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あなたの娘のひとりに、してもらえませんか?

私には兄貴が30人はいる。
姉貴は10人くらいだろうか。
残念ながら弟や妹はいない。もし出来たらスゴイことだ。
父ではないが、師匠と呼んでいる人は5人いて、けれども母はいなかった。

現実の血縁関係のことではない。
本の中での話である。

それは登場人物であったり、作者であったりするのだが、彼ら彼女らは必ず兄貴か姉貴だったのだ。
どんなに年下のキャラクターであっても、おにーちゃんおねーちゃんなのだ。必ず、格上の存在なのである。
だが、父ちゃん母ちゃんでは決してなかった。
師匠はあっても、決して、父でも母でもないのだ。

なぜなのか。
それはたぶん、私の一親等と言うには気が引けるからなんだと思う。
本の中の彼ら彼女ら、そして作者は、あまりにもカッコよくて、芯があって、立派すぎる。
あまりに眩しすぎて、私の「父ちゃん母ちゃん」では申し訳がない。
パパ、ママ、お父様、お母様。そんな呼ばれ方をするに相応しい方々なのだ。残念ながら、私にはそう呼べる高貴なるクチがない。

ところが。
出会ってしまったのだ。
「おかーさーん!!!」と、心の底から叫びたくなる存在に。

彼女の名は、マヤ・アンジェロウ。
『娘たちへの手紙 豊かに生きるための知恵と愛』(マヤ・アンジェロウ/著  白浦 灯/訳 海と月社)の、そでによると
「2010年、米国で民間人に贈られる最高位である大統領自由勲章を授与される」とあるので、めちゃくちゃ偉い人である。
雲の上の人である。

しかし、私は彼女を「お母さん」と呼びたい。
というか、呼ばせてください。
私の命があるかぎり、私はあなたの娘のひとりとして生きていきたいのです。

『娘たちへの手紙』は、タイトルが示すとおり、マヤ・アンジェロウさんが読者を娘に見立てて、これまでの人生で得た教訓を手紙方式で綴ったエッセイ(なのか?)である。

立派な勲章を頂いている、超一流作家であり詩人。
そんな人のお手紙なんだから、さぞかし立派なことが書いてあるのだろう。
裏表紙のおススメコメントには、オバマ元大統領に、トニ・モリスン(ノーベル賞作家)のお名前。
こりゃあ、ご宣託をきくように居住まいを正して読まねばならぬだろう。

デスクチェアーに正座して読み始めたのだが。
肩透かしをくらった。

あまりにも等身大だった。
まったく飾ったところがない。
嫉妬するし、怒るし、泣くし、勘違いもしちゃうし、時に感情に突っ走ってしまう。まるで、いつかの私である。

感情を暴走させたあと、自己嫌悪でスイーツドカ食いコース一択の私とは違い、マヤさんは、そういう自分をしっかり認めてあげる。突き放したりしない。
どうしてそういう感情を抱くに至ったのか、自分自身に向き合って、問いかけてあげる。
辛いから? 馬鹿にされたように感じたから? 悲しかったから?
そうやって、自分の気持ちに徹底的に寄り添う。
それは、自分自身を慈しむことでもある。

幼少期の性的虐待、10代で未婚の母、ボーイフレンドからの激しいDV・・・。マヤさんの人生は壮絶だ。それなのに、彼女の文章には微塵も影がない。自己憐憫のかけらもない。

「あれがあったおかげで、こう考えることができたのよ。私ってラッキーよね!」
そう言って笑うのだ。
読みながら、大きな口を開けて笑うマヤさんの声が聞こえてくるようだ。
まるで、うちの母ちゃんのように。

ものすごく理不尽で、腹の立つことが起こるたび、私もときどき声に出す。
「あー、このクソみたいな経験のおかげで人間デカくなれたわー、あー、ありがとね、くそったれ野郎ども!!!」

これは、器物損壊をしないためのオマジナイであって、本心からではない。
言えない、心からなんて。だって、はらわた煮えくりかえってるんだもの。

なのに、マヤさんは笑うし、心から感謝している。
ひねくれものの私は普段、こういうキレイごとをいう人は苦手である。
どうしても斜に構えてしまう。
それなのに、マヤさんの文章はすっと心に入ってくるのだ。
読んでいると、励まされるのである。

それはたぶん、マヤさんが答えを押し付けることをしないからなんだと思う。
「こういうときは、こう考えなさい」とは決して言わない。
「私はこうだったの」と、世間話みたいに話してくれるだけだ。

こうしろ、ああしろ、と答えを押し付けられると、私は反発したくなる。
たとえド正論でも、その人を尊敬はできない。
だって、なんだか馬鹿にされている気がする。
「お前には考えられないだろうから、オレが教えてやるよ」みたいな。
尊大な講師さまに跪いて教えを乞うほど、私は従順ではない。
私が欲しいのは、答えではない。
ヒントが欲しいだけなのだ。
私には、アホであっても頭がある。私は自分で考えることができる。

折り紙と同じだ。
完成品が欲しいんじゃない。折り方が知りたいんだ。
私は、自分で折った紙飛行機が欲しいんだ。

ヒントを出してくれる人は、私を対等に扱ってくれている気がする。
「あなたならきっとわかるはずよ。私と同じように」って。
それは、信頼の証でもあると思う。
マヤさんの文章には、それが溢れている。
全幅の信頼が、そこにはある。

こんなふうに信じてくれるのって、親くらいなものだ。
大人になってからは、親にだってこんなに信じてもらってないかもしれない。
本を読みながら、何度か「おかーさん」と呟いてしまった。
ホンモノの母親には恥ずかしくって言えないけど、本の中でなら思いっきり甘えられる。
だから、お願いします。
マヤ・アンジェロウさん。どうか私も、あなたの娘のひとりにしていただけないでしょうか?

だめって言われてもダメです。
なんと言われようと、あなたは私の「お母さん」です。
本の世界で初めて見つけた「お母さん」は、あなたです。


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最後までお付き合いいただきありがとうございます。 新しい本との出会いのきっかけになれればいいな。