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早朝の蓮の沼で

ふと思い立ち、蓮の花を見に行った。

観光地的に名前は聞いているが、いったことのなかった蓮の沼地にナビを合わせ5時半前に駐車場に到着した。

早朝とはいえ7月半ば、既に蒸し暑い。

混む前にと4時起きで向かったのだから、さすがに沼を囲んだ広い公園内にも、まだ人はまばら。

単純に暑かったので、私はマスクを着けずに歩いていたが、ふと気づくとすれ違う人も、向こうの岸に見える人たちも皆マスクをしている。

暑くないのだろうか、という素朴な疑問と、きっと誰もいなくてもマスクをしているのだろうと思うと、もうナウシカの世界になってしまったのか・・・

と、そんなことを思いつつ静かな公園内を歩いていた。

蓮の花を見てみたい、と思っていたがなかなか機会がなく今回生まれて初めてあちこちと咲いている蓮を目の前にした。

生きていればこうしていくつになっても、初めての場所や体験に出会える。

「こっち!双子!双子だよ!」

何やら10mほど離れたところで、おじさんがこちらに向かって叫んでいる。

しかも、おじさんは私に声をかけるためマスクをビョーンと引っ張って、大きな口で「ここ!ここ!」と笑

手招きされてる方へ近づくと「ひとつのに二つ花がくっついてるよ!」と、指を指して教えてくれた。

「あ!ほんとだ!」私が気づくと、「だろ!」と、満足そうにおじさんは順路を進んでいった。


おじさんが教えてくれた双子蓮 ↓

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6時を過ぎると、段々人が増えてきた。

もちろん、皆マスクをしている。

おじさんが、マスクをビョーンとしながら、マスクをしていない私を呼び寄せるくらいだから、全ての人がこの広い公園で何か移されると思っているわけではないのだろう。

先日提出したレポートを、同調行動(いわゆる同調圧力)について書き上げたのだが、調べれば調べるほどいじめも同調行動もなくなることは決してないという確信だけが深まり、まとめてはみたものの、気持ち的には全くまとまらず・・・

生活はどんどん便利になり、手元でボタンひとつ(ボタンさえもうないか)で用事が済むようになって、なぜか人はどんどん病んでいく。

待てない、というか、待たなくても生きていけるから、脳のブレーキとなる理性的な部分も意識して使わなければ当然弱っていく。

そして、もともと個人の資質として持っている物が違うから、人の痛みとかそんなことを感じない人も本当にいる。そういう人にそこを理解させようとするのは難しい、というかそんなことは完全に無理なのかもしれない、と思う今日この頃。

良識・・何を持って良識とするのかさえあまりにも違いすぎて、人を叩くことにあきらかに快感を覚えているようなネット上の動きなどを見ていると、このまま人類はどうなっていくのだろう、と思えてくる。

それでも、答えも正解もなく、きっと誰もがひとつの歯車として何かに向かっているのだろうか、と、考えながら早朝の蓮の花を眺めつつ、ナウシカの漫画の最後の「生きねば・・・」というセリフを思い出していた。

生きていくことは、問いそのものなのかもしれない。

良い週末を





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