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書くことは、きっとみんなを強くする。

私の本棚の奥には、戦友がいる。

それは、プーさんだったり、ぐでたまだったり、子猫の寝顔だったり、フランスの片田舎だったりがプリントされたノートの束である。
私はもう20年近く、こうした「かわいい」ノートのなかに、日記と称してその時々のうっぷんをぶちまけ続けている。

日記を書くことは、サウナに似ている。
サウナに入って気持ちが良くなることを「整う」と表現するけれど、日記を書くことで得られるものも、心が「整う」ことである。

つらいこと、悔しいことがあった日は特に良い。効果絶大だ。

学生のころは、夜になるのが待ち遠しかった。
日記を書くのはもっぱら夜中。家族の全員が眠りについていなければならない。ノートを前にすると、感情が一気に溢れて、涙と鼻水、それから嗚咽が垂れ流しになってしまうからだ。そういう姿を家族に晒すのは気恥ずかしかったし、変に心配されても面倒くさい。なので、こそこそ、デスクランプだけをつけた部屋の中で、一心不乱に万年筆を走らせるのであった。

最初は、ただの罵詈雑言。とてもここでは書けないような、ひどい言葉の連続。海外のリアリティ番組よろしく、ピーピーの嵐である。

自分の思いつく限りの悪口が尽きてしまうと、今度は急に冷静になる。
あれはもしかして、こういう意味があったのかもしれない。
もしあの時、私が言い返していたら、少しはわかりあえたのだろうか?
というか、何で私はこんなに怒っているのだろう?

それからは、自分との対話が始まる。
いや、あの人が私のことを侮辱したからだろ。
あ、でも私自身のことじゃないか、私の趣味を「キモイ」っていったんだ。
純文学ばっかり読んでる奴は、どっか歪んだキモイ奴だって。
(私に限っては、まあ、あながち間違ってないわな)
いや、純文学の良さがわからないなんてもったいないなあ。こんなに面白くってゾクゾクする世界を知らないでいるなんて。
はあああ、そんなこと書いてたらまた谷崎潤一郎とか読みたくなってきた!
『痴人の愛』がいいね。ナオミに足蹴にされるジョージになりきってから寝よう!

日記を書いているうちに、最初の憤懣はすっかり消え失せて、「自分はド変態の文学ヲタクであります」という認識だけを胸に、清々しく眠りにつけるのである。

怒りだったり、悲しみだったり、忙しさだったり。
そういうものは「私」を見失わせる。
書くことは、迷子になった私をきちんとお家に連れ帰ってくれる。
何が好きで、何を大切に想っていて、どんなことを夢見ているのか。
私の「軸」がブレたとき、紙とペンさえあれば軌道修正できるのだ。

『メイドの手帖 最低賃金でトイレを掃除し「書くこと」で自らを救ったシングルマザーの物語』(ステファニー・ランド著 村井理子訳 双葉社)の著者、ステファニーも「書くこと」でどん底から這い上がることに成功した。

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若き日のステファニーは、作家になることを夢見ていた。大学に通う資金を貯めるため、バイトに勤しむ日々。その中で、予期せぬ妊娠をする。そのことを知った同棲中の彼氏は、彼女に毎日のように暴言を浴びせる。
精神的にまいってしまった彼女は、一人で赤ちゃんを育てていく決意をする。けれども、学位もないし、経験もないし、貯金もない。おまけに両親ともうまくいっていない彼女には頼れるものが何もない。
本書の書き出しは、「私の娘はホームレスシェルターで歩くことを覚えた」。ステファニーの人生は、どん底にあった。

絶望と、孤独と、目が回るような忙しさ。最低賃金で働くステファニーには心の余裕が全然ない。それでも、幼い娘が寝静まったあとの短い時間に、彼女はブログを書き続けた。愚痴だったり、怒りだったり、悲しみだったり。リサイクルショップの店員さんが優しかったとか、クライアントである家主が親切にしてくれたとか。ブルーベリーパンケーキを食べて、口のまわりを真っ青にしている娘の笑顔とか。いつか行きたい場所だとか。叶えたい夢だとか。

ブログを書き続けるうちに、彼女の心は強く、逞しくなっていった。
愚痴や不満は、だんだんと姿を消した。
書きだすことで、彼女は自分の人生から無駄を削ぎ落していった。
人生において本当に大切なことは何なのか。書くことで、それが見えるようになったのだ。

彼女は決意する。
「美しい瞬間、その透明さ、そして私とミア(娘)が過ごしていた人生の素晴らしい瞬間」だけを、ブログに書いていこうと。

そうして紡がれる言葉たちは、彼女の「人生に対するストレスと恐怖を減らし、最も愛するものに集中させてくれる、ずっと求めていたライフライン」になった。

書くことで、自分の中から世界で一番の味方を創り上げたのだ。

noteに綴られているたくさんのクリエイターの言葉たちも、きっと同じだ。
書いた人の、そして読んだ人の「ずっと求めていたライフライン」になりえるのだと思う。いや、もうなっているのかもしれない。
誰かの物語が、誰かのヒーローになる。
そうやって世界中の人たちが繋がっていけたら素晴らしい。

書くことは、自分を救うだけじゃない。きっと、誰かも救っている。
私はそう信じたい。
現に、このnoteという場所で何度も素敵な言葉に出会ってきたのだから。
(コミュ障なので「スキ」ボタンしか押せないけれど、いつもいつも励まされています。みなさん素晴らしい記事をいつもありがとうございます!)


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最後までお付き合いいただきありがとうございます。 新しい本との出会いのきっかけになれればいいな。