だな、という事でした。何か欲しいものがあっても、それが日曜だと店が全部閉まっていて、なかなか手に入りません。また平日でも品が切れているのは当たり前、駐在最後の方はむしろ、欲しいと思ったものはまず手に入らないと思っていよう、という心構えが最初から出来ている始末でした。これはオランダが不便というよりは日本が便利すぎるのと、あとやはり私が外国人で要領がわかっていない、というのもあったと思います。

 日本に比べると不便ですが、では不幸なのかというとそんなことはなく、国の幸福度ランキングでオランダは北欧諸国に次ぎ、上位ランクの常連国です。そんな国で私が経験した幸福体験というのは以下の様なものです。

 私には小さい娘がいますが、当時はまだ小学校に上がったばかりの頃でした。
週末は家の近所の公園に遊びに行くのを常としており、夏の季節などは二人して虫取り網を持って昆虫採集をするのがお気に入りでした。私も子供の頃は田舎に暮らしていたので腕に覚えがあり、蝶やトンボ、小魚などを捕らえては、じっくりと観察して、娘が驚愕したり喜んだりするのを見るのが楽しみでした。捕まえた虫は最後にリリースしてやり、虫取り網だけ持って帰ると夕ご飯の時間、というのが夏の定番になっていたものです。

 オランダの夏は昼が極端に長くなり、一番、日の長い季節になると夜11時くらいまで明るいのです。そんな夏休みのある日の事、例によって公園に行こうとしていましたが、所用で幾らか出かけるのが遅くなりました。しかし夜11時くらいまで昼の様に明るいので、さほど気にせず、二人して意気揚々と出かけて行きました。

 その日は公園のどこにいっても何がしかの発見のあるラッキーな日で、運河では大きな魚を見つけたり、木立の梢のあたりに見た事もない大きさのアゲハを見つけたりして、全く退屈しない1日でした。ついつい時を過ごしてしまい、時計を見ると午後6時をすぎてましたが、まだまだ日差しは真昼の明るさです。

 公園の中には、運河の上に築かれた巨大な遊具がありました。両岸から吊り橋がかかっており、それぞれの岸にある橋の袂は縄梯子になっている、というものでした。運河の中には中洲のような小さな島があり、吊り橋の途中から降りていけるその島は、とりわけ綺麗なイトトンボの住処でした。その小島に降りて行くには娘は小さすぎたので、私が偵察に行くのが常でした。そしてイトトンボがいると吊り橋にいる娘の方に向かって飛んで行く様に仕向けるのです。

 しかしその日、なぜかイトトンボは一匹もおらず、私は小島から、上の吊り橋にいる娘に向かって、今日はいない様だ、と伝えました。娘はしばらく無言で考えている様でした。

 日差しはますます眩しく、まわりは時折風が草を撫でる音くらいしか聞こえないくらいの静寂に包まれていました。人影はほぼ皆無、遠くの方に豆粒のような人が散歩しているのが見えるだけです。かなり長いこと考え込んでいた娘がやっと、今日はもういっぱい遊んだから帰ろうか、と言いました。

 その時、全く何故だか分からないのですが、私は途方もない幸福感に包まれました。白昼夢でも見ている様な感覚の中でちょっとの間、時間がなくなったような気持ちになり、私もすぐに返事をしませんでした。しばらくボケーとしてから、そうだね、帰ろう、と家路に着きました。

 まあ実際の所、こんな経験は別段に特別なものとはいえず、どこにいても日常の小さな幸福、というものはあるのでしょう。しかしながら、その時は同じことでもより幸せを感じる受信力みたいなものが上がっていた様に思います。モノが少ないから小さな事でも幸せを感じられる様になり、それで満足できるからモノが過剰に必要でなくなる、と言う事はもしかしたらあるのかもしれません。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

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