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100年前の料理本を訳してみます3-序章に出てきた会社について

序章に出てきた会社や商品をひろってみます。
まずは、この改訂版を手掛けたルイーゼ・ホレ(Luise Holle)さんですが、1864年ブレーマーハーフェン生まれ。1892年の第32版から1942年までダヴィーディス料理本の編集を手掛け、病人食、高級な料理、残り物の利用法、家計のやり繰りといった項目や、料理の盛り付けや品書きの提案もしており、料理本の枠を超えた内容になっていったそうです。(ウィキペディアより)
後々出て来ますが、確かにナプキンの折り方、なども紹介されていて面白いです。

次に、肉エキス(独:Fleischextrakt)について。
 リービッヒ(リービヒ)の肉エキス(Liebig´s Fleischextrakt)とありますが、リービッヒと聞いてピンとくる人もいるのではないでしょうか。そう、リービッヒとはドイツ人科学者、ユストゥス・フォン・リービッヒ(Justus von Liebig、1803年~1873年)のことです。
 リービッヒ博士は化学肥料を作るなど、19世紀を代表する化学者とされています。博士が牛肉から作ったエキスが商品化されたものが、リービッヒの肉エキスです。
 ホレさんは序文の中で、戦争で入手不可能になった物の例としてリービッヒの肉エキスを挙げています。リービッヒ博士はドイツ人なのに?
これには以下のいきさつがあります。

 大学で教鞭を取りながら穀物や動物性脂肪の分析、研究を行う中で、博士は牛肉からエキスを抽出することに成功しました。肉の代替品になるのではと考えた博士は、さらにこれをパウダー状にします。ただ当時、ドイツでは肉は高価で、この肉エキスも一般市民に普及させるのは困難でした。バイエルン王の侍医の目に留まり、王室薬局の薬剤師に作らせました。後にバイエルン王室は年間2500㎏もの牛肉を買い付けるほど、このエキスは重宝されました。1852年王室薬剤師マックス・フォン・ペッテンコーファーはリービッヒ博士に、このエキスをLiebig´s Fleischextrakt(リービッヒの肉エキス)と名付けてよいかと尋ね、博士は喜んでそれを受け入れます。
 ミュンヘンの医師たちも、リービッヒの肉エキスは滋養によいと推奨しましたが、高価なため裕福な市民にしか買うことができませんでした。1㎏のエキスを抽出するのに、32㎏もの牛肉が必要だったといいます。
 その後博士は、イギリス人の友人の病気を患い虚弱な娘に鶏肉のエキスを与えたところ、日増しに体力が回復したのをみて、肉エキスの効果を確信します。

 その頃ウルグアイに移住したアウグスト・ホフマンというドイツ人がいました。ホフマンはウルグアイ川の左岸に肥沃な土地を見つけ購入し、1858年友人と購入します。その一帯はインデペンデンシア、ウルグアイ川の港はフライ・ベントスと名付けられ、人口が増えていきます。
 1861年ブラジルで道路建設業をしているドイツ人技術者ゲオルク・クリスチアン・ギーベルトがインデペンデンシアを訪れます。そこでギーベルトは膨大な数の家畜をみます。家畜は皮、脂肪、骨、角を利用するために屠畜され、肉は捨てられ猛禽類の餌になっていました。南米の高い気温と当時まだ冷却システムがなく、肉の保存や輸送ができなかったからでした。
 そんな時ギーベルトは、リービッヒの肉エキスのことを聞き、興味を持ちます。1861年にドイツへ里帰りをした際、肉エキスを食べ、味と品質に納得したギーベルトはリービッヒを訪ねます。ウルグアイの話をし、肉エキス工場を作れば、今の3分の1の値段で売れるともちかけます。
 大量生産の経験がまだなかったリービッヒは最初躊躇しますが、最終的に工場建設に同意します。ギーベルトはウルグアイへ戻る前に、知人であるアントワープの商人2人を訪ね、ビジネスプランを話し、2人から資本援助の約束を取り付けます。次にイギリスへ渡り、そこで試験的に小さな工場を作りました。
 ウルグアイへ戻って工場を建て、設備を整えて試行錯誤の後、1862年11月やっとリービッヒの元に商品サンプルを送ったところ、リービッヒから、「・・・大変満足した。原料の肉がほぼ放牧された牛のものだからではないかと思う。この商品をExtractum Carnis Liebig(羅:リービッヒの肉エキス)と名付けてもらいたい。・・・」と返事がきました。
 こうしてギーベルトは1863年Fray Bentos Giebert & Co.という会社を設立、肉エキス製造を開始します。1864年には23,000㎏、翌年には28,000㎏ものエキスを作りました。その後さらに資本を作るため、本社をロンドンに移して会社を拡大させます。そうして1865年12月にできたのが、Liebig´s
Extract of Meat Company Limited (LEMCO)です。ユストゥス・フォン・リービッヒ自身も品質管理部長として会社に迎え入れられました。
 LEMCOはウルグアイ初の、精肉業を営む外国資本の企業でした。大きな設備も入れ、事業はどんどん拡大します。

   肉エキス年間生産量
 1864年 ............................... 23トン
 1865年 ............................... 28トン
 1866年 ............................... 34トン
 1867年 .............................. 146トン
 1868年 .............................. 298トン
 1869年 .............................. 360トン
 1870年............................... 478トン
 1871年................................ 421トン

 LEMCOは世界中でその名が知られるほどの企業に成長し、アントワープやパリの万国博覧会にも出展しました。製造ラインナップも増やし、肉エキスの他、コンビーフや塩漬け肉、ブイヨンキューブなども作り始めます。
 第一次世界大戦が勃発すると、ヨーロッパ内の流通網が阻まれ、LEMCOはそれまでの勢いに陰りを見せます。戦後もかつての栄華を取り戻すことなく、1924年LEMCOはウルグアイでの業務を停止し、ヨーロッパのみで営業を続けますが、その後すぐに第二次世界大戦も始まり苦戦します。戦後も何とか生き残りを図り、 1968年イギリスのBrooke Bond Ltd.と合併し、Brooke Bond Oxo Ltd.となります。肉エキスはアントワープのBrooke Bond Liebig Benelux NVと共に製造、販売を行いますが、1984年Unileverに吸収されました。

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 リービッヒの肉エキスは今も製造、販売されています。ただ、当時のものと全く同じとはいえないようです。使う肉、製造方法などの条件が異なりますからね。
 でも上の画像のものは牛100%とあり、本格的な感じがしますね。機会があったら購入してみます。
リービッヒの肉エキス(独アマゾンのリンク)

 ところで当時、リービッヒの肉エキスにはいろいろな絵のカードがついていて、集めている人もいたそうです。トップ画像がそのうちの一つで、イタリアのものです。こちらのサイトには他のカードの画像が集められています。 

 さて、ダヴィーディス‐ホレ料理本の序文でホレさんがリービッヒの肉エキスの代替品として挙げていた、ブレーメンの食品メーカーDr. G. Mehrtensについてはまだ見つかっていません。見つけたらまたそのうち書きます。

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本文の情報元:
Die Geschichte von Liebigs Fleischextrakt
Zur populärsten Erfindung des berühmten Chemikers
Von Günther Klaus Judel
http://geb.uni-giessen.de/geb/volltexte/2004/1381/pdf/SdF-2003-1_2b.pdf
(ギーセン大学)

次はルイーゼ・ホレさんの序文にあったもう一つの食品、モンダミン(Mondamin)についてです。
 モンダミンと聞くと、日本人は「お口くちゅくちゅ・・」のCMを思い浮かべる人も多いでしょう。食品のイメージは全くないですよね。
 モンダミンはドイツのデンプンの商標で、現在も売られています。ドイツに住んでいた頃、私も使っていました。
 こちらがメーカーのサイトです。

サイトを読みますと、1896年にモンダミンが生まれ、1913年にベルリンでMondamin GmbHという会社が設立されました。
 このモンダミンという名前ですが、アステカ帝国とトウモロコシにその由来があるそうです。アステカのある伝説では、若い戦士ハイアワサ(Hiawatha)と、人間と親しい神モンダミン(モンダーミン?Mondamin、Mandaamin)が出会った時、モンダミンがハイアワサに戦いを挑み、負けました。敗北した神モンダミンはトウモロコシ畑に姿を変えました。それ以降トウモロコシはインディアン神話において神からの贈り物とされているそうです。
 ドイツのモンダミンはトウモロコシから作られるでんぷん、つまりコーンスターチです。なのでこの名前を取ったのですね。
 トウモロコシ(独:Mais、英:maze)は、すでに1539年ヒエロニムス・ボスが自著に記していたそうです。トウモロコシの栽培はヨーロッパでは19世紀末に始まりました。
 Mondamin GmbHは1917年にクノールに買収されましたが、現在はユニリーバのブランドになっています。

 本の序文でルイーゼ・ホレが挙げているDr.エテカー(Dr. Oetker)社のGustin(グスティーン)もまだ存在しています。こちらです。

Dr.エテカーの話をするとさらに脱線しそうなのでここでは抑えますが、個の商品も1898年から製造されているコーンスターチです。商品名の由来がちょっとわかりません。
 もう一つホレさんが挙げていたハレの会社Eggersとその商品「Zeanin」は見つかりませんでした。もうなくなったものと思われます。もし情報が見つかったらまたシェアします。

ということで、次はいよいよ目次です。お楽しみに。

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