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ビジネス書って、おかんの味がする。

ふだんは専ら小説ばっかり読んでいるのだけれども、ふと、ビジネス書の棚に吸い寄せられることがある。
そういう時は、たいてい心にモヤモヤがあるときで。

ビジネス書のタイトルは、ちょっとした応援歌だ。
眺めているだけで元気がもらえる。
たとえば
『反応しない練習 あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」』(草薙龍瞬 KADOKAWA)
『限りある時間の使い方』(オリバー・バークマン かんき出版)
『「後回し」にしない技術』(イ・ミンギュ他 文響社)・・・。
力強いフォントで書かれた、力強いタイトルたち。
へっぽこな私でも、この本を読んだら変われるかもしれない。
そんな気にさせてくれるのだ。ビジネス書の棚は。

今回、私が縋りついた・・・じゃない、手に取ったのは
『エフォートレス思考 努力を最小化して成果を最大化する』
(グレッグ・マキューン著 高橋璃子訳 かんき出版)。

エフォートレス。つまりは努力なし。
なんという魅惑的で素晴らしいお言葉!!!
そうなのよー、このごろの私は努力したくても身体がついていかんのよー。
だから出来るだけ努力は省きたいのよー。したくないのよー。
楽なのがいいのよー。

ビジネス書って、懐が広い。
ガチのお仕事本から、自己啓発本まで、なんでもござれだ。
広大無辺だ。
ほとんどの悩みに対応できるんじゃないだろうか。
そして、どんなにダメなやつも見捨てない。
本屋のゴッドマザー、かもしれない。

『エフォートレス思考 努力を最小化して成果を最大化する』は、タイトルも優しければ、内容も限りなく優しかった。
慈愛に満ちていた。

ただ闇雲に頑張っても成果はでないよ。
働きすぎは偉くなんてないよ。
完璧主義者は成功しないよ。
やりたくないことはやらなくていいんだよ。
楽に生きよう。もっと肩の力を抜いていこう。

と、いう優しきお言葉が、エビデンスと共に示されるのだ。
(自分の都合のいいように解釈している可能性は否めないけど)

あー、沁みる。身体の隅々にまで、沁みわたる。
なんだかしらんが、泣けてくる。

これは、あれだ。
上京して初めて帰省したときの、おかんの味噌汁の味だ。
それまでは特にウマいとも思わなかったのに(むしろ味が濃くて苦手だった)、いつもの席に座って、自分のお椀で、油揚げマシマシのソレを啜ったら、急に胸がいっぱいになってしまった。
私も母も口下手で、会話らしい会話なんてしなかったけど、なぜか、お互い解りあえてる気がした。
あの、味噌汁の味。

家を出るまでは、正直、おかんの忠告は全部ウザかった。
お為ごかしの言い方、その理論、自分の考えを押し付けてくるかんじ。
もう何もかもイヤだった。

はなむけのつもりだったのか、引っ越しの終わったアパートで一冊の本を渡された。
『チーズはどこへ消えた?』(スペンサー・ジョンソン著 門田美鈴訳 扶桑社)という、当時大ヒットしていた自己啓発本だ。
当時の私は、半分も読まないで段ボールに放り込んだ。
まるで、おかんだったからだ。

こういう人生を送ったほうが幸せではないですか?

そんなふうに誘導するような書き方が、私には我慢ができなかった。

30を過ぎてから、その本を読み直してみた。
沁みた。
ものすごく素直に、沁みた。
「こんなふうに人生を歩まなくっちゃな!」
なんて、何度も肯き、メモすら取った。
「若いころにこの本を読んでたらなあ~。もう少しマシな人生になってたかもしれんなあ」なんて後悔したりもした。
18の時放り出したくせに。

なんだろうなあ。
人間と言うのは不思議なもので、若いうちは他人の忠告がうざったいだけなんだよな。
それを素直に聞けるようになるには、それなりの人生経験というか、艱難辛苦というかが必要なんだよなあ。

おかんの料理の味も同じだ。
子どものころは有難くもなんとも思わなかったけれど、しばらく離れてみると妙に恋しい。どこぞのレストランより、はちゃめちゃレシピのおかんのスパゲッティのほうが美味しく思えたりする。

ビジネス書と、おかんの味が素直に沁みるようになったら、大人になったってことなんだろう。たぶん。
人前では、まだまだ尖った自分でいたい私だが、就寝前の読書時間には、思いっきり素直にビジネス書(おもに自己啓発本)に寄りかかってもいいじゃないか。実際のおかんの胸に飛び込むには年を食い過ぎているが、本はいつだって受け止めてくれるからな。

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