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心への兵站

僕のサラリーマン業において、そのキャリアの大半は「物流」というジャンルで占められている。
その中にはオペレーション構築はもちろん、実際に重たい荷物を運んだり、ピッキングをしたこともある。職場の変更で一旦その道から退いたつもりだったのだが、どういうわけか今も物流に関する助言やとりまとめをしている。いやはや、キャリア形成とは摩訶不思議……。

さて、そんな僕が新入社員のとき、部長が講師役とする「物流のイロハ」のレクチャーがあった。正直、大して面白い話では無いので、大体のことは忘れてしまったが――ひとつ、印象に残っているフレーズがある。大まかにまとめるとこうだ。

物流を意味する英語【Logistics】には【兵站】という意味も含まれている。【兵站】とは「前線の舞台に対し、作戦に必要な武器や食料を補給したり、様々な情報を連絡するための後方部隊」のことを指す。よって、物流の仕事を理解するためには、常に【兵站】という概念を頭に入れて欲しい

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【兵站】という言葉は軍事用語であり、あまりミリタリーは興味が無い僕にとって、遠い世界の例えだと思っていた。だが、ここ最近になって、その考え方を改めなければならないシチュエーションが出てきている。

今年初めから全国的に感染が広がっている新型コロナウイルスは、病気という意味での怖さはもちろん、社会的にも大きな悪影響を与えている。特に、「クラスター」と呼ばれる人や集団を介しての感染が大きな要因となっていることで、多くの社会機能は活動を停止せざるを得ない状況となっている。

世界各国が各々対策を進めている中で、日本も(賛否両論あるとは思うが)一定の対策を打っている。
医学的な面では拡散を防ぐためのクラスター対策や行動8割減少が掲げられ、医療崩壊を防ぐための手を打っている。経済的な面では一律10万円給付が決まっただけでなく、「どう雇用を維持するか」に焦点を合わせた施策が多数行われている。
ようするに、医学と経済の面では、「兵站」は準備されているのだ。

だが、この「兵站」が全く用意されていない箇所が、僕はあると感じている。それは精神的な側面、いわば「心への兵站」である。

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今回の新型コロナウイルス対策の肝は「行動制限」にある。外へなるべく出ないで、大人しく過ごす。もちろん、人と近距離で会ったり、話したりするのはご法度である。これが最もウイルス対策として効果的である以上、スポーツファンである僕も家でゴロゴロしたり、テレビで競馬を見たり、本を読んだり、淡々と文章を書いたりしている。

だが、僕の半分は「お出かけ好き」でできている。故に、その「行動制限」という対策には苦々しい思いも抱いている。外に出かけて歩き、街や自然の風景を見る。人とどこかで出会い、話したり触れ合ったりする。休日の半分はそういうことで占められていたし、気分をスッキリさせてきた人間だ。世の中にはそれが「できない」「わからない」人間も沢山いる。なのに、急にステイホームと言われても……というのも、非常に理解できる。

だが、そういう視点が欠如した言説が、ここ数か月は跋扈している。

「あの3連休に気が緩んだから感染者数が増えた!」と怒る人がいる。しかし、気を緩めても良い状態をつくることが、我々のゴールでは無いのだろうか? ないしは、余生をずっと気を緩めずに生きることが我々のゴールなのだろうか?

「行動8割減少が叫ばれているのに、自粛しない人がいる!」と怒る人がいる。しかし、出かけるのも仕事だったり、やむを得ない事情の人もいるのではないか? また、お出かけ好きから言わせてもらうと、「8割減少しましょう」というのは「2割でできることは何か?」という問いを引き出してしまう。例えば、毎週旅行していた人が、月1回の日帰り旅行で済むなら「8割減」なのか。もっと別の視点から「行動のコントロール」を呼びかけるべきではないだろうか?

「感染した人は、こんな非常時に遊んだり旅行したりする、だらしのない人間である!」と怒る人がいる。しかし、そもそも病気というのはいつ、どうなるか予測し辛いものではないか? どんなに万全の対策をしたって、ダメなときはダメなのでは? それに、新型コロナウイルスに気を取られているうちに、他の病気になったら意味が無いのでは?

「私たちはこれから、自分を感染者だと思って行動しなければならない!」と怒る人がいる。なるほど、その思想は非常に理に適ったものだ。半分は支持したい。その一方で、この思想の危険性は「相手も私と同じように、感染者かもしれない」という相互不信を抱かせることになる。この考えはいつまで抱き続けるべきなのか。もしや、ずっと抱き続けなければいけないのだろうか?

ほんの少し想像力を膨らませ、別の視点から物事を考える。そうすれば、毎日何かに怒ったり、怯えなくても済むような気がするのだが……

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疲弊し、想像力がフリーズした状態の心に対し、どう活力を与えていくべきか。
その対策を進めていかなければならないのだが、現状は全く手が打たれていない。

もちろん、これは医者や政治家の任務かと言われると、厳しいものがある。優先順位は相当下に位置されているだろう。
では、不特定多数にメッセージを発せるメディアはどうか? これも厳しい。何より、テレビもネットも、想像力を働かせる隙を与えない過激なメッセージの方が、視聴率やインプレッションは稼ぎやすい。

となると、まずは何かに気がついたいち個人が、竹やりを片手にわーわーやるしかない……ということになる。何だか、早くも負け戦のようだ。
ただ、いくつかの戦い方は見えてきている。

緊急事態宣言下における短期~中期的な目標は、「行動は制限されているのに、精神は充足している状態」を目指すことだ。「行動8割削減」が謳われ、公的にも私的にも監視の目が光る中、なかなか大っぴらな行動はやりづらい。ただ、「残りの2割」で何ができるのか? できる事の中で感染のリスクが最も低いものは何か? を考えていくのは、今後経済や社会機能を復活させていくためにも、必要なシミュレーションと考える。
また、不快さや怒りを誘発させる情報からどう手を引くのかを、具体的な手法として構築していく必要もあるだろう。個人的にも、ここ数カ月で幾つか良い方法が見つかったので、お伝えできればと考えている。

長期的な目標は「新しい精神論」(僕は勝手に「精神論2.0」と名付けている)を構築することだ。
大変不思議な話であるのだが、科学やら医学やら論理を重んじる人なのに、なぜか精神面では「旧来型の理論」で固められたメッセージを発してしまうケースを多々見かけた(家にいろ、我慢しろ、ここで踏ん張れ、気を緩めるな、道から外れてはダメだetc)。
我々が新たな問題に直面している以上、精神論も状況に合わせてアップデートさせる必要がある。それが出来ていないと、相互不信や社会の分断がよりひどくなるのではないだろうか?

以上の2点を踏まえて、これから僕は様々な文章を書いていこうと思う。
僕は医学への知識は乏しいし、政治家のような権力は無い。ただ、文系のスポーツ好きでサラリーマン業では物流畑を歩んだキャリアがある以上、「心への兵站」が途切れそうという問題は、見逃すことができないし、少しでも状況改善に近づけたいと思っている

どうもです。このサポートの力を僕の馬券術でウン倍にしてやるぜ(してやるとは言っていない)