友達

今日も一日仕事を終えて眠りに就いてる。でもどうしても寝る前に一杯やらないとな、と思って台所の白いタイルの前で僕また山崎の12年を空ける。

どこかで、人が夜ふかしするのは「今日という日に満足していないからだ」と読んだ気がするが、一日たりとも満ちたりた日はあっただろうかと思いながら、満月を見て僕はポテトチップスと一緒に流し込む。

仕事は決まって法律と通達に従って淡々とこなしながら、人々の「やっぱりキャリアは違うね」という称賛に、そんなことはないですよと言う彼の姿がある。僕はそれを見て酸っぱい感情に歯を食いしばる。 僕はFairfaxのネクタイを緩めてサブスクリプションで見た何処かの芸人の「仕事に飽きた」というネットニュースを思い出しながら、リトルトゥースと書かれた帽子の型を元に戻す。そうして満たされた心の隙間にA6版染め上げる余地があったことを知って、空になったボトルを恨めしく思う。

近所のファミリーマートには縦長の灰皿がある。灰皿を投げて正当防衛が主張された判例を思い出して、僕が左足で蹴とばしたコオロギがヤマトゴギブリだったのではないかと考えたことに何の意味はなかったことと彼は後悔する。そして、なぜイチゴミルクではなくてカフェオレを買ったのかという理由を見つけられないでいる。結局、ベランダで宿舎の窓をぴたりと閉めながら、僕がアメリカンスピリットに火をつける時には大きく見えたあの満月はもう沈んていた。

ケインズの言う不確実性というのは、天才が期待した人間への希望だったのではないだろうか。人間の功利が計算できるとしたベンサムや、一般均衡概念に対するワルラスへの辟易とした思いが込められているのだと僕は知っている。だから、彼はインスタグラムを見ながら、善くないと思ってマンキューを広げるのだけれど、それがいかほどの役に立つのかということを知っているから、説得された彼はただ独りで僕と向き合う羽目になる。

彼はうんざりしながら僕の言うことを忘れたくて、ビールが欲しくなる。それでも忘れられなくてついつい独りでいると、彼女が「聞いてる?」と声をかける。彼は聞いてるよ、と言って手で答えるのだけれど、抱き着いた彼女の口数が腕の強さを反比例して減るのを知っている。彼は彼女のことをよく知っているし、彼女が彼のことをよく知っていることをよく知っている。でも、彼女をどう思っているかを彼自身はわからないし、僕も教えてあげることができない。僕は何もすることができないし、僕のせいで彼を困らせていることもわかっている。

彼は僕を否定することが彼自身を否定することもわかっている。でも、彼は優しいから誰も蜘蛛の糸から逃すことをしない。だから僕は怖くて、彼の気持ちを教えてあげることができない。僕の形而上学が本心であることも知っているし、それが僕の個性であることも知っているが、彼はそれがプライドであるかをよく見極めている。彼は優しいけれど、ルソーに魂を売り渡すことしないところが僕は好きなのだ。

その意味で彼が孤独であることはよくわかっている。誰もを好きで誰もが他人であるという感情は、両立しないと存在しえない感情である。でも彼は、そこに食い込んだ誰かが、母の作ったカレーライスのように、比類なき個体性を持っていることをわかってはいるが、僕に説明できない。だから、彼は僕のプライドがプライドであることをわかっているけれど、彼自身のプライドがどこからきているのがわかっていないし、僕自身もわかってあげられない。

僕のような疎外された男でも、社会と接合していられるのは彼のおかげだ。でも、彼が社会と接合しきれないのは、僕のせいだとも思うと、僕という存在の罪深さを酒で流したくなるのは、どうにか許してほしいことだと彼に謝りたい。

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