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ライターは原稿料をどう設定するべきか

かつて、校了間際のPOPEYE編集部から「坂口恭平ピンチにつき、代打として、ポパイ大学という坂口連載で『経済』について書いてくれ」と頼まれて書いた原稿です。

THE WHOに「Substitute」(直訳すると「代用品」)って名曲があるけど、さしずめそんな感じでしょうかね。坂口恭平の代役を言づかりました。

そういや、その名も〈WHO〉っていうバーが新宿にあって、むかし坂口と並んで飲んでいたらこの曲がかかった。キース・ムーンのドラムがトタン屋根にあたる雨粒の音みたいでかっこよかった。邦題がまた最高なんだ。「恋のピンチヒッター」っていう。

坂口とは2009年に出会って、それからずいぶんいろんなことを一緒にやってきたけど、実は2002年頃にも東京ですれ違っていたらしくて。それが、築地市場。ふたりとも築地で働いていた。向こうは青果市場、こっちは魚市場で。

職業に貴賎ナシだけど、こと築地においては「魚河岸(魚市場)」のほうが「やっちゃ場(青果市場)」よりもちょっぴりエラいという空気もあって、それがそのままぼくの坂口に対するスタンスに反映している気がする。まあ、担当編集者としてつきあってきた身からすると、どう考えてもあいつ天才だとは思いますけど。それでも、意見が割れたときはこんなふうに言えばすむ。

「こっちは河岸だぜ」

じゃあ、その河岸でぼくが何をやってたかというと、恥ずかしながら、ホントさわり程度のことしかしていない。

日本刀みたいな包丁で魚を捌いたり、鮮度の良し悪しを見わけたり、なんてできるわけもなく、任されたことといえば、配達と冷凍モノの管理。あとはその日、河岸に上がった魚のダンベを回り、種類と重さを紙にメモして、セリ前の店長に渡すぐらい。

朝4時から働いて、午後1時頃には仕事が終わる。
・ハモは二枚歯で、噛まれるとやばい(縫いました)
・フグが膨らむとドッジボール並の大きさになる(ビビって路上に落としてしまった)
魚について築地で新たに知ったことと言えば、その程度。ただ、その後の仕事人生において、決定的なことも教わった。

それをいまから書こうと思う。

商売の基本のキである。脳みそのシワに刻んでほしい。

「仕入れ値にかならず2割乗っけた価格で売れ」

あたりまえじゃないか、と思うかもしれない。

ま、「2割」という数字は売るモノによってまちまちだったりするけど、それでもこの「あたりまえ」が案外難しいと知るのは、それからずいぶんのちのことだ。

例えばぼくがいまやっている、編集やライターの仕事。そもそも何をもって「仕入れ値」とするのかがよくわからない。

実のところ、それはこちらで決めていい。だからまずは自分の「仕入れ値」=原価を決めてみよう。

例えば、ライターであるきみが半日稼働したら原価は「10,000円」、1日稼働したら原価「15,000円」だとする。しかし、そこに利益を乗っけようにも、価格(=原稿料)を決めるのは出版社や編集部のほうで、自分ではなかったりする。なんなら納品するまで価格を知らされないことだってある。「乗っける」どころか、価格が原価を下回るケースだって少なくないだろう。

でも、そんな事態を許してはならないのだ。なぜなら、それが「商売の基本のキ」というものだから。

では、どうするのか?

高級鮮魚を扱う築地の店長は教えてくれた。

「値引きをする」のである。

原価に利益を乗せた価格から、値引きをする。

きみが一日かけて書いた1600字のレビューの価格(=原稿料)として「10,000円」を提示されたとしよう。

でも、それは「15,000円」の原価を割った「10,000円」ではない。

本来の価格は、原価である「15,000円」に2割の利益を乗せた「18,000円」である。

この正規の価格「18,000円」から、サービスとして「8,000円」の値引きを行った結果が、「10,000円」だと考えるのだ。

きみがどんな仕事をする場合も、このプロセスを経て、自分の仕事の価格を決めるべきだ。そうでなければ、きみの経済活動は破綻する。基本のキたるゆえんである。

きみがどんな仕事をしているのかはわからないけど、アルバイトであれ、会社員であれ、家業の手伝いであれ、アウトロー稼業であれ、1ヵ月に手にする額面が、どのような原価と利益を経由して、自分の手に辿り着いたのかを意識してみてほしい。そうすることで、自分がいまどんな姿勢で立っているのかが見えてくる。

たとえ額面が少なかったとしても、悲観することはない。いまはまだ「値引き」をしているのだ。この値引き分はあとで利いてくる。あいつらに恩を売っといてやろう。

値引きとは、竹のしなりであり、キリギリスの音楽であり、鼻糞と接吻である。つまりは「余裕」というやつだ。

坂口がたまに言う「0円」とか「態度経済」といった概念は、一見、資本主義のオルタナティヴのようにも見えるけど、その実、この社会で、街場で、人間関係で、ぼくたちが心地よく立つための合気道や太極拳の構えに近い。

ターレーやトラックや小車がせわしなく行き交う築地市場を駆けずりまわりながら掴んだ感覚が、ぼくにはある。たしかめたことはないけど、坂口もきっとそうなんじゃないかな。

(初出:「POPEYE」2016年1月号)


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