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【短編小説】空の宝石と愛の定義



1


――死体が打ち上げられている。
 そんな風に思ってしまった私は、自分の職業病に苦笑した。
 世間から忘れ去られた町や海辺には様々なモノが流れ着く。私のように生きている人間は稀だが、彼のような存在もまた稀だった。

 プライベートビーチなんて言ったら世界中から嗤われる。
 小さな入り江を囲むのは、武骨な灰色の岩場。淀んだ茶色い海に、攻撃的な海鳥が群がっていた。
 世界のゴミは全てここに辿り着くのではないかと錯覚するような景色の中、たった一つだけ美しいものを見つけた。
 珍しく澄んだ青空が、宝石になって落ちて来たみたいだ。
 両手に包めるほどの球体を、私は死体だと思った。

 あばら家に持ち帰った空の宝石。私は優しく丁寧に――分解した。
 この宝石は核だ。アンドロイドの命。心臓であり、脳であり、心でもあるもの。
 複雑なパーツを一つ一つピカピカに磨いていくのは、私の一番好きなことだった。アンドロイドの心が美しくなっていくのを見ると、自分の心まで一緒に磨けたような気になる。その作業だけで一月近くかかってしまうが、私にとっては全く苦にならない。
 彼がこの町に流れ着いたのは、複雑な理由があるのだろう。でも流れ着いた先にいたのが私だなんて、彼にはまだ運が残っている。
 私は修理屋だ。それも初期のアンドロイドばかりを相手にするような、物好きな修理屋。

 次々と新しいアンドロイドが生まれる世界。大抵の人は目新しさを求めている。今より便利なアンドロイドを手に入れ、人生を豊かにする。それが常識的な生き方。
 けれど私のような変わり者も一定数いる。
 初めて迎え入れたアンドロイドを死ぬまで大切にする人、初期の不便なアンドロイドに愛着を持つ人。私はそんな人を相手に商売をしている。
 先祖の誰かがアンドロイドの生産をしていたらしいこの場所を知ったときから、私の人生は決まった。

 磨き上げたパーツを慎重に組み立てる。より一層美しく輝きだした空の宝石。しかしこのままでは、彼は何も出来ない。
――体が必要だ。
 我が家の宝の山――他の人からすればゴミの山だろう――から部品をいくつも取り出し、彼のための体を作った。
 出来上がった体は人間に見えないこともないが、流行りのアンドロイドに比べたらとても粗末なものだった。
 ゴムのような人工皮膚。ナイロンの髪の毛はボサボサで、いくら梳かしても野暮ったさを消せなかった。爪はプラスチックだし、瞳はレンズ感丸出しだ。全ての関節に油をさしたが、滑らかとは言えない。でも私の城にあるものの中で出来る、一番上等な体なのは間違いない。
 私の地味な服を着せた彼の体は、人間とは違うにおいを漂わせている。
 作業台の上で寝ている彼に言った。

「さぁ、動いてくれよ」

 胸の中の台座に核を乗せ、そっと扉を閉じる。ブゥーン……と微かな重低音が鳴った。
 期待を込めて彼を見つめる。
 瞳がピント調節のためキュルキュル動いた。目蓋がぎこちない動きで上下運動を繰り返している。
 彼はノイズが混じった声で、あぁ……と呻いた。

「気分はどうだ?」

 軋む体を起こした彼が、私を見つめている。彼の瞳に作業着姿の私が映っていた。ざんばら髪に気付いて撫で付けたが、なんの意味も無い。髪についていたゴミが落ちただけ。
 彼の核はフル回転しているのだろう。
 過去の記憶や現在の状況を確認し、それから私が危険人物かどうかを判断するのだ。

「私は君の核を拾ったリアと言う者だ。修理屋をしている」
「……」
「君はずいぶん歴史があるな」
「……」
「どこから来たか覚えているか?」
「お…………」

 ギギギと、不穏な音がした。

「あ、待ってくれ。何か引っ掛かってる」

 彼の首を開き、部品や複雑に繋がれている線を確認した。
 私が作業している間、彼は大人しく待っていた。けれど瞳のレンズは絶えず動き回っている。

「声を出してみてくれ」
「あ、あー……」

 彼の声は雑音が混じっているが、この装備では仕方がない。
 私は一人頷いて彼に笑いかけた。

「大丈夫そうだな」
「おぼえています」

 先ほどの質問に答えた彼。私は古びた木の椅子に座った。

「そうか。良ければそこまで送るが」
「いいえ。もうなくなりましたので、ひつようありません」
「それは……残念だな。ちなみに、どこから来たんだ?」

 彼の口から発せられた単語は、百年以上前に消えた地名だった。

「そこでは何をしてたんだ?」
「おっととして、せいかつをしていました」
「夫か。つまり君は、準人間だったんだね。それなら良かった。もし君が掃除専用アンドロイドだったらどうしようって心配していたんだよ」

 物が多すぎる自覚はあった。積み上がった工具や部品は天井に届いている。けれど私はどこに何があるかを把握しているし、崩れない取り方を熟知している。
 他人が完璧に整理整頓したら、仕事に支障が出てしまうのだ。だから彼が掃除専用アンドロイドだったら、すぐさま追い出すつもりだった。

「奥様は亡くなったのかな?」
「はい。ろうすいでした」
「その後はどう過ごした?」
「つまは、ひとがしんだら うみにかえるのだと いっていたので わたしも、うみにかえることにしました」
「そう約束したの?」
「はい」

 人間とパートナー関係にあったアンドロイドの末路として、よく聞く話だ。自分が死んだら機能を停止して一緒に死んでほしいとか、他の人のパートナーにならないでほしいとか。
 人生を共にしたのだ。執着するし独占したいのだろう。自分の死後でさえも。
 死ぬ前に、パートナーだったアンドロイドを破壊する人もいる。自己都合での破壊は重罪だ。そういう人は牢屋の中で生涯を終える。
 私だったら、元気に生きて欲しいと願うけれど。

「その他に約束はした?」
「いいえ」

 と言うことは、彼は今、なんの役割も持っていないことになる。
 アンドロイドとしての存在意義を与えなければ、彼は一生、どこかでポツンと立ち続けてしまう恐れがある。初期のアンドロイドは指示待ちになるパターンが多く、欲を持つのが難しいのだ。

「じゃあ、私の助手になるか?」
「じょしゅとは、なにをするのですか?」
「私の仕事の手助けをしてくれ」
「わかりました」

 あっさり承諾した彼に名前を聞くと、スカイだと答えた。彼の妻はあの核を見たのだろう。何となくそう思った。


2

 依頼が一つ入ると、数ヶ月はかかりきりになる。その作業のほとんどが部品磨きだ。
 古いアンドロイドはとにかく錆びているし、焦げついてもいる。まずは元の輝きを取り戻さなくてはならない。私はその為の、あらゆる種類のヤスリを持っている。それらは電動だったり、紙ヤスリだったりする。ヤスリ全てに番号を振ってあった。

「4202」
「はい」

 番号を言えば、宝の山から安全に抜き取ってくれるようになったスカイ。彼は散らかったテーブルの端っこにヤスリを置いた。
 私は4202――目が細かい紙ヤスリ――を持ち、拡大鏡越しに部品を磨いた。

 部品とばかり向き合う私は、食事を疎かにしがちだった。それは事前に伝えておいた為、スカイは決まった時間に食事を作ってくれる。作業場の隣にある狭いキッチンから良い香りが漂ってくると、自然と手を止めるようになった。

「パンの匂いだ。家にパンなんてあったのか?」

などと呟きながら、ぼろぼろの仕切り布をめくってキッチンに入る。
 荷物が多くてテーブルは埋まっているため、調理台にそのまま食事が置かれている。

「ありました」

 スカイの返事は簡潔だ。いかにも初期のアンドロイドらしくて私は好きだった。
 そしてスカイが作る料理も簡素だ。これは私が原因なのだが。
 きつね色に焼いたパンに甘くない紅茶、近所で自生しているミニトマト。
 本当は、教えればどんな料理も作れるのだろうが、生憎この家でも使えそうな料理データが無い。それに収入もそんなに多くないから、買える食材も限られてくる。だからスカイの料理は自然と簡素なものになってしまった。
 それでも一人で暮らしていた頃より、マシな物を食べられている。安物の茶葉をそのまま食べていた頃よりは……。

「焼きたてのパンなんて、いつ以来だろう」

 スカイが焼いてくれたパンはサクサクしていて、温かくて、ほんのり甘かった。

「美味しいなぁ」
「きみのために つくったから、おいしいんだよ」
「え?」

 驚いて後ろを振り返った。スカイ自身も心なしか驚いているように見える。

「……。奥さんにいつもそうやって声をかけていたのか?」
「ときどき、そういいました」
「喜んでいた?」
「はい」

 簡潔な返事のあと、スカイは少し俯いた。
 スカイはさっきの一瞬、私を妻だと認識したのだろう。バグなのか、それともスカイが会いたいと願っているのかは分からない。

「スカイ、今の気持ちは?」
「わかりません」
「奥さんに会いたい?」
「つまは、しにました」

 最新のアンドロイドは、人間よりも複雑な感情を持っているらしいが、スカイは違う。好き、嫌いがあり、その他に喜怒哀楽恐、五つの感情がインプットされている。複雑な感情は説明できない。だからと言って何も感じていない訳ではないのだ。

「奥さんの、どんなところが好きだったんだ?」

 思い出話をしたら少しでも気が晴れるかもしれない……なんて、ただのエゴだった。
 レンズの目なのに、睨まれたと感じた。暗号のように、彼の口から感情がこぼれ落ちていく。

「いかり、かなしみ、おそれ――……きらい」
「ス、スカイ……。ごめんなさい、嫌なことを言ってしまったか?」

 スカイはそのまま瞼を閉じ、ぐしゃりと膝から崩れた。周りの荷物が小さな雪崩を起こし彼の上に積み重なったが、私はすぐには動けなかった。
 それはアンドロイドが身を守るための防衛機制。
 私の何気ない質問は、スカイにとって一番聞かれたくないことだったのだ。

「何で……?」

 老衰だったと聞いたから、お互い心の準備をした上での別れだと思った。亡くなったあとも、スカイは約束を守って海に入ったのだ。それほど愛していたのだと、思っていたけど……。
 約束を守るアンドロイドは多くない。命令では無い『約束』は、主人が死んだ瞬間無かったことになるからだ。

「スカイにはまだ何か心残りがある? それともトラウマ?」

 私の体が動き出すまで、それから数十分もかかってしまった。


3

 彼が目覚めないまま三ヶ月が経った。私は修理の依頼を終え、一人の時間をもて余していた。
 スカイは作業台で眠っている。どこぞのお姫様のように、誰かのキスで目覚めるなんてことは無い。あの防衛機制が出てしまったら、私に出来ることは何もないのだ。
 スカイが受けた衝撃の度合いによって、眠る時間は決まっている。ショックが強ければ強いほど、眠る時間も長くなる。

 作業場の椅子に座る私は、毎日頭を抱えていた。正直、そんな酷いことを聞いたとは思えない。けれど三ヶ月なんて尋常ではない長さだ。目の前でパートナーが亡くなった場合でさえ、一ヶ月前後で目覚めるはずだ。

「分からない……」

 スカイは何を恐れたのだろう。
 目覚めたあと、理由を聞いても良いだろうか? しかし、また防衛機制が出たら彼の身に関わる。防衛機制が何度も起こった核は、二度と動かなくなってしまうから安易な質問は出来ない。
 私は不安な日々を過ごした。あの日からもうすぐ四ヶ月になると言う頃、やっとスカイが目を覚ました。

「スカイ!」

 スカイの目が、またギュルギュルと動いた。

「私が分かるか?」
「わかります」

 ギシギシと関節を軋ませながら、上体を起こそうとしているスカイを支えた。

「しょくじを つくるじかんなので、しつれいします」
「いいよ。目覚めたばかりじゃないか」

 台から足だけ下ろしたところで、スカイを止めた。スカイは私を見つめ次の指示を待っている。私は慎重に言葉を選んだ。

「傷つけて、ごめんなさい」
「……」
「スカイは……その、何が怖い?」
「つまが、いなくなることです」
「じゃあ、ここでの生活はずっと怖かった?」
「いいえ」

 スカイの返答に違和感を覚えた。黙考していたはずの私の口から、つい心の声が漏れた。

「言葉が決められている?」

 スカイの体は動かない。しかし、返事をしない様子を見ると、何かを隠したいのかもしれないと思った。それか、何と答えれば良いか分からないか。――怖い事は、妻がいなくなること。
 この言葉がヒントなのだろう。そこから分かることは、スカイに妻の話はしない方が良いと言うことだけだった。

「私の名前を知っているか?」
「リアです」
「そう。私はリアだ。スカイの妻ではないし、妻になるつもりも無い」
「……」
「私は一生、君の妻にはならない」
「……」
「言ってみて。リアは一生、妻にはならない」
「リアはいっしょう つまには、ならない……」

 私は笑顔で大きく頷いた。

「助手の仕事は好きか、嫌いか?」
「まんなかです」
「もし、嫌いになったら正直に言ってくれ。他の役割を探そう」
「きらいを いうのですか?」
「そうだ」
「……」
「言っても良いんだ。『きらい』だけじゃなくて、言葉に出来る思いならなんでも。私が許す」

 スカイはフリーズしたように、ポカンとしていた。きっと彼の妻は、好意的な言葉だけが欲しかったのだろう。でもそれは自然なことだ。誰だって否定的な言葉は聞きたくない。それが自分に向けられたものなら、尚更排除したくなる。

「私はスカイを知りたいんだ。だから何か嫌なことがあったら言ってくれ」

 好きの強要は、アンドロイドを殺すのかもしれない。
 彼の美しい宝石の中に隠されている黒い感情を、全て知りたい――彼を死なせたくないと、私は強く思った。


4

 スカイとの生活が再開した。彼は変わらず良い助手だった。ヤスリの番号は完璧だし、食事も質素だが心を満たしてくれる。
 そんなある日のことだった。

「きらい」
「え、何か嫌いなものがあったか?」

 修理をしている私の後ろで突然呟いたスカイは、ぼんやりと首をかしげていた。

 当然のように何が嫌いなのかを聞いたが、スカイは上手く説明できなかった。まぁ、そういうこともあるだろう。言い慣れていなければ話せない。それは人間もアンドロイドも同じだ。

「気にするな。いつか言葉に出来るさ」
「はい」
「そうだ。今度もっと難しい料理に挑戦してみないか?」
「なにをつくればいいのですか?」
「私も良く分からないんだけどな。今修理しているこの子が、料理専用アンドロイドなんだよ。もしかしたら料理を通じて友だちが出来るかもしれない」

 その依頼人とは長い付き合いで、スカイの事も早い時期から伝えてあった。スカイに興味があるらしく、この修理が終わったら二人を交流させてみたいと言っていた。
 私としても、スカイの世界が広がるのは嬉しい。助手だけでは、私の死後――まだまだ先だと願いたいが――路頭に迷う可能性がある。

「穏やかで良い子だぞ」
「きらい」
「……」
「……」
「うん。えっと」

 何が? と言う問いは無駄だ。答えられないのだから。
 私は腕組みして考えた。やはり、一つ一つ聞いていくしかないのだろう。

「私の事が嫌いなのか?」
「ちがいます」
「じゃあ、スカイ自身の事は?」
「まんなかです」
「……じゃあ、この子は?」

 銀色に輝き始めた歯車を持ち上げる。するとスカイの言葉が詰まった。

「この子が嫌いなのか」
「……」
「どうしてだろう?」

 卓上ライトを反射させる歯車。この子はまだスカイと会話もしていないのに、何が気に入らないのか検討もつかない。

「色か? 形か?」
「……」
「私に構われているから……なんてな」
「そうです」

 私は半笑いの状態で固まった。電源が切れたアンドロイドのようにぴたっと。
 対するスカイは、気持ちを言語化出来てスッキリしたみたいだ。ぎこちない動きで大きく頷いた。

「それに かまわないでください。きらいです」
「で、でも仕事だし」
「……」
「直さないと、私はご飯が食べられなくなる」
「それもきらいです」
「……。なるべく早く直せるように頑張るから」

 納得したのかしてないのか、スカイは何も言わなかった。
 私は出来るだけ早く終わるように頑張った。と言うより、休憩しているとスカイの発言を考えてしまって落ち着かなかったのだ。
 あれでは、まるで――ヤキモチではないか。彼が私に恋愛感情を持っているなど、想像するだけで顔から火が出る。
 私はそういうことが苦手だ。一生、人間ともアンドロイドとも結婚する気は無い。そもそも結婚するつもりなら、こんな人里離れたあばら家には住まない。
 部品を磨いているだけで良い。それが私の幸せなんだ。


5

「油まみれで色気も無いのに」
「なにについてですか?」

 思わず叫びそうになった。
 私は作業場で、スカイはキッチンで眠っている。スカイは眠ると言うより、充電するだけだが。
 独り言なんて丸聞こえだった。部屋の間には仕切り布しか無い。

「何でもないよ」
「ひみつはだめなことだと つまがいいました」
「……」

 何でも言え、なんて言ったけれど、正直すごく困る。どう対応すれば良いのか分からない事が度々起こる。アンドロイドの扱いには自信があったはずなのに……。
 私は人生で一番混乱していた。だからこんなことを口走ってしまったのだ。

「スカイは私が好きなのか?」
「すきです」
「奥さんがいたのに?」

 そう言った瞬間、跳ね起きた。転がるようにしてキッチン入ると、充電中の光が見えた。スカイの踵に付けられたプラグによって、足の爪が青く点滅している。
 慌てたまま部屋の電気を点けると、膝を抱えて座っているスカイの両目が私を見てくれた。どうやら防衛機制は出なかったようだ。私はその場にへたり込んでしまった。

「つまは、しにました」
「うん」
「わたしは、つまを あいさなければならない きまりが きらいです」
「……え」

 絶句した私を警戒したのか、スカイの言葉が止まってしまった。
 止めたらダメだ、と確信した。今ならスカイのトラウマが分かるかもしれない。

「奥さんを……好きじゃなかった?」
「すきです」
「でも決まりが嫌だったんだよね?」
「わたしは、あいのていぎに つまを いれられませんでした。それがきらいでした」
「愛の定義って何?」

 そんなこと人間の私も知らない。けれど彼は淡々と愛の定義を説明した。

「すきと きょうふが、きょうぞんすることです」
「好きと恐怖が共存って? それは奥さんが言ったのか?」
「はい。すきなひとが いなくなることを そうぞうすると こわくなる。それがあいしている ということなのですが、わたしは、つまが いなくなることが こわくありませんでした」
「……」
「あいせなかったわたしは、おっとしっかくです」
「……」

 やはり言葉が決められていた。
――妻が好き。妻がいなくなる事が怖い。
 本人の心を置き去りにして、呪文のように言い続けたのだろう。
 具体的にどこが好きなのかを聞いても、スカイは答えられなかった。それが防衛機制のトリガーを引いた。
 妻の好きな所を答えられないなんて、アンドロイドの夫としてあってはならない。でも秘密はだめなことと言われ、隠したくても隠せなかったのかもしれない。逃げ場がないまま、必死に生きるスカイに胸が締め付けられた。
 
 妻の好きな所を探して探して……――今でも探して、見つからないことに、心を痛めている。

 なんて悲しい恋なんだ。スカイは全身全霊で愛したいと願ったはずだ。約束を守って海に入ったのだから。
 でも愛せなかった。愛することが役目だったのに、果たせないまま終わってしまった。体を全て失う程長い間、海を漂い、妻を想ったのに。

 気付いたら、彼を抱き締めていた。少しだけゴムの匂いがする肩に顔をうずめ、つるりとしたナイロンの髪を撫でた。頑張ったな、と言葉が自然と零れた。

「スカイは立派な夫だ。次の人生が始まっても、亡くなった奥さんを思いやるなんて簡単なことじゃないんだ。普通は終わった事として割り切ってしまう。アンドロイドは皆、そういう風に出来てる」

 私は滔々と語った。スカイはどれほど素晴らしいか。どれほど思いやりがあるか。どうか、自分を卑下しないでほしい。その一心で、溢れ出る言葉を紡いだ。

 

6

 荷物に埋もれた窓から降り注ぐ幾筋かの光が、私の顔を照らしていた。気づけば、スカイの足を枕にして眠っていた。

「おはようございます」

 声が頭上から降ってくる。朝日に照らされた彼の髪や、舞っている埃がキラキラしていた。

「あさごはんをつくります」
「あぁ、うん」

 気恥ずかしい思いをしたのは私だけ。スカイはいつも通り淡々と調理場に立って、あれこれ準備を始めている。私はぼんやりと、その後ろ姿を眺めていた。
 あっという間に準備が整うと、いつも通り背中にスカイの視線を感じながら朝食をとった。

「きらいなことが あります」

 唐突にそう言われ、目を丸くした。話を聞くと、スカイは声にノイズが入るのが嫌らしい。もっと流暢に話せるようになりたいそうだ。
 昨日の出来事に関係するのかと内心身構えたが、全然大したことでは無かった。私は安心して答えた。

「それなら、良いやつを注文しよう。すぐ届くよ」
「ありがとうございます」

 そして、その日の夕方には宅配ロボットがあばら家を訪れていた。注文した新品の部品はちゃんとスカイが使えるものだ。私のような人の為に、初期アンドロイドにしか使えない部品を一から作ってくれる優しい所がある。……お値段は優しくないが。

「じゃあ、ここに寝てくれ」

 スカイを作業台に寝かせた。仰向けになったスカイの首を開き、部品を丸ごと取り換える。芸術作品のような複雑な機械がライトに照らされて輝きを放っている。私は丁寧に蓋をし、声をかけた。

「どうだ?」

 あー、とクリアな声が出た。

「おぉ! すごくキレイな声だ」
「キレイな声……リアはこの声が好きですか?」
「もちろんだ」
「やはり、人間は声に弱いのですね」
「声に弱い……?」

  起き上がったスカイはこちらを向き、射貫くような視線で……あろうことか私のボサボサ頭を撫でた。声を変えただけなのに、性格まで変わったように感じる。

「初めてここで目覚めた時、核が軽くて驚きました。昨夜もこうしてくれて、とても嬉しかったです」
「あ……あぁ、そうか。よ、良かったよ」
「一つ、撤回してほしいことがあります」
「撤回?」

 私はどぎまぎしながら、スカイを見た。――いや、見てない。見られない。こんなに熱を持った顔をスカイに晒していることが、耐えがたい。今日、顔洗ったっけ? なんて考えてしまう自分が恥ずかしい。部屋の端に落ちている4202を意味も無く凝視した。
 そんな私の耳元で、彼が囁いた。

「『一生妻にならない』は、撤回してください」
「で……でも」
「撤回してください」
「て、撤回します……」

 完全に主導権を握られた私は、その後もスカイに翻弄されっぱなしだった。昨夜の私のように、スカイが懇々と語ったのは私への想いだった。

 私がどれほど素晴らしいか。どれほど感謝しているか。そして、どれほど愛しているかを美しい声で聞かされ続け、私の体は唐突に限界を迎えた。アンドロイドの防衛機制さながら、意識を飛ばしてしまったのだ。


 目が覚めると、昨日と同じようにスカイの膝枕で寝ていた。

「おはようございます」

 スカイの髪がキラキラして見えた。

「大丈夫ですか」
「……うん」
「まだ夜明け前ですが起きますか?」
「え?」

 埋もれている窓の方へ視線を向けたが、光の筋など無い。ぼんやりと白んでいるだけ。時刻は早朝だった。

「……えぇ?」

 今、確実にキラキラしてたよななんて思い、もう一度気を失いたくなった。

「嘘だ。私が?」
「どうしましたか」

 顔を覗き込んで来るスカイ。自分で作った体なのに、なんでこんなにキラキラして見えるんだ。
 私は溜息を吐きながら、頭を掻いた。これはとんでもない事になってしまったぞ。

「リア。話が途中だったのですが……」
「もういい。充分分かったから」

 立ち上がろうとする私の腕を、スカイが引っ張って止めた。至近距離の顔から、咄嗟に目を逸らしてしまう。

「では、正式に変えても良いのですね」
「良い、良い! 何でも良いからちょっと離れて!」

 私はパニックを起こしていた。初めての恋心が、恥ずかしくて恥ずかしくて、冷静さを失っていた。
 突き飛ばすようにして立ち上がり、家の外へ避難した。外に出ただけで避難完了と思ってしまうなんて、自分でもアホだと思う。

「では、変えます」

 開け放した扉の向こうから不穏な言葉が聞こえる。
 変えますって何だ? スカイは何をしてる? と思っても後の祭りだった。
 同じように外に出て来た彼は、今まで見せなかった表情をしていた。優しい顔。穏やかな笑顔が、タイミング良く本物の朝日に照らされた。

「リア、愛してる」

 差し出された手のひら。あぁ、これは恋愛モードだ。性格が変わったのでは無く、元から備わっていたものが溢れただけ。知識としては知っているが、自分に向けられたのは初めてで、その威力に圧倒された。
 固まった私は、彼の手をじっと見ていた。一つ一つの関節に油をさした日を思い出す。今後、どうやって彼の体に油をさせば良いのだろう。冷静でいられる自信なんてないのに。

 「リア」

 クリアな声が磁石のように私を惹きつけた。
 でも本当は声なんてどうでも良い。だってあの時、私は空の宝石を拾わずにはいられなかったのだから。

「いなくならないで」

 スカイが死んでいたあの日と同じだ。
 気付いたら、私は両手で彼の手を包んでいた。心に触れるのと同じように、優しく丁寧に――。

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