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光源氏の、愛すべき惑星たち。

今、『源氏物語』を読んでいる。
原書ではなく、谷崎潤一郎訳の物である。
これがもう、とんでもなく面白い。

学生時代、原書の、ミミズがのたくったような字で書かれた「末摘花」と「夕顔」を読まされたことがあったが、解読するのに精いっぱいで内容を「いとをかし」と味わえる余裕がなかった。
先生の解説を聞いても、正直「つまらん」としか思えなかった。
光源氏が女の人を漁って、契って、ハイ、さようなら。
こんなんの繰り返し、何がおもろいねん。あほくさ。
この先、読む物がなんにもないって状況に追い込まれたら、まあ仕方ない、読んでやってもいいけど?
そんな超上から目線で半絶縁宣言をしていたのだが。

日本語にがっつり浸りたいなあ、と思いたって出てきたのが
「谷崎潤一郎×源氏物語」の公式だったのは我ながら不思議である。

はじめこそ谷崎潤一郎の紡ぐ言葉にウットリしていたけれども、すぐに氏の存在は消え失せ、私は平安時代を彷徨い歩いていた。
そして、そこに生きる人々に魅せられてしまった。

最初に惹かれたのは、光源氏の母・桐壺の母(源氏からしたら祖母)である。この母が、宮廷で苛め抜かれて早死にした娘の死体にすがって泣き叫ぶ。一緒に死にたいと大声で叫ぶのである。
そのなりふり構わぬ悲しみように、私はそれが作り物の世界であることを忘れて泣いた。そして、この母のことが大好きになった。

この物語は、とにかく源氏を取り巻く人々が魅力的である。
乳母の子で家来でもある惟光(これみつ)、ライバルの頭中将(とうのちゅうじょう)、正妻の葵上(あおいのうえ)。その他名もなき人々までもが実に生き生きとしているのだ。

ものすごく、ギラギラしているのである。
剥き出し、とでも言おうか。自分の欲望にものすごく忠実なのである。
やりたいことはやるし、やりたくないことは絶対やらない。
感情も剥き出しだ。憚らない。
怒るし、愚痴るし、悪口は言うし、嘘も平気でつく。
でも、それが人間くさくて堪らなく魅力的だ。

そんな人たちが、光源氏の奇行(かの有名な、幼女カドワカシ事件とか)に振り回されて右往左往する。
源氏はなまじっか偉いもんだから、内心では「マジかよ、こいつどうかしてんじゃねーのか?!」と思いながらも忖度して付き合ってやる。
やんわり「それはどうでしょうか」と咎めてみても、源氏はちっとも気付かない。メンタルどうなってんだか疑う鈍さである。
源氏の暴走を誰も止めることができず、事はどんどん面倒な方向へ。
あああ、ちょっと源氏さん、私たちこんなことしたくないっての、気付いてお願い!! 少しは分別ってもんを覚えましょうよ、アンタは!!
そんな訴えかけが読んでいるこちらにビシバシ伝わってくる。
不憫であるけれども不条理コントのようで笑ってしまうのだ。

もしかしたら『源氏物語』の主人公は、光源氏ではないのかもしれない。
これは恋物語ではなく、光源氏という奇人に振り回される人々を描いたドタバタ喜劇なのかもしれない。
あまりに浮世離れした光源氏よりも、その周りにいる普通の人々にどうしたって親近感が湧くってものだ。そちらの目線で物語を読んでしまう。

今回実際に読んでみたことで、私は少し憤りを覚えた。
教科書での『源氏物語』の取り上げ方に、だ。
平安貴族のオホホ、ウフフな雅な世界。
・・・だけではないじゃないか。端折りすぎだぞ、日本の国語教育!!!
もし、光源氏以外の人たちについてもっとちゃんと説明してくれていたならば、私は『源氏物語』を毛嫌いせずにすんだはずなのだ!

現在、私は巻二を読み終えたところだ。ちょうど「若紫」が終わったところである。
この先の光源氏がどんなおかしな行動をして、それに付き合わされる面々がどれだけ周章狼狽するのか。そして、どんな事を想うのか。
想像しただけでニマニマしてしまう。ああ、楽しみだ。

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最後までお付き合いいただきありがとうございます。 新しい本との出会いのきっかけになれればいいな。