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五反田君の謎について

村上春樹のダンス・ダンス・ダンスをよく読む。

僕は小説の中でも、ご飯を食べたり酒を飲むシーンが好きだ。いかにも旨そうに登場人物が食事をする濃厚な描写がいい。小説の舞台に魅力的な飲食シーンはどうしたって欠かせないのだ。
状況説明やストーリーを整理するための、静かな食事シーンもよいが、途中で物語の歯車がガチっとかみ合うような会話がある展開ももちろん良い。
登場人物のらしさが飲食シーンにはにじみ出ると思う。

東野圭吾の沈黙のパレード、原作では物語のなかにふんだんにあった、湯川が定食屋でご飯を食べる場面が、映画ではほとんど見ることができず、本当に残念だ。
真夏の方程式の地酒を飲む居酒屋のシーン、旅館で納豆を食べるところ、よかったのにね。

さて、ダンス・ダンス・ダンス。
ダンキン・ドーナツの朝飯、ハワイのビーチでピナ・コラーダを飲むシーン、ユキとまともな店で食べるロースト・ビーフ・サンドイッチ。シェーキーズのピザとビールも旨そう。

だがしかし、一番素晴らしいのは、五反田君と六本木のステーキ・ハウスで食事をする場面だ。

スコッチの水割りをまず注文する。
それを飲みながら、ウェイターにステーキとサラダを注文する。
また水割りを注文する
三杯目の水割りを飲んでいるときに、ステーキがやってくる。
肉を切りながら会話をする。
食事が終わった後、コーヒーを断って四杯目の水割りを注文する。

テンポも、水割りと分厚いステーキも、五反田君が指を一本あげてウェイターを呼ぶところも、逐一よい。素晴らしい。

その五反田君。
自分がこの物語で最も気になっているのは、メイは五反田君に殺されてしまったのか、というところだ。

主人公(名前は明らかにされない、ユキによると変な名前)は、この件で警察に数日拘留され、メイとの関係を黙秘した後、真夜中、横浜に向かう主人公のスバルの中で、五反田君にこの事件を告げる。犯人はわからない。

五反田君はこう言う。
「殺されたのは何日?」

次に
「ひどい」
「それはちょっとひどすぎる。殺す理由なんて何もない。良い子だった。」

それから
「どうして君は彼女が死んだことを知ったの?」

そのあとも主人公との会話が続き、

『「誰が殺したんだろう?」とずいぶん後で彼は言った』

となる。

古畑任三郎にこんな場面がある。
犯人役の(当時)市川染五郎に、被害者が死んだことを最初に警察が伝えたとき、「いつ」死んだのかを聞かないので、古畑は市川染五郎に疑念を持つ。古畑の疑念はいつだって根拠がある。
犯人は「いつ」死んだのか、知っているのだ。

その何話か後、犯人役の福山雅治に、被害者が死んだことを警察が伝えるシーンがある。染五郎の話が伏線になっていて、福山は「いつ」死んだかを警察に聞く。視聴者はなぜか安心する。福山が立ち去った後、古畑はこう言う。「爆発の大きさを聞かなかった」。被害者は爆発に巻き込まれて死亡したにも拘らず、福山は爆発の大きさを警察に問わなかった。なぜか。自分が作った装置だから、爆発の大きさを知っていたのだ。

ちなみに、五反田君は物語の終盤で主人公にこう言う。
「いや、僕はメイを殺してはいないと思う。」
「でもね、それでも何だか僕はメイの死に対してもたまらなく責任を感じるんだ。どうしてだろう?しっかりとしたアリバイがあるというのに」

キキは五反田君が自分で殺したと思う、という。
でも、メイは殺してないと思う。という。

自分の考察の結論を言うと、おそらく正解はない。村上春樹は、長編はとりあえず書き始めると物語が進んでいく、という話をしている。事実と真実は違う、とも。だから、おそらくホントハコウナンダヨ、みたいなわかりやすい解答はないと思う。

ただ、僕はこう思うのだ。
知り合いが殺されたことを聞かされたら、自分なら、何でだ、誰に、いつ、が気になる。五反田君の反応は不自然だ。

それとも、動物や人間の死に踏み込み過ぎて、死は理由もなくふいに訪れるものだ、というような感覚になり、原因は気にならないのかも知れない。

五反田君は、主人公に自分のアリバイがあると言う。これは虚偽なのかもしれない。ただ、小説のルールとして、登場人物が嘘を話して最後までそれが明らかにされない、というパターンはあり得るのだろうか。うーん。

ストーリー上、メイが死ぬ必要があるのはわかる。でも五反田君が犯人である必要はないかもしれない。では五反田君に感じる違和感は何だろう。僕はまだこの物語の何かを見落としているのかも知れない。

なぜかメイに強く惹かれる。
必要がないのにコールガールをやり、殺されたときに1度会っただけの主人公の名刺を持っていたメイが気になる。ゴージャスで美人なコールガールのメイ。

誰かヒントでもよいから、教えてほしい。

ちなみに、主人公が文学と死んだメイの話をしているときに飲んでいるコーヒー、うまくなさそうだったけど、都会のコーヒーって感じがする。このシーンもまたよい。

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