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「『』を『私』にするために」 1年・山田怜於

初めまして!

今回2020年度部員ブログの第1回目を担当させていただきます、1年の山田怜於です!
記念すべき第1回目ではありますが、普段あまりこういったものを書かないので、拙い文章となることをご承知ください(と先に言っておきます笑)。
この部員ブログでは、過去及び今の「私」を紹介しつつ、どうせなら今まで自分が考えてきた、考えまいとしてきたことなどについても触れていけたらいいなと思っていますので、簡単にでも読んでいただければ幸いです。


では、本編へ。

私がサッカーを始めたのは小学校1年生で、そのきっかけとなったのは入学式でサッカー少年団の勧誘チラシを一番最初に受け取ったからという単純な理由でした。
当時は、幼稚園や保育園にも行っておらず、1人っ子らしく1人で本を読んだり、三輪車を漕いで近くの公園に遊びに行ったりと、サッカーとは縁がなく、そもそもサッカーがチームでやるものだということすらも知りませんでした。
けれど、実際にサッカーをやってみると、その楽しさに魅了され、どっぷりと浸かっていきました。                
そうして、小学校5年生時には横浜FCの強化カテゴリーというチームに合格し、小学校6年生には神奈川のセントラルトレセンに選出されるなど、順風満帆なサッカー中心の生活を送ることができました。
小学校から中学校にかけても、横浜FCジュニアユースの内定をいただき、素晴らしい環境で中学3年間サッカー漬けの日々を過ごし、高校でも横浜FCでサッカーをするんだろうなと思っていたのです。           

しかし、中学3年生になってユースの昇格もあった中で、高校受験直前の忘れもしない、1月28日に内定を辞退するという決断をしました。当時を思い返せば、非常に悩み、そして少々荒れていました(今ならば笑えるけれど、家出をするくらいあのときは酷かったのです笑)。
この選択には勿論中心となる理由があったのですが、それとは別に「ユースを辞退する」という選択肢を否応にも提示されてしまった時にふと思った、ふと思ってしまった、

「『私』からサッカーという要素が失われたら、それは何者なのか」

ここに非常に悩まされたのです。これまで生活してきた(選んできた)世界は当然サッカーが多くを占めており、「私」がサッカーに支えられていた分、それを失った時にはある意味その世界そのものがない訳で、「じゃあ、『私』の存在意義は?意義云々の前に『私』の存在って何?」と。それと同時に、「サッカーだけではなく、他のものにも目を向ける必要があるのではないか」と漠然と考えていました。

そう考えた時に思ったのが、「これまでとは違った、サッカーだけではない場所へ行く」ことでした。その1つの手段として、サッカーとは関係のない、様々なバックグラウンドを持つ人が集まるであろう公立の鎌倉高校に進学したのです。そうして過ごした高校での3年間は、「サッカーは私にとって非常に大切なものだが、サッカーだけが全てではない」ということを再確認することできました。これまで知らなかったものに触れ、好きになれたことは、「」にとっては絶対に必要であったのだと言えます。


今は、これまた高校とは比べ物にならないくらいの個性を持つ人が集う、早稲田大学ア式蹴球部で活動をしています。
そして最近では、存在意義という言葉をよく耳にするようになりました。存在意義と聞くと、「」には少し、いや非常に重く聞こえてきます。

「あなたはなぜこの組織にいるの?」
「あなたはこの組織のために何ができるの?」
「あなたはこの組織で何をしたいの?」
「あなたの存在意義は?」と。

これは図らずも以前から頭に残っていた「私の存在とは?」を再び考えるきっかけとなりました。
そうして、「どうしたら本当の意味で『私』を実現できるのか、存在していると言えるのか」を考えた時、やはり「人生の中で多くの人が認知する『何か』を大小関係なく作る」ことなのではないかという自分なりの答えを一先ず出しました(これが正解かは分からないが)。
「私」の中は勿論だが、外に他人が認知できる「何か」を作ることが、「私」を作る手段になり得ると考えたのです。
そして実際に、現在は「大学サッカーを変えるため」に、そして「『』を『私』にするため」に「何か」を作り出そうとしています。


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コロナウイルス感染症が広まったことによって、これまで以上に人とのつながりを認識できました。
しかし、コロナウイルスによって人との関係を持つことできなくなったと共に、実はこれまでよりも生活する場所を選択できるようになり、生きやすい世界で生きることが容易になったように感じます。
「制限された中でも、自分が存在できる場所を見つけることができた」と。
けれど同時に、同じ考え方を持っている集団では「私」が薄くなっていくようにも思います。

「『』を『私』にするため」

新たな場所・物事へとこれからも意識して飛び込んでいきます。

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拙い文章でしたが、ここまで読んでいただき、ありがとうございました。


◇山田怜於(やまだれお)◇
学年:1年
学部:社会科学部
前所属チーム:鎌倉高校

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