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「君のクイズ」の感想をダラダラと…

「問題」「小説 君のクイズのジャンルは何?」

スポーツ?ミステリー?バトルもの?人生ドラマ?あらゆる言葉が宙を舞う。ただどれも違う。正解がどんな形をしているのか?解を探し回るが、浮かび上がった言葉のどれもがそこに空いたピースに収まる気がしなかった。


生放送かつ優勝賞金1000万が縣けられたクイズ番組『Q-1グランプリ』の決勝戦。主人公 三島怜央は対戦相手である本庄絆が、まだ一文字も問題が読まれぬうちに解答をし正解、そして優勝を果たすという不可解な事態を訝しむ。いったい彼はなぜ正答できたのか?真相を解明しようと彼について調べ、決勝を一問ずつ振り返っていく…。

本書のあらすじはこんな感じだ。

私はこの本に出会う前メディアで超人と称される彼らを、自分とは脳の作りから何まで違うある種宇宙人みたいな人たちなんだろうと思っていた。

膨大な知識を脳内に保存し、問題文の限られた情報からそれらを瞬時に絞り込み、表示する…SNSで度々話題になるアキネーターみたいな…いやGoogleのほうが近いだろうか。

いずれにせよ彼らを自分とは違う何者かというように捉えていた訳だが、本書はそんな高を括った我々の思考を更新してくる。


最初にも述べたがこの本はこれだ!!というふうに既存のジャンルに分けることが難しい。
その要因の1つは、クイズプレイヤーの思考や一見ただの知恵比べにしか見えないクイズの奥深さが事細かに描かれていることにある。

作中で三島は“問題の一文字目を聞く前に解答し見事的中させた本庄に疑惑の目を向ける。それは他の出演者も同様でイカサマをしたんじゃないか?とテレビ局や本庄へ批判的な意見を述べるものも少なくなかった。しかしそんな三島らとは反対に、世間は本庄を超人と称賛し、崇めていた。三島は自分たちクイズプレイヤーと世間とのギャップに困惑する。やがて三島は、三島たちクイズプレイヤーが抱く違和感を世間は超人という偶像の中で片付けてしまっているということに気づく。

クイズは決して知識だけの勝負ではない。もちろん知識も不可欠ではあるが、できるだけ早く問題文の序盤の限られた情報から答えを導き出す力も重要だ。

超人たちは魔法を使ってポン!!ポン!!と答えを生み出しているわけではない。

その答えを導き出すには我々と同じく、答えに連なったり、枝分かれしている出来事や記憶を順々に巡っていくという過程が存在する。
それをあの速度で行っているからこそ超人と讃えられるのだろうが、この本で語られるクイズの競技性やコツ、そしてクイズプレイヤーの頭の中を知ると、超人と名付けて何処か遠い国の人にしていた彼らに親近感が湧いてくる。


三島は決勝で出題された問題を一問一問振り返る中で、そこに紐付けられた自身の人生についても考え始める。そのなかでも特に印象的だったのは、学生時代なかなか成果を出せずにいた三島に同じクイズ研究部の先輩がかけた一言だ。

「笑われたって、後ろ指さされたって良いじゃないか。勝てば名前が残る。」

誤答を恥ずかしがり、押し負けることの多かった当時の三島はこの言葉を受け、間違っているのは誤答を恥じ何もしないことだと考えるようになっていく。

この先輩の一言と三島の考えは、クイズのみならず人生にも通ずる部分がある。失敗を恥じ何もしないままであれば、状況は何も変わらない。たとえ成功する確率が低くとも、声に出し動き出すことが大事なんだ。この場面を見ると、誰かにそう鼓舞されているような気持ちになる。


この作品を読んで一つ気づいたことがある。“クイズを解くこと”と“本を読むこと”はとても似ているということだ。

クイズの答えを導き出すとき、プレイヤーはそこに繋がる記憶を辿っていく…。あの時あんなことがあって…。答えに絡まった記憶を引っ張りだす。

本を読むとき、読者(私)は登場人物の幸福、葛藤、自省に自らの体験を重ね合わせる。あの時あんなことがあって…。登場人物の行く末を見守り、共感しながらも自己を見つめ直し、そして明日へ歩みだしていくためのヒントを貰う。そこに記された作者の意図が解かれた時それはヒントへと形を変えるのだ。



「ピンポン」という音はならない。
それでも私は託されたヒントを胸に未来へ歩んでいく…。

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