肩書きのない自己紹介
自分が何の専門家なのかを明確に。と
写真家→ライフキャリアフォトグラファー→フォトグラファー/キャリアコンサルタントと肩書きを決めて活動を続けているけれども、どれもしっくり来ていない。
わかりやすく肩書きにはめるのは簡単だけれど、わかりやすいのと私自身をきちんと表現して伝える言葉は違う。
写真を撮って、女性向けのキャリア支援をしているけれど、心地よい生き方働き方を自分自身も模索しながら発信しているし、会社員としても働いていて、妻でもあるし、そろそろお腹の中の君の親にもなる。
両親から見れば子どもで、道端を歩いていれば "その辺の人” で、「私」はどんな場所にいるか、誰と一緒にいるかでどんな私にでもなる。
じゃあ私ってどんな人なのか。
肩書きのない自己紹介をしてみよう。
自分自身を素直に表現できているとエネルギーが満ちる
過去の自分を振り返ると、自分自身を表現しているときの自分が一番好きで、自分でもエネルギーが満ちているなと感じる。
それは、小学校の学芸会で着る衣装を役柄から自分なりに考えたり、演劇クラブの脚本を自分で書いて自分で演じたり、高校の時の学園祭でギターを弾いて歌ったり、美術の授業でたくさんの作品を描いたり。大学では、大きな印画紙に撮影した写真を焼いて展示したり、ストーリー仕立てにして組み写真を撮ったり、他大学の人とファッションショーに出演したりと、とにかく創作というものが好きで、それは全部自己表現だった。
自分自身がこう思う!という自信のもとに、自分自身を思いっきり表現している時は、開放感があっていつも笑顔でいる気がする。
だから、私は文章でも、写真でも、仕事でも、生き方でも、素直に自己表現をしていたい。
それが周りに幸せをもたらすパワーになることも、感じる。
そして、自分を表現できていると幸せを感じる力も強い。
知らない職業、価値観、”好きなもの” を持っている人と話すのが楽しい
とにかく知らない世界が面白い。自分が知らないことを知っている人には強烈に惹かれる。だから、知らないものを見せてくれる人にいつも夢中になってしまう。
小学校5年生の時に転校してきた女の子は、私に "ユーミン” と "新撰組” の面白さをたくさん教えてくれた。昔の良い曲を知っている彼女はとっても面白くて自分にないものを持っていた。新撰組は唯一の生き残りの隊員が書いた小難しい本を借りて読んだし、それをもとに誰にも見せない新撰組の小説も書いていた。(100円均一で買ったノート8冊くらいは続いた)
いい意味でも悪い意味でも、人の興味があるものにいつも興味を奪われて、新しい世界にワクワクしている。私を「えいや!」と行動させるのも、私に新しい世界を見せてくれるその人たち。
写真を撮影する時も、キャリア支援に関わる時も、その人の仕事や考え方、大切にしていることをじっくり聞くけれど、それはもう、本当にいくらでも聞けるくらい楽しい。
ただみんな魅力的に見えるから、あっちこっちに好奇心が分散しちゃうところもある。
かわいいよりも、かっこいい人と思われたい
綺麗な洋服も、見た目を美しくするメイクも大好きだけれど、何より人間として、”かっこいい人”でいたい。幼い頃からかわいい子コンプレックスが止まらなくて、かわいい格好をしてもあの子より可愛くない、大人っぽくなりたくても童顔でどうにもならない、グラマラスなあの子に憧れて、なんで自分は可愛く綺麗になれないんだろうと思っていた。
自分が求めるかわいいになれないなら、かっこよくて個性がある人になろう、かわいいだけじゃきっとつまらないだろうって、可愛い以外の魅力をずっと磨き続けてる。
結果的に私が憧れてきたたくさんの女の子たちは、可愛いだけじゃなくて自分の人生を生きていて本当にかっこいい。でも、自分自身も外見がただ可愛いだけに憧れていた時よりはずっと自分を認められている気がする。
書いてみて、君の親ではない私は、こんな人なんだよと文章に残しておくことは、大切なことだと思った。
私が親になってもこの肩書きのない「私」は変わらないよ。
この方のnoteを見て、してみようと思いました。
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