見出し画像

山中亮平に重ねる希望

その選手を初めて見たのは、2007年の早明戦だった。
復調気配があった明大ラグビー部が、コテンパンにやられている。その状況に追いやったのが、背番号10を背負った1年生選手だった。
確かに、高校時代からその才能の凄さは叫ばれていた。とは言え、早速その実力をいかんなく発揮できるだなんて……。
以来、早大ラグビー部の試合を観に行くたびに、彼の活躍を楽しみにしていた。パスやランはセンスの塊であり、そしてオーラがある風貌。大物になる予感を抱き続けた彼が、日本代表に選ばれるのは時間の問題だった。

だが、ワールドカップを目前にして状況は暗転する。
2011年4月、使用していた「口ひげ育毛剤」の中にドーピング対象となる成分が含まれていることが判明。2年間の試合出場停止処分を受け、表舞台から姿を消した。その時、彼は23歳だった。

2年間の禊を終え、再び彼はピッチに帰ってきた。だが、トップリーグのピッチに立つ姿に、どことなく物足りなさがあった。プレーの華やかさは薄れ、どうも気の抜けたミスが目立つようになった。才能を認められて日本代表への復帰を果たしたが、スタメンを勝ち取るにも到らず。日本代表を追うドキュメンタリー番組で、指揮官からいじられる姿がラグビーファンの間で話題になったのが、2011年から15年にかけて最も目立った瞬間だっと言えよう。
ようするに、あのときのオーラは無くなっていたのだ。

もう「終わった選手」として片づけられそうになっていた。そんな彼に、再び光が差す。
それが「フルバックへのコンバート」だった。スタンドオフやセンターに強力な選手が加入したことに伴うとは言え、この起用が大いにハマった。グラウンドの最後方から、まさに「切り裂く」という言葉がピッタリなランを見せる。
日本選手権では神戸製鋼を久々に優勝へと導く2トライを決めると、年明けのサンウルブズでも攻守にわたり質の高いプレーでチームを支えた。そして、8月のパシフィックネーションズカップ・アメリカ戦。後半2分にトライを決めると、15分には40メートル近いランニングで大きなゲインを奪う。そして、そのチャンスをリーチがトライに結び付けた。その直後、彼は交代を告げられた。ワールドカップへのチケットを得るためには、充分過ぎる活躍だった。

今、彼のプレーには、大学時代に見せた華やかさや、強気な人間が魅せるオーラは存在していない。でも、それはとても良いことだと、僕は考えている。
12年間の変遷を追い続けていると、成功と失敗、そして再び這い上がり、新しいかたちで晴れ舞台を掴んだ。
その姿に、失敗した人間をあざ笑い、もう戻れないようにする世の中の暗い空気に対峙しているような気がして、何だか胸が熱くなってしまうのだ。

山中亮平はもう31歳になる。これが最初で最後のワールドカップになるのかもしれない。しっかりと彼に声援を送り、その勇姿を見届けたい

===============

▼ 2016年から19年にかけてのテストマッチ・レビュー ▼

▼ 2011年から15年までのラグビー界をプレイバック ▼

どちらも大会終了まで108円(税込)で販売中!

どうもです。このサポートの力を僕の馬券術でウン倍にしてやるぜ(してやるとは言っていない)