見出し画像

「サッカーから学び、サッカーで笑う」 1年・富永東吾

小学校1年から地元のサッカークラブに入りサッカーを始めた。ミヒャエル・バラックという選手に憧れて背番号を13にした。父親がサッカーをやっていたため、サッカーについて父親から多くのことを教えてもらった。そのおかげで小学校5年になると千葉県選抜に選出された。県選抜であったこともあり、中学は「柏レイソルA.A.TOR'82」に入団することができた。チームメイトの多くはサッカーの強豪校へ。

画像1


しかし、私は中学3年の頃、自分の進路に大いに悩んだ。「どこの高校に進学するのが自分にとっての正解なのか」わからなかった。でも、強豪校に行って試合に出場できる自信もなかった。


だが私には「文武両道の達成」という目標があった。


目標を達成するために新幹線を使い、片道2時間かけて早稲田本庄へ通うことを決めた。中学までの私のコミュニティの多くはサッカー関係であった。しかし、高校ではいろいろなバックグラウンドを持った仲間に出会った。英語や他言語を流暢に話せる人や勉強がすごくできる人、スポーツができる人、いろいろな人に出会えた。学校には校則はなく、毎日私服で学校に登校をして、大学受験にとらわれることなく、自由で有意義な高校生活を送ることができた。色々な特技を持った仲間に囲まれとても刺激的な3年間であった。絶対に他校では味わえない経験をたくさんすることができた。


その一方で、挫折も味わった。
「自分よりも実績があってサッカーがうまいヤツなんてこの学校にいないだろう」と思いながら入学した。しかし、見事にトップチームの試合には1試合も出られなかった。「私のサッカーに対する姿勢」「先輩への敬意の欠いた態度」を変えることができずに高校1年が終わった。しかし、監督からは何も言われなかった。怒られもしないが、Aチームに自分の名前は全くなかった。怒られれば間違いなく気づけた。しかし、何も言われない自分はいつか試合に出られるだろうと考えていた。高校3年の先輩が引退するときにある先輩から


「お前が変わって絶対チームを勝たせる選手になれ」


と言われた。とても有難かったし、2年間試合に出続けようと心に誓った。始発の新幹線に乗りシュート練習を始めた。その結果、高校2年・3年では試合に出場することができた。

そんな私は高校3年のときから自分の大学生活について少しずつ考えていた。そんな私が出した答えが


「大学ではサッカーを辞めよう」


だった。楽しそうに遊んでいる先輩の姿をみてそう思ったのかもしれない。根拠はなくそう思った。だからこそ、最後自分のサッカー人生悔いなく終わろうと秋の最後の選手権に向けて練習を必死に頑張った。
しかし、選手権は2回戦で呆気なく負けた。これでサッカーを辞める自分が許せなかった。高校2年のときに、引退したはずの陸人くん(平田陸人・2年)がグラウンドを黙々と走る姿をふと思い出した。周りの友達が髪を染めて、学校帰りにワイワイ遊んでいる中、何も言わずに1人で次のステップのためにトレーニングをする姿がかっこよかった。そんな先輩の姿を思い出し、選手権に負けた次の日から後輩たちに混じり練習に参加してグラウンドを走った。

画像2


そして現在、私は「早稲田大学ア式蹴球部」に所属している。トップクラスの同期や先輩とサッカーができる環境。入部する前は、大学サッカーのレベルの高さ、仲間のレベルの高さに驚き、この挑戦が間違いだったのではないかと疑うときが何回もあった。しかしア式にきて、自分と向き合う機会が増え、自分が少し変われている。ア式とは私にとって最高であり、私は今、自分のサッカー人生で最もサッカーを楽しめている。


しかし、ここまで来ることができたのは間違いなく多くの人のおかげである。小さい頃からサッカーを指導してくれた父親。ご飯や洗濯をしてくれた母親。そして両親には、高い学費、高い定期代を出し続けてもらった。そして自分のサッカー人生に関わってくれた指導者の方々、応援してくれる友達、一緒にトレーニングをしてくれた仲間、たくさんの人に支えられてきた。
だからこそ、多くの人への感謝を忘れずに大学サッカーをしたい。

この4年間を充実させるために私は以下のことをする。

・練習、試合を100%で取り組む
・相手やチームメイト、スタッフ全員へのリスペクトを忘れない
・サッカーがあるからといって勉学を怠らない

サッカーはもちろん、1人の大学生として大いに成長をし、「文武両道」を達成したい。

そして現在もコロナウイルスが世間に蔓延している。練習ができないどころか友達に会えない期間もあり、この経験は今までにないものだった。どこかで仲間が集まりサッカーができることが当たり前と思っていた自分がいたような気がした。この2020年が今までとは違った1年になることは間違いない。生活のスタイルも変わりつつあり、非日常となった日々を過ごすこととなっている。私は今こそその人の真価が問われていると思う。「コロナだからできない」と言い訳をするのか、「コロナでもやれることを探すのか」の二択だと思う。私は自分の行動に責任を持ち、このような中不自由なくサッカーできていることに大いに感謝をして、自分ができることを探していきたい。

画像3


富永東吾(とみながとうご)
学年:1年
学部:社会科学部
前所属チーム:早稲田大学本庄高等学院

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?