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【読書】口の立つやつが勝つってことでいいのか(頭木弘樹)

『絶望名人カフカの人生論』で知られる頭木弘樹氏のエッセイ集。

頭木氏の著作を読むのは始めてである。著者が誰かも確認せずに、タイトルだけでなんかピンときたと、そういうわけだ。

読書をしていると、まったく知らない誰かが自分と近い考えを持っていることに驚かされる事がある。著者のプロフィールを確認すると、過ごしてきた人生も、年齢もまったく違う。それでも、思いがけない「なんか気が合うな」が発生する。そんな偶然の出会いも読書の醍醐味のひとつだろう。

『口の立つやつが勝つってことでいいのか』は、流ちょうな言葉で語れないものや、ひとことで済ませられないものを、短めのスケッチ群の中から浮かび上がらせることにトライする、そんな雰囲気の作品だ。さまざまな小話からなるが、そのひとつひとつがどこかでつながっている。いや、明確につながっているとも言えないのかも知れない。銀河の星々のように、お互いを引力で引き合う物語の断片たち。それを地上から眺めることで、読み手は暗い夜空にさまざまな星座を発見し、自分なりの物語を見つけることができる。

世間には言葉が溢れている。自分も日常の多くの場面で言葉を操ってメシを食っているようなところはある。社会では、流ちょうに話せる者が優秀なビジネスパーソンとみなされやすい。会社組織のような場所で多くの人を動かすために、確かに言葉は効率的で効果的なツールだ。会社のような場所でもそうだし、都会のような人間関係が希薄な場所で生きていくために、我々は言葉に多くを頼らざるを得ない。それはやむを得ないことなのかも知れない。だが、それでいいんだろうか。

人が尊重しあって生きるとはどういうことだろうか。幸せってなんだろうか。言葉を尽くしても、そういうことを容易に語ることはできない。そぎ落とされた言葉・・・すべての言葉はそうだろう・・・は、どういうものでも反論したり難癖をつけたりすることが出来てしまう。字面で反論が可能であるかどうかと、そのメッセージが良きものかどうかは別の問題だ。やさしい言葉が誰かを傷つけることもあれば、鋭利な言葉が誰かを勇気づけることもある。すべての人に誤解なく伝わるような言葉は存在しない。言葉が間違っていても伝わることはある。

物事は言葉ほど単純ではない。人生や生き方、人との関わり方みたいなものを、シンプルに論じてしまうと、ともすれば、お説教やスピリチュアルな何かになってしまう。それが役に立つ人もいるかもしれないが、そこで語られていない事の中に、もっと自分にとってだいじな事があったかもしれない。

信じてきた物語が成り立たなくなる事は、生きていれば一度や二度は普通に訪れる。典型的なビジネスマンのサクセスストーリーみたいなものは、病気や家族の介護だったり、人間関係のトラブルだったり、誰が悪いのかよくわからない不祥事に巻き込まれたりして容易に崩れてしまう。だからといって、人生はそこでは終わらない。ひとつの物語が崩れたとき、新しい物語が必要になる。その時に自分の物語を紡ぎだせる力があれば、また前を向いて進んでいける。

時に他人の何気ない生きざまに感銘を受けたりするように、我々はさまざまな整っていない事物のなかから物語を発見することができる。うまく言葉に出来ないことを語ることを人は躊躇しがちであるが、うまく言葉に出来ないことだからこそ、語りを続けてみる価値があるのかも知れない。『口の立つやつが勝つってことでいいのか』は、そんな事を考えさせてくれる作品だ。

こうして言葉にすると、やはり伝わらないような気がしてしまう。最後に、自分が気に入った一節を紹介して終わりにしよう。

生きる価値があるというのは、明るく楽しいということではない。

頭木弘樹『口の立つやつが勝つってことでいいのか』


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