想像力の使い方
想像力を鍛えよう。
とは言っても、鍛えたからといって、想像力は身につかない。
そして、こうなったら人はこうやって思うに違いない、こう動くに違いない、という想像力に突出している人が、人への共感力もあるとは限らない。
つまり、自分の言葉や動きで相手を支配できることはわかっていても、それによって、相手がどれだけの痛みをうけるかはわからない人もいるということである。
いや、正確に言うと、わからないのはそれを感じる心の痛さの部分であって、相手がどれだけダメージを受けて苦しんで自分の思い通りになるか、というところは計画のように細部にいたるまで描けるだろう。
それをとことんやりきれれば大詐欺師になれるに違いない。
相手の立場になって考えてみよう。
というのは、コミュニケーションの基本のようでありながら実はとても難しい。
相手の立場になる前に、相手との境界線がまずきちんと引けているのか、『自分』の確立ができているのか、が先である。
ここが出来ていない場合、相手の立場に…が、全て相手の意見優先だったり、逆に自分さえ良ければ(承認されれば)相手はどうでもいい、という人には、相手の立場にたって、の“たって”が、全くわからないのである。
小さな視点から見出だされる世界は、とても偏ってしまう。
そこで、人のために、と声をあげても、その声は空回りするばかりではないだろうか。
人の役に立てる事をしたいのか、承認されるために目の前の相手より、1ミリでも優位にたちたいのか、不思議なことが繰り広げられていることも多い。
もしも、大いなる想像力を全開にすることができたなら、何が今、ここでお互いのためにベストなのか、自分自身の本当の意志が何であるのかを、適切に感じることができるのではないか。
思うに、優しさは意志の強さと一対であり、想像力の世界を感じ取っている人は、それを知る人なのだと思う。
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