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「私の右腕」 1年・大橋優貴

初めまして!
早稲田実業出身の大橋優貴です!

今までの自分の過去を紹介するというより、考えを書いてみました。
もしよろしければ読んでいってください。

それでは本題へ。



直江兼続という戦国武将がいる。上杉景勝の懐刀として仕え多くの功績を残した。全国統一を成し遂げた、あの豊臣秀吉にまでその才能を認められスカウトされたことのある程の武将だ。

どの組織や歴史にも必ずと言っていいほど、このような立ち位置にあたる人物が存在する。「〇〇の右腕」とはよく聞く言葉だ。辞書で右腕と調べると「最も信用し、頼みにしている部下」と出る。なぜだろう、私はこのような立場の人になりたいと思ってしまう。


理由はそのまま。その組織において、最も信用し頼りにされている立場であるからだ。それも、組織のトップで最も力のある人からだ。これほどに誇らしく、自信になることはないだろう。


私は人から認められたい。人は誰しもそうである。しかし、他人に自分を認めさせることはとても難しい、信頼させることもまた難しい。それらは日頃からの積み重ねでしか生まれない。コツコツ積み上げるしかない。さらに、一瞬で消えてしまうかもしれない可能性も秘めている。中学生の頃のサッカークラブの指導者がよくいっていた言葉がある。「崖を登るのはとても時間がかかるけど、落っこちるのは一瞬なんだよ」まさにその通りだと思った。

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私は現在、ア式蹴球部の一員として活動している。今の環境でサッカーをしていると、これまでに述べたことをひしひしと実感する。組織・仲間・学年に人として、選手として自分の価値を認めさせることはとても難しい。サッカーにおいても、人としても高いレベルの組織であるから当たり前だ。どのようにして自分という存在を組織の中で輝かせられるか。チームスポーツである以上はそれを常に考え、そこにチャレンジし続けなければならない。そして、いつかは絶対に認めさせる。そういう思いで活動をしていきたい。


ここまで認められることについて述べてきたが、私は昔から人の目を気にして行動するやつだった。自分がどう思われているのかをめちゃくちゃ気にした。今もそういう思いでこのような文章を書いてしまっているのかもしれない。確かに、他人から信頼されたり、評価されたりすることはとても嬉しい、そして誇らしい。しかし、他人の評価はあくまで他人の評価でもある。当たり前だが、他人は自分の行動や目に見える結果などでしかその人物を評価することができない。それ以上でもそれ以下でもない。私は最近になってそう感じている。

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他人に認められようとするとき、私はよくその人に意見を聞きにいく。その人のアドバイスや話から様々なことを学び成長するために。果たして、私はそこで学んだことを、その時だけでなくずっと意識しているのだろうか。そう自分に問うと自信はない。もちろん、その人は毎日「おい大橋、意識できているか?」なんて聞きにこない。自分の力で意識する必要がある。1日1日を生活していく中で自分を一番見ているのは自分だ。だからこそ、自分が誰よりも自分に対して厳しい存在、自分が誰よりも客観的に自分を見て正しい評価をできる存在でいる必要があると私は思った。このように、本来は他人に認められるよりも自分に認められる方が難しいはずだ。


こんな文章を書いておきながら、私はまだまだ自分に甘い。そんな自分はいつまでたっても自分に認められるはずがない。もっと自分自身と向き合い、自分に厳しい目を向ける必要がある。この組織の一員として自分がどのような存在、どのような選手になれるのか、全て自分次第。この思いを持って全力でもがきたい。だが、今後どのように成長できるのだろうかと少し自分に期待をしてしまっている自分もいる。この自分の期待に私は全力で応えたい。


そして、私はこの4年間で私に私を認めさせたい。


大橋優貴(おおはしゆうき)
学年:1年
学部:社会科学部
前所属チーム:早稲田実業学校高等部

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