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"Sleep no more "へ行ってみたら想像を超える体験だった

2022年12月、NYへ行ってきました。
そこで念願の”Sleep no more”を体験してきたのだけど、これが本当に素晴らしかった。
行ったことがある人が口々に「すごかった!」というこの没入型演劇は、内部撮影禁止ということもあり、事前にそれ以上の情報なく参加したのだが、僕も同じく感想としては「すごかった!」の一言

何がすごかったか?
ここで得た学びを、今後のためにまとめておこうと思う。
※ネタバレを含みます

  • Sleep no more とは?

  • 導入とルール

  • 学び1「マルチな視点」

  • 学び2「没入感を作り出す環境」

  • 学び3「立体的なストーリーテリング」

  • 学び4「徹底的なディテール」

Sleep no more とは?

英国の劇団”Punchdrunk”が主催する没入型演劇。2011年3月よりNYのチェルシー地区にある、地上5階建のMcKittrick Hotel(マッキトリックホテル)を舞台に通年で開催されている。
演目はシェイクスピアのマクベス。
劇中はほぼ言葉のない演劇のみで進行していく。
演者は一つの舞台ではなく、McKittrick Hotel内を縦横無尽に動きながら演じる。そしてそれを見る参加者もまた入場以降McKittrick Hotel内を自由に移動しながら鑑賞していくことができる。
参考:Wiki

チケット購入時に名前を入れるともらえる自慢用のGIF動画(笑)

導入とルール

まず入ると、コート類をクロークに預ける。
貴重品(携帯、財布)は黒いポーチに入れられ施錠された上で身につける。
「初めての参加か?」と問われて、「YES」と答えると、初参加の目印のようなリボンを渡される。

そして、会場内で身につける仮面と、トランプのカードを一枚引きその番号が呼ばれるまで、バーのような場所で待つという流れ。

中に入ったらずっとつける付けるマスク

トランプのカードが呼ばれたら、同じカードを持った人たち約10名程度のグループに対してオリエンテーションが行われる。

会場内でのルールはシンプル
・会話禁止
・撮影禁止
・飲食禁止
・会場内の移動はすべて自由、どこで誰を見ても良い、置かれている小物もすべて見て良い

「さぁ、中へ!」という言葉とともに扉が開かれ来場者は思い思いの場所に移動を始める。
この時点でいきなり、僕は同行者とはぐれてしまい、
ここからずっと一人で行動をすることとなる。

学び1「マルチな視点」

なんとなくたどり着いたフロアでは、すでに妊婦の女性(以降演者)の一人演技が始まっていた。すでにいる演者の取り巻きたちに紛れて早速鑑賞をスタートする。

セリフのない演技。
今、自分が見ているものが途中からなのか、最初からなのか?
序盤は正直ストーリーが全く理解できなかった。

一方で、周囲の取り巻きたちの鑑賞スタイルに目を向けて驚いた。
みな演者との距離感が異様に近い。
ある人は演者が演技しているその反対側の椅子に座って鑑賞したり、
ある人は床に座り込んで演者を見上げたり。
とにかく、鑑賞のスタイルが自由すぎるほど自由なのだ。

僕もそれに習って、かなり至近距離に座って、鑑賞をしてみた。
演者の呼吸音すら聞こえる距離感、きっとカメラがあったら抜かれないであろうアングル。自分だけの視点で鑑賞することがこんなにも楽しいとは。

先のワールドカップで採用されたVAR、あるいはオンラインの配信番組で最近良く見かけるマルチアングル、バーチャルの特権だと思っていたマルチアングルをこんなにもアナログで体験できることが、最初の衝撃体験だった。

学び2「没入感を作り出す環境」

ふと冷静になり、自分がこんなにも演者に近づいていることを不思議に思った。例えばそこいらのイベントで、挙手制で何かをやるような機会があった場合、僕は絶対に手を挙げないタイプの人間だ。というかおそらく日本人の多数派はこっち側だと思っている。
そんな僕が、こんなにも大胆に演者に近づけたのはなぜか?

その理由がここでの学び2つ目となる「没入感のつくりかた」にあった。

1つめは匿名性と目的が一致するコミュニティであること。
入口で渡された仮面は、もはや同伴者の判別すらつかないくらいの匿名性を纏うことができる。それに加えて、この場所はそもそもSleep no moreを楽しみたいと思う人達だけが集まっている。つまり真剣に楽しもうとする人を邪魔だと思うようなことはなく、むしろ自分ももっと楽しもうとする前向きな刺激に変わる。

こういう場の空気が、普段の自分ではできない一線を簡単に超えさせてくれる。

2つめはいかなる状況でも演出が途切れないこと。
Sleep no moreの演者は演技の最中フロアを縦横無尽に移動する。
その間、取り巻きたちも同様に縦横無尽に移動する。
ときに階段を駆け下りるようなシーンでは、数十名が階段を駆け下りるようなことが起きる。
真剣に演技に向き合おうとすればするほど、自分の視界から演者が見きれないよう必死に、とにかく必死に演者を追いかける。

その移動の間、驚くべきことに音楽が全く途切れることが無い。
心象的に”傷ついている”演技のときには、暗澹としたBGMが移動の最中ずっとついてくる。
だから、どんなに移動が大変でも意識は常に演技に向けられ、傷ついている妊婦の気持ちに没入したまま全力で階段を駆け下りることができる。

入口で携帯も封印され、意識は100%演技に集中させ、かつどんなにダイナミックな移動が伴ってもその集中力を切らさない。むしろ動けば動くほど没入していくという体験は全く自分にとって新しい体験だった。

ちなみに、この視察の後にLAS VEGASでシルク・ド・ソレイユも見に行くのだが、鑑賞の集中力を振り返ると圧倒的にSleep no moreのほうが勝る。
それくらいの没入体験だった。

学び3「立体的なストーリーテリング」

この表現が正しいのかはわからないが、Sleep no moreの体験を圧倒的なものにしているのはこの「立体的なストーリーテリング」だったように思う。

どういうことか?

例えば、一般的な演劇、あるいは映画を想像してみる。
視点は基本的には一人称で主人公を軸とし、当然演目には始まりと終わりが明確に存在している。よほどの変わり種企画でない限り、カメラアングルは一つ、つまり視点は一つなのが一般的な演劇だと思う。

自分なりに分析した体験の流れの違い

一方でSleep no moreの構造は大きく異る。
まず、自分が見たい演者を選んだ時点で、自分にとっての主人公を決めることができる。当然物語上の主人公は「マクベス」に違いないのではあるが、マクベス側でマクベスを見るのか?あるいは殺される妊婦側からマクベスを見るのかで物語への没入の仕方が大きく異る。

最初に出会った妊婦側ですでに没入してみていた僕にとって、その妊婦が無残にもマクベスに殺されるシーンを目の当たりにしたときには、正直マクベスに対する怒りのような不思議な感情が生まれた。

そしてもう一つ、殺された人々の人生と物語はずっとループしている。
つまり殺された妊婦その人も、一定時間がすぎると亡霊のように最初の部屋に戻り、また最初から演技をやり直すのだ。
寸分違わず、以前みた演技と全く同じく繰り返される演技。
(この時点で、自分が最初に見た演技は最初から見れていたことを知る)
なにか異なる点があるのか?としばらく見ていて、これは輪廻していると気付き、次の主人公を探しにその場を離れた。

そして、次に出会ったのは憎きマクベス。
こいつがなぜあんなことをしたのか?という興味本位でマクベスの取り巻きに加わると、さっき見ていた物語とは全く違う側面に触れた。

さっきのあのシーンで、マクベスはこんなところから見ていたのか?
人知れず、こんな絶望にマクベスは脅かされていたのか?

ループしている物語にも関わらず、当事者の目線が変わるだけでこんなにも深みが増すのか。
セリフのない演技がここに来て大きな意味を持っていることを知る。
見る人の想像力(感情移入)が加わり、この物語の立体的な深みが構成されている。この設計がとにかく衝撃的だった。

通常、僕たちがなにかのイベント体験を作るとき、
その体験ジャーニーはなるべく迷わせることが無いように、シンプルに
それでいて伝えたいメッセージがきちんと伝わるように組み立てていく。

しかし、このSleep no moreはその真逆をやっている。
複雑でかつ自由。でも物語は伝わるどころか、想像力が加わりより深みをもって忘れがたい体験となる。

この学びは大きかった。

学び4「徹底的なディテール」

僕が滞在した時間は約3時間
物語は丸2巡を体験することができた。

自分がマークできたのは、妊婦とマクベス。
それ以外の人の人生には部分的にしか触れることができなかった。

これもまた公開されて10年経つにも関わらず、未だチケット予約は人気で埋まってしまうパワーコンテンツの魅力だろう。
こうして他の人生に対する興味と余韻が必ず残ってしまう設計もまた素晴らしいと思った。

最後にもう一つ、自分の専門領域である会場構成についても学びがあった。

それは、徹底したディテール。
これはいわゆる内装的なディテールもそうなのだが、小物の細部までの作り込みが徹底していた点も見逃せなかった。

すべてのモノに意味がある。

そう思わせるくらいに、小物一つ一つにも物語が込められていた。
何気なくベットサイドに置かれた手紙は、手にとって見るとマクベスからの手紙であったり、本棚の本にも走り書きが加えられていたり。
仮に演技をそっちのけで、会場だけをじっくり見て回ったとしても見きれないくらい、つまり世界そのものが徹底的に作り込まれていた。

よくモデルルームとかでありがちな、それっぽい雰囲気のものは一切ない。
意味のあるものだけで世界が作り込まれている。
狂気じみたこの細部までのこだわりは、それだけでも見る価値のある体験だと思った。

おわりに

ストーリーの詳細については大きく割愛したため、まだ見ていない人にとっては伝わらないことも多分にあろうかと思う。

こればかりは、ぜひ言って体験してきてほしいの一言に尽きる。
少なくとも、僕にとってイベント体験(イベントではないが)の圧倒的1位はこのSleep no moreになった。
それくらいのインパクトがあった。

10年前にこの企画を作った人がどんなことを考えていたのか?
10年後の未来がこんなことになっているなんて、予測していたのだろうか?

テクノロジーが進化し、様々な物事のデジタル化、あるいはデジタルツイン化が進む中、このオールドコンテンツがこれからの未来の体験のヒントをくれたように感じた。

円安で物価が異常なまでに高いNY
それでも行った価値がある体験だったと心からそう思える体験だった。

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