推し、燃ゆ。火球、燃ゆ。

宇佐見りんの「推し、燃ゆ」を読んだ。
流れ星、いやこれは火球だ、と思った。

「キラリと光って消える」なんて生やさしいものじゃない。
天体の寿命から考えたら一瞬とすら言えない刹那、超高温で燃え盛りながら猛スピードで夜空を落下し、派手な音を立てて地面で砕け散る火球だ。

世代や文化の違いを考えると、伝わる相手を超絶選ぶ前衛的なタイトルと内容。

「おし」と聞いて「推し」をきちんと思い浮かべられる人は日本人の何割くらいだろう。
例えば私は、「推し」という単語を知らない自分の母親に、この本を一体どうやって薦めればいいのか見当もつかない。
自分より上の世代の方が「なぜこれが芥川賞なのか。良い悪いの前に、全然意味が分からない。」と評しているのを見かけもした。
数年後には「推し」とか「炎上」とか、そういうものに「新鮮な驚き」はなくなっているかもしれない。

そんなことはどうでもいいのだ。

火球や流れ星なんていう天体現象は、人間からしてみれば運が良くないと見られない珍しいものだ。
だが火球本人(?)は「地上で何人の人間が自分という火球を目撃するだろう?」なんてことを考えるはずもない。

「推し、燃ゆ。」を読んで、理解して、面白いと思えた私はラッキーだ。
たまたま夜に外に出て、たまたま空を見上げたら、たまたま目の前を火球が通り過ぎた。
たまたま今この時代に生き、たまたま誰かを「推し」たことがあった。

ままならぬ自分の脳みそ、薄皮を1枚隔てたように世間との距離感を掴みきれずに茫々と過ごした若き日々、黒歴史になりきれぬ薄ら暗い誰かとの人間関係も、この本を「目撃する」ためだったと思えば多少は救われる。

「推し、燃ゆ」を読んで「意味がわからん」と思った人も決して気落ちする必要はないと思う。
火球なんて、目撃できる人のほうが少ないのだから。

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