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読み手を意識して書くことが、結局自分のためになる

京都には琵琶湖から引いた水が穏やかな小川のようになっていて、その小川沿いに遊歩道があることが多い。朝、その道のうちの一つを通って大学へ行った。前日の続きで、蹴上駅から大学までの紀行文を書き上げる授業。

到着したのが少し早かったので、時間潰しがてら階段を上がって校舎の上の方まで行ってみる。出来る限りの散策に、今日も挑戦してみよう。

市街の北東部の山に這うようにして校舎が建っているので、大学構内は登れば登るほど景色がよく、京のまちが盆地であることがよくわかる。まちを囲む山の裾はカーテンのひだのように波打っていて、そこらの田舎で見る景色と変わらない。人が生まれる遥か昔に、この京都にも噴火があったのだろうか。

3月までアドレスホッピングをしていて、旅のエッセイをそれなりに書いて、でも書くことのままならなさを感じて……。という経験をした自分にとって、紀行文はすごく楽しみにしていた授業の一つだ。数ある通信制教育を選ぶ中で、この授業があったからこの大学を選んだと言っても、まったく大げさではない。

前日の小旅行を字数制限内におさめ、さらに自分なりのテーマを決めて起承転結を意識して書いてみなさいという。

はあー、これは難しいし、やったことがなかったぞ!長い旅なんだから文は長くなる、なんてことはないわけだ。今までの文章は自己記録用に過ぎなかったのだなと思った。もちろん、書いたことはえらいし、自分の文は好きなのだけれど。

旅の道程を紹介したいのか、旅による自分の気持ちを表現したいのか……。字数におさめるために地名をどこまで出すか、どこまで詳細に説明するか……。伝えたいことは何か……といったような、読み手に届ける言葉を吟味することはあまりなかった。

昨日散策した、南禅寺の水路閣。
有名な煉瓦造りの橋脚の上はこんな感じ。

京都のまちとまだ馴染みきれない自分、というテーマで書きすすめる。字数をかなりオーバーして、先生から「風景の描写は思いっきり削って、テーマである気持ちの方を書くといい」とアドバイスをいただく。

気持ちの描写を膨らますためにあれこれ振り返っていると、はじめてたどり着いた気付きがあった。アドレスホッピングを終わりにすることへの未練や、ひとつの街に根を下ろすことへの覚悟のなさを自分がまだ抱えているのだ。だから、街に馴染めないのではなくて、馴染むことに少し抵抗しているところがあるのかもしれない。

それがわかるとすっきりして、紀行文もさらさらと書き終わった。読み手を意識した構成で書いたのに、自分にとっての発見があり、自分の文章は相変わらず自分のための文章でもあるのだと嬉しくなった。

いつかまた旅に出て紀行文を書くことを先生と約束して帰宅。夕飯はウインナーをいれたラッポッキ。お供は沖縄に旅して以来大好きなオリオンのノンアルビールで。


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