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(読書)『ゲーム・ネットの世界から離れられない子どもたち』(吉川徹)

大みそかにする話ではない気がするが、たまたま読書のペースの都合でそうなってしまいました。よいお年を。

先日、「スーパーマリオ オデッセイ」をプレイすることが、うつ病の症状の改善に効果を示したという研究が話題となった。

*ベック抑うつ質問票(BDI-Ⅱ)のスコア

なんでも、最近では、うつ病については伝統的な「気分が落ち込む」などの感情的な問題だけではなく、認知機能の低下に焦点をあてた研究がなされているらしい。そこで、ゲームをプレイすることは認知機能の改善に効果があるのでは?といったような研究がなされているようである。

さて、今回の研究結果がうつ病治療の臨床に応用されていくのかどうかはわからないが、少なくとも頭を使うものである以上、ヴィデオゲームが認知能力のトレーニングに役立つというのはありそうな話だ。

脳機能の話とは別の視点(源流をたどれば同じなのかもしれないが)として、リアル社会との関りかたに困難を抱えているタイプの人にとって、ゲームがいかに影響するかについては、以前『ゲーム思考 コンピューターゲームで身につくソーシャル・スキル (ニュートン新書)』を紹介した際に取り上げた。

ここでの議論は、昨今のゲームは昔と比べてはるかにリッチなメディアとなっており、現実ほど複雑ではないが、現実を単純化した程よい「遊び」として、社会との関わり方を学んでいく題材として機能しているのではないか、といったものだった。つまり、ソーシャル面での課題を克服するうえでもゲームが効果的に作用する事がある、といったような話だ。

このように、ゲームの有望さのようなものが議論される一方で、いわゆる「ゲーム障害(*1)」なるものが度々話題となり、物議を醸したりしている。要するにゲームのやり過ぎで、伝統的価値観に沿った社会人としての成長に問題が生じたり、社会生活に支障をきたしたりとか、なんかそういったようなことだ。

「ゲーム障害」的なものを含め、子どもがゲームやインターネットに中毒的にハマることにより、リアル社会との接点が持ちづらくなるのではないか、といったことは、例えば子育て世代の人にとっては不安要素のひとつに十分なり得るものだと思う。ネットゲームのようなものが普及してから、ゲームのやり過ぎで学校に来ない子どもや、家庭生活が成り立たない大人みたいな人々が、「ネトゲ廃人」のような形で恐ろしげに取り上げられるようになった。

ゲーム・インターネットに親しみ、それがどういうものかそれなりに知った人間からすると、ことは「ゲームが悪い」と言い切れるような単純なものではなく、ゲームにある意味逃避せざるを得ない当人を取り巻く状況のほうに、はるかに深刻な問題があるに違いない、と当然に思うわけだが、誰もが十分なリテラシーを持っているわけではない。わからない人からすれば、ゲーム・インターネットが不気味で邪悪な存在であるように感じられるのも無理からぬ事ではあると思う。

何事もそうだが、そういう問題に向き合わざるを得なくなった時に必要なのは、ガイドとなり得る「まともな知識」だろう。

『ゲーム・ネットの世界から離れられない子どもたち』(吉川徹)は、「ゲーム障害」という人類にとってまだ新しい問題について、「わかっていること」と「わかっていないこと」をきちんと教えてくれる書籍だ。

本書は、ゲームやネット、現代の子どもたちを取り巻くデジタル事情から話を始め、そうした子どもと向かうべき大人側のリテラシー向上を助けてくれる。

ゲームやネット経験の乏しい養育者世代の目に入る情報の中には、時としてゲーム依存の恐ろしさのようなものを強調するものもある。これが養育者の焦りや不安を助長し、子どもに対して「ゲーム禁止」のように強めに対応してしまうことが子どもとの対立を深め、ゲームやネットと「うまく付き合っていく」方法を子どもが学ぶのを手助けすることが難しくなってしまう、という点は基礎知識として押さえておくべきポイントだろう。

感情を揺さぶるようなニュースに惑わされず、まともに物事を考えましょうというのは、昨今よく言われていることのようにも思われる。子育ても、そういうアヤシイ情報が飛び交いがちなジャンルのひとつだ。ただでさえ、家族の在り方や家庭内の価値観は様々であり、時代とともに変わっていく。そして、子どもの抱える問題は個別に異なったものであり、こうすればいい、という正解がある類のものでも無かったりする。いざ自分が不登校の子どもを抱える養育者として当事者になった時に、自分が経験的に持っている知識だけでまっとうに対処できるだろうか?

「甚だあやしい」と考えておくぐらいでちょうど良いのかも知れない。

ゲームやネットのような、自分が子どもだったことに無かったものから生じる問題にどう対処すべきか、未だ十分に知見やノウハウが共有されているとは言い難いが、少なくとも専門家の間では、知見やノウハウが蓄積されつつあるという事は覚えておいてよさそうだ。ネットの誰だかわからない人が、自分のわずかな経験に基づいて言っていることを10個も20個もみて混乱するよりは、いくらか頭を整理する役に立つことだろう。身の回りでも不登校の問題は、わりとよく聞くもので、自分には関係ないとは到底いえないように感じている。転ばぬ先の杖ではないが、日ごろからそうした問題についての情報ソースに当たりをつけておくのは悪くない。

原因がなんであるにせよ、ゲームのやり過ぎのような状態が無限に続くと、リアル社会で自立するために必要な知識・経験を身に着けていく上で、多少なりとも問題が生じるケースが多いだろう。ファミコンの登場以来、子どもがやり過ぎないようにするために、強圧的にならず、いかに約束するか、約束が守れるように成長してもらうか、という点については多くの養育者が頭を悩ませてきたポイントに違いない。

「ネットやゲームについての約束は子どもにはまもれない」は、約束を破ってきた側の当事者として、十分に頷ける言葉である。本書はこれを踏まえて、多少の実践例も紹介している。

多くの専門家が、子どもと対話する機会を持て、と指導するわけだが、そういわれてもなあ・・・となるのが忙しい子育て家庭だろうとは思うので、本書がすなわち処方箋とはならないかもしれないが、単純に「子どもがいう事を聞かない!」で終わらず、いったいこの人がどういう世界に生きていて、何を感じているのか、と考え始めるきっかけにはなってくれる本なのではないかと思う。まあ、子どもの自律を支援するのが養育者の役割ということは誰もがわかっていることだけど、実践はなかなか大変・・・。

ちなみに、電子書籍だと固定レイアウトになっており、端末の画面が小さいとまあまあ読みづらい事と、作中でも触れられている「大人の足並みが揃わない問題」を避けるためにも、家庭内で共有可能な物理本で入手するのがおすすめ。


さらに関心のあるかたには、こちらも良い本です。


*1 2013年よりアメリカ精神医学会のDSM-5に「インターネットゲーム障害」(Internet Gaming Disorder)が採用され、2022年からはWHOのECD-11という健康問題に関する分類体系にGeming Disorderが採用されている。
これを「ゲーム障害」と呼んでいいかどうかはまだ議論が尽くされていないところだと理解しているが、本稿ではわかりやすさの点から、取り敢えず「ゲーム障害」という呼称を使う事にする。

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